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ボランティアなんてしないけど、マザーハウス

2009年10月05日 10:48

最後に行ったのは、マザーハウスかな。


サダルストリートに居た日本人の多くが、マザーハウスでボランティアをしていたんだけれど、僕には僕なりのポリシーがあって、ボランティアは一切していない。


コルカタを出発する日に、ちょうどマザーハウスで日本人シスターのお話があって、そこでボランティアをしていた友人が誘ってくれたので、 1時間ほど彼女のお話を拝聴することが出来た。


シスターは愛の重要性と、それが形になったコルカタのマザーハウスでのいくつかの例を話されていた。

最終的に、何度も力説していたのが、多少曲解かもしれないけれど、愛には犠牲が伴うっていうこと。


愛は、恋愛の愛だけじゃなくて、マザーの言うのは真実の愛で、家族愛や友人愛や第三者への愛、そして例え好きになれなくても、敵だとしても愛しなさいってところまで対象は広い。形も様々。

この間読んだ三浦綾子の「塩狩峠」を思い出す。

僕はキリスト教信者ではないけど、その通りだなと思うし、いつの頃からかそういうもんだとずっと思ってきた。
犠牲を払えるほど、愛したいって思える事自体むしろ幸せなことだと思う。

でも、インドにいるといやな目に合うこともあって、そんな人間には愛よりも憎しみが湧きやすい。

インド人に対して愛を持って接するなんて事は今のところは難しい。

彼らには感謝や謙虚という言葉があまり見当たらない、今のところ。

優しく接しても、付け込まれてお金を吸い取られたり。人の優しさに付け込んで、利用するような人間は大嫌い。

だから、なかなか心に余裕なんて生まれず、自分に精一杯になるから、その精神を発揮するのはなんて難しいんだろうかと感じる。

それをコルカタでやってのけたマザー・テレサは、本当に素晴らしい人だなと思った。

多分、彼女の心の柱に信じるものがあったから出来たんじゃないかな。

シスターの話を聞いた後で、一緒に行った日本人と食事にいったんだけど、その中の一人が、せっかくそんな話を聞いておきながらも「なんで愛が必要なんですか?」とか言い出した。

折角、シスターの話を一時間も話を聞いて、彼女はわざわざボランティアまでしておきながら、どうして分からないんだろ。

何か勿体無いな。でも彼女を説得するだけの適切な言葉がすぐに見つからなかった。

大学の後期が始まる直前なのか、長いインド旅行がもうすぐ終わって、これから日本に発つという大学生がたくさんいた。
彼らは、短期間のボランティアをコルカタで体験的にやって、日本に戻っていく。



最近、ホームシック気味の僕にとってこれから数十時間以内に日本に戻れる彼らが羨ましくて仕方がない。
中国では辛うじて涼面と呼ばれる、ちょっとぬるい麺が食べれたし、伊勢丹という心強い見方がいたんだけど、インドではそんなもの見当たらないし、冷たい食べ物食べると胃を壊しそうで怖い。

ベッドの上で、暑さにもだえながら目をつぶるとどこからともなくそばつゆの匂いが香ってきてみたり、おにぎりが無性に食べたくなったりと、日本を半年離れた禁断症状が出てるっぽい。


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