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(レバノン)パレスチナ難民>インド庶民

2010年02月21日 07:33

シリア国境からベイルートに向かう幹線国道の途中、あからさまに貧相なテントを張って、

貧しい生活をしていそうな一角があった。


これは、パレスチナ難民キャンプなんだろーか?


そんな疑問を持ちつつ、ベイルートに到着。




ベイルートで宿泊したTalal's New Hotel行ったら、ちょうど明日も難民キャンプに行きたいって日本人に出会えたので、翌朝から彼と一緒にカメラぶら下げて、ベイルート市内にあるシャティーラ難民キャンプへ。



ベイルート中心部からバスで30分足らずのとこにある難民キャンプ。


市街地のはずれにあって、難民キャンプといってもテント張ってるわけじゃなくて、


狭い区画に古めのビルが隙間無く立っていた。



そして、緊張しつつその区画へと歩みを進めていった。
DSC_0520.jpg




その難民キャンプ内に入ると、なんとなくインドの街中を思い出す。


ゴミゴミして埃っぽい感じ。

DSC_0539.jpg



だけど、そこには糞を垂れ流す牛も道端でどこでも練れる乞食も野良犬もいない。


そして住人は、ヒンドゥー教徒じゃなくイスラム教徒。


PLO今は亡きアラファト議長の写真が、いろんなとこに飾ってある。


赤く塗りつぶされたシヴァもヴィシュヌもいない。


彼らは、狭い区画に押し込められてるってだけであまりに普通の営みをしているようだった。



ところがどうにも空気が重々しい。

子供たちは愉快に遊んでて、写真を撮ってくれとせがんできたりするんだけど、

大人達からは冷たい視線を感じ続けた。

子供達が、僕に対してしつこく写真撮影をせがんできて、それでもって遊んでると、大人が
「もう終わり、終わり」と言って、その場を解散させる。

そんなシーンが何度もあった。中東の他の地域だと、大人も一緒になって絡んでくるんだけど、

やっぱり空気が違う。

こんな場所で、おもちゃの銃で遊ばれてもちょっとシャレにならん。
DSC_0531-1.jpg

DSC_0554.jpg

1982年、僕が生まれた年にイスラエルによって行なわれたサブラ・シャティーラ虐殺の爪あと。
DSC_0566.jpg

こんな場所でも、日本の機械入り込んでる。
DSC_0602.jpg

子供ってのは、やっぱり希望の光。彼らに憎しみを植え付けるのは、残念すぎる。
DSC_0651.jpg

この写真好き。
DSC_0664.jpg


難民キャンプを見る限り、生活レベルでは明らかにインド人以上の暮らしだった。


だから、難民、難民といって日本から援助するのはいいんだけど、普通に生活出来ている彼らに

どういう援助をすべきなのか。彼らにあげるくらいなら、よっぽど今貧困で苦しんでいる国に対する

サポートのほうが大事なんじゃないかとずいぶん感じた。

それ以前にそもそも日本国の国益を図るべきなんだろうけど。


それでも、レバノンにいる難民達はベイルートの市民に比べると相当に社会福祉等の待遇も悪く、

生活していくには相当大変らしいのですが、その辺はレバノンの国内政治で改善するべき問題で、

改善に向けた草の根活動なんかは、日本のNGOなんかも関わってたりするらしい。



難民キャンプを出て、新市街とかに出ると、まるで欧米のような美しい街並みで、高級車が行き交い、

先進国のような雰囲気。


地中海の遊歩道なんて、本当に優雅で市民の憩いの場。


そこから歩いて一時間のところに難民キャンプがある事を一瞬で忘れてしまいそうになるくらいに、

その二箇所が同じ都市にあるとは思えなかった。
DSC_0720.jpg

DSC_0743.jpg



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