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グアテマラのゴールデンウィークにグアテマラで宿探しをしてみる

2011年05月18日 15:13

さて、もはやタイトルさえ思い浮かばず、恐らく非日常的で刺激的な事なんだろうけど、

それが僕にとっては、すっかり日常的に当たり前になってしまった、

見知らぬ土地の移動や宿探し、そして町歩き。


いい加減、ひとつの町に住み着きたいという願望は頂点に達しつつあるわけですが、

こんなコバンでそんな事も言っておられず、

僕はコバンから次の町へと歩みを進めるわけです。



もはやコバンがどこなのか、そして次に向かったチキムラという町がどこなのか、

日本からしてみれば、あまりに検討がつかなすぎるかと存じますので、

こちらをご用意させて頂きました。

より大きな地図で guatemala を表示

なんとなくこれでご想像いただければと思います。




いよいよセマナサンタ(イースター)が翌日に迫った4月23日。

僕は、コバンにとどまるでもなく再び移動を始めます。



まずコバンから目指したのは、エルランチョ。

エルランチョに行くはずが、途中で降ろされちゃって、一度乗り換えてようやくエルランチョ。

そして、エルランチョから無事チキムラへ辿り着いたわけだけど、

到着した瞬間あいにくの雨。

そして、セマナサンタ前日ということもあり、町中の店が閉まりまくり。


僕は宿を探さなくてはならないんだけれど、この冷たい雨と人通りの少ない道の中、

ちょっとした不安を抱えつつ、歩き始めた。



とりあえずめぼしを付けていた宿に行くと、シャッターが閉まっていて、

「今日は部屋ないよ」とのこと。

まぁ、祝日だから仕方ないか、と思い、次の宿へ、

「今日はやってないよ」とのこと。

365日営業してるのが当たり前のはずの宿が

やってないなんて状況を僕は初めて体験し、ちょっとこの流れはやばいななんて、

久しぶりにあせりつつも、そのスタッフに

「じゃあ、どこならやってんのよ」と聞いて、指示された場所へと向かう。

そっちに向かってって、たまたま家から出てきた人に、

「こっちに宿あんの?」って聞いたら、

「こっち側には宿なんてねぇよ」との返答。

そして、彼に教えてもらった場所に向かって方向転換し、歩き始める。

すると、町の中心みたいなとこにたどり着き、街角に突っ立っていた暇そうなおじさんに

宿の場所を尋ねる。

そこから少しも歩かないとこにあるよ。とのことで、

行ってみたら、その宿のドアも固く閉ざされていて、

がんがんとドアを叩いてみても、音沙汰がなくあきらめる。


さらに、そこの向かえが宿っぽかったから行って見たら、

その宿の隣のアイスクリーム屋さん曰く、

「今日はやってないよ」との回答再び。



やれやれ。



4軒も回って、見つからない状況なんてのは久しぶりだ。



チキムラで何かをしたいというわけでもないので、

そのまま移動してしまう事も考えたけど、このとき既に暗くなり始めていて、

このまま移動したところで向かうべき場所の検討がつかなかったので、

もう少し宿探しをすることに。





と思って、ちょっと歩いたら、すぐに見つかっちゃって、

しかも30Q(300円)とだいぶお買い得。


ただ、町がだいぶひっそりとしてしまって、飯を食うところも見つからず、

その日は仕方なくフライドチキンとポテトを貪り食うことに。

なんか主食が無いってのは、どうにも満たされない。




そうして、翌日はセマナサンタ。

町中が、号砲と共に皆が騒ぎ始めるかと思いきや、いたって普通。
DSC_0027.jpg
とりあえず昨日までひっそりと死にかけていた町が、キリストの復活と共に復活をしたような感じはした。


折角、セマナサンタなのに何も無いのはなんだかなぁ、と思ってとりあえず教会に行って見たら、

人がびっしり。

おごそかにミサが執り行われておりました。
DSC_0041.jpg


CSC_0050.jpg




ただ、スペイン語のミサは残念ながらほとんど聞き取れず、その宗教的な有り難味も何も

分かったものじゃないので、早々に退散。



違う言語だから分からんとか思ったけど、思えば日本のお経って日本語で喋ってるはずなのに分からんよね。


日本人の宗教離れの一端にお経の難解さにあるんじゃないかと思ったりする次第です。

だって、お経の内容って実は生きるべき指針というか世の中の真理というか、

仏教の人生観みたいなものが淡々と述べられてるはずなのに、

実際に聞くと、もはや意味がどうこうとか関係なく、右から左へ~だもんね。

おかげで日本人のそういう儀式はもう本当に形だけになってしまって、

中身を理解してる人間はごくわずかになってるというのは、残念な話。




合掌。





キリストが復活した大事な日だというのに、僕はその日、国境越えを試みます。

イエス・キリストが世界中で復活しまくるお祭り

2011年05月17日 14:26

ティカル遺跡をちゃっちゃか見ちゃった後はもうフローレスには洋梨もはなはだしく、

僕はとりあえず南下をはじめたわけですね。

再びボートで渡河。誰か、橋作ってあげてください。
DSC_3314.jpg





実は、この時期ちょうどセマナサンタと呼ばれるいわゆるイースターの時期でございまして、

グアテマラは割と熱心なカトリック教徒が多いのか、あるいは単に連休なのか分からないけれど、

移動も宿探しも困難なんじゃないのかって不安を抱いていたけれど、


とにかくフローレスの脱出には成功。


ミニバスを乗り次いで辿り着いたのは、コバン・・・・。


かの有名なコバン・・・・・。


ってコバンって何があるんだか、さっぱりだったのでまぁ無理して来る事もないでしょう。


おかげで、宿もなんとなくすんなり35Q(350円)ぐらいで見つかりまして。

ツーリストなんてほとんどいらっさいません。



なにはともあれセマナサンタが始まる数日前から、グアテマラ中どこでもかしこも似たような儀式が執り行われるらしく、それがこちら。
DSC_3316.jpg
どでかいキリストやらマリア様が乗ったみこしを皆で担いで、教会から教会へと運ぶ儀式。

日本で神輿担いで運ぶのと、ほとんど似たようなもんだと思うんだけど、

粗方、大変激しく上下左右に揺られながら運ばれる日本のおみこしと違って、

こっちの運び方が大変おごそか。

厳かにもう一個おを付けて、御厳かってぐらいおごそか。

白装束をかぶった、従順なキリストのしもべ達は、雨の中文句ひとつ言わず、

前へ前へと十字架を運ぶキリストを運ぶわけです。


そして、そのみこしの両側にもさらに女子供大人が列を作って、その様子は大変仰々しくもあります。
DSC_3326.jpg

ところが、雨は容赦なく降りつけ、彼らはもうキリストどころじゃなく雨を防ぐのに必死です。
DSC_3334_20110514144153.jpg

もう雨に打たれて、疲れちゃってへたり込んじゃいます。
DSC_3339.jpg


彼女は仏教徒なのでキリストを運んだりはしません。
DSC_3358.jpg

これは別日。
DSC_3373.jpg

いまいち設定がつかめませんが、こんな感じ。
DSC_3411.jpg

本番はまだなので、こうして床一面になんだか派手に装飾しております。
DSC_0010.jpg

グアテマラの衣装に使われる布一覧。カラフル。祭り用とかじゃなくて、これが普通の衣服用。
DSC_3390_20110514145417.jpg

ということで、コバン自体の写真一枚もないけれど、さっさと次の町へいきましょー。
DSC_0018.jpg



どうやらコバン周辺にはコーヒー農園がたくさんあるらしく、

コバンでも安いコーヒー豆が手に入るらしいっすね。

でも、祝日連休のせいで店しまりまくりだったんだよな。

マヤ遺跡最高峰のティカル遺跡

2011年05月16日 19:41

情報社会の発展は、現地に行かなくとも、

もうそれはそれは簡単に現地の模様を手に入れることが出来るようになりました。

なんて便利な。



逆に現地の写真を見たくなくても、否応が無しに勝手に目の前に現れてくれます。

遺跡をいくつもいくつも行って思ったことは、事前に写真を見ないほうが感動出来るってことです。




フローレスに着いた翌朝6時のバスを僕は予約し、どういうわけか6:15に目覚めたのだけれども、

そのバスに乗り込むことが出来、1時間をかけて山中を進みティカル遺跡の入り口へ。



僕はただトランスポートのみを頼んだはずなのに、ミニバスに同乗してきた会社のスタッフは、

勝手にガイドを始めるのです。

それも親切に英語とスペイン語を交えるのですが、片方のガイドがされてるとき、

もう片方の言語利用者の方々は退屈でなりません。


さらに、当初英語のガイドがあったのに、途中からスペイン語オンリーとなってしまい、

英語利用者の面々は勝手に個人行動となってしまいました。




そして、僕はどういうわけか広大なティカル遺跡の入り口でもうすでに足腰に疲労をきたしていたのです。



歩き始めてあっという間に一人になり、最初に現れた遺跡。

どうしていいか処分に困り果て、とりあえず放置。
DSC_3188.jpg



そして、早速現れたティカル遺跡最大の5号神殿
DSC_3199.jpg


あまりに急に現れすぎて、これにも対処に困り果て、しかも厄介な事に、
この遺跡には上るためにだいぶ急な階段が用意されている。

すでに、足に疲労を抱えてる僕にとってこれは難関。

しかし、さすがに上らないわけには行かず上ることにしました。けっこー、急。
DSC_3197.jpg

5号神殿からは、ほかの神殿達が森の中から頭を覗かせており、けっこーな景色でした。



そして、少し歩くともうあっという間に遺跡の中枢グランプラザへ。

なんとローカルの人たちまで観光に。なんかこういう景色ってレアな気がする。
DSC_3211_20110513081027.jpg


この日は、セマナサンタ(イースター)祝日の連休のせいか、結構なグアテマラ人観光客がいた
DSC_3222.jpg


ということで、こちらが2号神殿
DSC_3209.jpg


そして、二号神殿と向かい合うようにしてティカル遺跡の主役1号神殿
tikal1.jpg


ということで、情報社会がどうたらこうたら書いて、僕も写真を載せてしまったわけですが、

やっぱ如何せん初めて見るってのと、今までに写真で見たことがあるのを見るってのは、

インパクトにあまりに差が出すぎてしまうわけですね。


もちろんこの遺跡について、たっぷりな知識を抱えて挑むならいいけど、

僕はマヤ文明になんの縁もゆかりも無いもので、

でもって、写真だけ見ちゃってたから、

「あ、これ知ってる」ってなっちゃうんですね。




それでも行く価値は十分にありますよ。

この密林の中にひっそりとたたずむ巨大な遺跡というのは、

ロマンの固まりですよね。


もし僕が何も知らずにたまたまこの森の中をほっつき歩いていて、

たまたまこの遺跡を見つけてしまった時の衝撃は、きっとはかりしれないんだろうと思います。

何しろこういうジャングルに覆われたロケーションだし、

遺跡自体も巨大で十分に見ごたえがあるわけだし、

謎に包まれたマヤ文明に興味があれば、是非是非ですよ。


とはいえ、当時僕はずいぶんと足腰が疲れていて、天気も悪かったんですね。

足腰が疲れていて、天気も悪くて、写真で前にも見たことがある遺跡だったりすると、

如何せん感動が薄れちゃうのは、仕方の無いことなんですね、きっと。



僕は、マヤ人にこんな立派なものを作ってもらっておいて、本当頭が上がりませんよ。





4号神殿を上ったところから見る他の神殿。何も目立つもののないジャングルに、
この遺跡だけがひょっこりと頭を出す姿ってのは、かなり神秘的。
DSC_3263_20110513081952.jpg


神秘的なティカル遺跡をたっぷり満喫いたしいまして、
目指すは、フローレスにある日本人経営のレストラン、すいか。
こちらでカレーを頂きましたら、スープカレーみたいなチキンカレーでした。
DSC_3294.jpg

土産屋のピアス一覧。100円ぐらいかな。
DSC_3305.jpg

マンゴー売りの少女
CSC_3312.jpg

ってな感じでティカル遺跡でした。マヤの方々、大変ご苦労様でした。



お呼びでない移動地獄 その2

2011年05月15日 18:09

グアテマラへの国境まで20キロというところで途方にくれた僕は、

とりあえずその国境に向かう道の分岐に突っ立った。


そして、親指を突き出して、それを上げたり下げたりしながら待つことにした。



あまりに交通量が少なくて、僕の親指はシューシューと風に吹き去らされるだけで、

無意味な時間が過ぎた。




でも幸運な事に、2台目のトラックがあっさりと止まってくれ、僕は久々に

トラックの荷台での移動をすることになった。同乗者は医薬品ばかり。
IMG_1168.jpg


20キロの移動もあっさりと終わり、ようやく国境へと辿り着いた。

このコロザルでのメキシコ-グアテマラ間の国境は、川に挟まれていて、

橋が無いので、船で渡らなくちゃならない。



メキシコでの出国のイミグレのときから着いてきた男が、

国境越えの船とバスがあるからと誘ってきたので、

値段を確認してみると、400ペソ(3000円)とかという法外な値段を提示されたので、

彼を無視して、直接川に行き、ボートを出している男と交渉すると、

わずか20ペソ(150円)で渡ってくれるとの事だった。







あまりに時間を食ってしまい、すでに国境越えする人間は見当たらず、

ボートを占有し、国境を越え、ようやくグアテマラ入国。
IMG_1171.jpg



すでに時刻は16時となっていた。

カンクンから夜行ですんなり来ていれば、本来なら午前中には通過しているはずのポイントなのに。



国境を越えると、そこにはフローレス行きのバスが待っていて、

乗り込んで待つこと1時間して、ようやくバスは出発した。



メキシコからグアテマラに入ったところで、言語が変わるわけでも

景色が圧倒的に変わるわけでも、人が変わるわけでも、

国旗が高々とその辺に掲げられてるわけでもなく、なかなか実感が沸かず、

イミグレーションもそこからさらに何キロも行った隣の町にあるということで、

まだ入国スタンプも押されていなかったけれど、

とにかく無理やり、「ここはグアテマラなんだ」と意識し、

新しい国に入国した事で気分を高揚させた。





とはいえ、やっぱり新しい国ということで交通機関のルールが一気に変化した。

乗ったバスは、トヨタの20人乗りのミニバスみたいなやつで、

各駅停車を超越した、乗り合いタクシー張りにその車は、

人がいるところ全てに止まり、降りたいところ全てに止まった、


おかげで、車はなかなか進まず、日はすぐに暮れてしまい、

乗り心地の悪いバスがフローレスに辿り着いたのは、

もう21時ぐらいになっていた。




それにしてもグアテマラのバスの中で、子供の位置づけはもはや人間とみなされていないのか、

かれらは絶対に座れない。

一緒に乗った親の膝の上に座らされるか、あるいはぎゅうぎゅうになって立たされるかの選択肢しか

選べない。

たとえ、空席があったとして、そこに座ることは許されず、彼らは窮屈な状態を強いられていた。


多分、料金を支払わなくていいからなんだろうけど、いかんせん窮屈そうで、

もうちょっと労わってあげても?とか思わざる得なかった。




と、いうことでフローレスに到着。


もう夜遅すぎて、宿探しもちょっと不安だけど、

街頭も少ない未舗装路をとりあえず歩いてみたら、

すぐにホテルは見つかり、部屋を見せてもらったら、

モスラサイズの蛾が飛び交う部屋だったけれど、

ま、安いからそこに落ち着くことになりました。


ちゃんちゃん。







お呼びでない移動地獄 その1

2011年05月15日 06:25

メキシコ、カンクンからグアテマラのティカル観光拠点となるフローレスという町への移動のはなし。

キューバからカンクンに辿り着いたら、もう思い残すこともないからと思いつつも、2日の時を過ごし、

グアテマラに向けて出発した。


まずはグアテマラ国境を目指すべく、カンクンから3等バスでテノシケという町へ向かうことにした。

本来フローレスに向かうには、パレンケから朝早くの直通のツーリストバスかなんかで行くのが、

王道らしいのだけれども、最近はテノシケからフローレスまでの道が整備されて、安くて早いというので、

そういう選択をした。


パレンケ(palenque)やらフローレス(Flores)やらテノシケ(Tenosique)はどこにあるんじゃ?って方は、

お手元の世界地図かGoogle Mapでのご参照を





テノシケへ向かう3等バスとやらが胡散臭くて、そもそもメキシコを旅する外国人ツーリストは、

1等バスや2等バスを使うのが当たり前で、中南米でも経済的に発展してる部類に入るメキシコにあって、

この3等バスとやらは、それに似つかわしくない趣きのぼろバスだ。



その分値段も2等バスの半額程度とかなりお買い得。



エアコンなりトイレつきとか言い張っていたけれど、もちろんそんなものもあるはずもなく、

それどころか窓は開けっ放しのまま固定されてしまって閉まらない始末。

いくらメキシコと言えども、バスのスピードから放たれる夜風は冷たく、

僕の伸びきった髪の毛がばしばしと顔に当たり、存分に睡眠の邪魔をしてくれた。




さらには、不親切な事極まりなく各ターミナルに辿り着いても、

そこの町がどこなのか一切のアナウンスも無い。

こんなの一言いってくれれば良いだけのはずなのに、日本じゃ考えられない。




そして、僕の目的地のテノシケというのはこのバスの最終目的地ではなく、

テノシケには、どうも早朝5時、6時に辿り着く事になっていたらしい。

そして、気づいた時にはもう8時ぐらいだった。






結果から言うと、僕はテノシケを寝過ごして、乗り過ごした。


乗り過ごしてどうなるかというと、バスは無慈悲にもさらに西へ西へと突き進み、

僕の目的地は、東へ東へと遠ざかり続けた。




テノシケというのは、パレンケよりさらにカンクン側にある町なのに、

僕はパレンケすら乗り過ごしてしまったらしい。


そもそもパレンケやテノシケに止まったのかどうかすら謎だけど。




寛大なメキシコのバスは、乗り過ごしたところで追加料金を取るどころか、

乗り過ごしたことにすら気づいていない。




ようやく気づいた僕が降りたのはビジャエルモッサという町。



正直、グアテマラ国境がだいぶ遠ざかり、グアテマラに行くことすら諦めてしまいそうになったけれど、

グアテマラをあきらめるともはや行くべき場所はアメリカしかなくなってしまい、

それはまだ時期尚早という判断の元、パレンケに戻ることにした。



パレンケまで約2時間。2時間分も乗り過ごすって、なかなか無い事だけど、

あまりに夢の中で何かに没頭してしまったらしく、あっさりと寝過ごしてしまった。

東京から仙台に行くつもりが、八戸まで行ってしまうようなもんだ。



その日中にフローレスに辿り着きたかったというのに、これは大きなロス。



仕方なくパレンケからフローレスへと向かうことにする。

本来なら早朝に出てるはずのフローレス行きのバスも朝の10時には、

すでにあるはずも無く、刻んで行くしかない事が確定した。



本当は、パレンケにも世界遺産の遺跡があるんだけど、今の僕のテンションは、「前へ、前へ」

もう世界遺産一つ一つにかまってはいられない。



そして向かうべきはメキシコ-グアテマラの国境コロザル(corozal)という町。

パレンケに着いたバスターミナルでそのままコロザル近くまで行くというので、

コレクティーボに乗り換えて、コロザルを目指した。



カンクンの景色と比べると、パレンケ-コロザル間の景色は一気に様変わりした。

人々は、いかにも農村地帯のローカルな人々ばかりで、

なんとなく格差みたいなのが垣間見れた。


車窓は、日本の地方を思い出す山々に囲まれ、木々が生え茂ったような景色がずっと続いた。


そして、こののどかで交通量が著しく少ないと思われたのに、急に渋滞が始まった。

渋滞というか停滞。


何かと思うと、前方で大勢の男たちが揉めている様子で、道路が封鎖されていた。
IMG_1160.jpg


IMG_1161.jpg

ドライバーにどれくらいかかるんだ?と尋ねると、

「1時間ぐらいじゃない?」との回答。

正直、ドライバーもどこまで知ってるのかどうか怪しいところだ。


物騒な道路封鎖は、どうやらこの辺の地元たちの賃金上げのデモのようなものらしく、

こんなド田舎でシュプレヒコールをあげたところで効果があるのか

激しく疑問だったけれど、何もやらないよりはましでしょう。



そうこうしているうちに、武装警察(軍隊?)が登場。
IMG_1166.jpg


彼らが何かをしたというわけでは無いみたいで、彼らは一歩もトラックから降りることは無かったけれど、

とにかくこれが功を奏して、事態は収まり、封鎖されていた道路は開通された。




そして、そこから20分ほど走って、僕は車から降ろされる。

このコレクティーボは、国境の20キロ手前から別の方角へと行ってしまった。

国境まで20キロもあるなかで、そこには一応国境行きのタクシーのようなコレクティーボのような

車が待機していたんだけれど、ほかに乗客がいないから、

4人乗りを一人で使うんだから、通常の4倍払わないと行かないと言い張る。




正直、4倍も払うのはあまりに腑に落ちず、このタクシーを使用するのを諦め、

とりあえず僕は途方に暮れることにした。



長いので続きは次で。




















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