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知らない少年についてっちゃいけません。

2011年03月30日 08:04

トルヒーヨからバスで1日の大半をほとんど費やして、


カハマルカへ。


カハマルカはまだペルー。


そして、標高2750メートル。富士山でいうと7合目ぐらい。



富士山でいわなくてもいいけど。



インカ帝国13代目にして最後の皇帝アタワルパが幽閉された町カハマルカ。




15世紀スペインの征服者ピサロは、アタワルパに対して


キリスト教改宗を要求し、それを拒否したことによって宣戦布告とみなして、


結果的に、インカ帝国はあっさりと支配されちゃったんだとか。キリストの名において。


アタワルパは、スペインの神父に聖書を渡されたけれど、彼はそれが読めず、

もちろん本だから喋ることも出来ずに、「これ喋られへんで。」言って

聖書を投げちゃったんだとか。



結局、それを口実に神への冒涜じゃ。いうことになって、あれよあれよとアタワルパは、

スペイン人にひどいいじめに合うことに。




恐るべしキリスト。



神の名においては、何をしてもいいって事ですね。


そんな事件が繰り広げられたカハマルカ。





バスターミナルに到着する。




宿情報がいっさいなし。


ペルーだし、元々宿代安いから何とかなるだろと思って、客引きを探す。



が、意外と見つからず。






そして、唯一声を掛けてくれたのが一人の少年。




宿の値段を聞くと、「15ソル!(450円)」との事。


安さに引かれて、着いていく事に。


僕が持ってる地図を見ると、バスターミナル自体が町の中心の外で、バスターミナルがかかれてない。



ただ、彼が僕をいざなおうとしている宿は町の中心だ。



その少年は有無を言わさず歩き始める。



バスターミナルを少し離れると、町の中心に続く長い長い大通りが見えて、


「あそこまで行くの?」と聞くと、「そうだよ」と答える。


「どれぐらい?」と聞くと「10分だ」との事。



まぁ、まぁ、とりあえず歩く。


荷物を全て背負って、標高2750メートルのこの町を。



ところが町の中心に全然辿り着かない。


酸素も薄い。


少年に「一体僕らはどこに行くんだ?」と何度もたずねる。


「だから、あっちだよ。中心までもうすぐ」



正直、しんどい。



で、ようやく大きな教会のそびえるセントラル到着。



して、その辺で車でも乗るかと思いきやまだ歩く。



「おいおいおいおい。もう30分は歩いてるけど、まだ歩くんかい。」


少年は、僕のバックパックの重さなんて意に介さず、やっぱり歩く。



歩いている最中に、数多くの宿を目にする。


正直なところ、他の宿でも全然構わないからそっちに行ってしまおうかと思う。



何しろ色々としんどい。酸素も薄いし、荷物も重いし。





僕は途中でバックパックを降ろして、少年に

「ちょっともう疲れたから、代わりにバックパックを持ってくれ」と頼むけど、

僕のスペイン語を理解してもらえず、もう強硬手段で彼に無理やり荷物を持たせようと試みる。



ところが、その少年は僕のバックパックを持ちきれず、


「こんなん無理。」とのこと。





「ね、無理でしょ。こんなの持たされて、どれだけ歩かされてるか分かる?もうお願いだからさっさと着いて」
と僕は彼に懇願。


その少年は、別に気も利かせずにそのまま歩くことさらに5分。



ようやく宿到着。



かと思いきや、15ソルの部屋満室!!20ならあるんだとか。




「いやいやいやいやいやいや。


お兄さん、どんだけ歩かされたと思ってるの。めっちゃ重いんですよ、これ。


なんとかしてよ。



と駄々こねる。


「でも、ない」とのこと。



「この少年あるって言って、ここまで歩かされたんだぞ。なんとかしろ、こら。


だったら、違うホテルまでのタクシー代だぜ、こら。


といって、引き続き駄々こねる。」



で、なんとか3ベッドルームを15ソルでゲット。




バスターミナルに到着してから、結局1時間半。



ようやく僕は、カハマルカで宿を手にしたのでした。
















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ちゃんちゃんチャンチャン遺跡

2011年03月28日 19:33

リマを出た。


もうリマに戻ってくることは無いかもしれないし、あるかもしれない。


少なくても、2,3年は無いだろう。5年かもしれないし、10年かもしれないし、


なんとなく一生戻ってこないような気もする。





リマに住んでくれといわれたら、住めないことはないとは思うけど、


正直、別に住みたいなんて全然思わない。



もしリマなんかに住んじゃったら、


きっとちょっとでもお金が貯まればカジノなんかに行ってしまって、


なんだかとても不健全な人間になってしまうような気がする。




ということで、それほど強い印象には残らなかったリマを僕は出た。




そして、トルヒーヨへ。



トルヒーヨへは、リマにあるバス会社Linea社(Estacion Estadio Nacional駅のすぐそば)

から乗って、10時間と数時間。45ソル。







まぁ、正直なところトルヒーヨはほとんど通過点の予定だったんだけれど、

次の目的地に向かうバスまで4時間ほどあったので、

僕としては、暇をもてあましまくって、やれやれになるのも、やれやれだったので、

割と近場にある


世界遺産:チャンチャン遺跡


行ってしまった。



トルヒーヨのLinea社のバスターミナルから、荷物だけ預けて、


とりあえず何も知らんと、トルヒーヨの町を歩き始める。



正直なところ、トルヒーヨの町自体に魅力は微塵も感じられない。



とにかく適当に歩いてしまって、もはや迷子と言い放っても過言ではないんじゃないかってぐらい、

自分の位置を見失う。そもそも人通りが少なくて聞く相手がいない。





それでもめげずに、とりあえず人に道を何度も聞きまくって、


そのチャンチャン遺跡行きのバス乗り場を発見。



バスに乗ること、30分。




バスはチャンチャン遺跡へと続く道のずいぶん手前で降ろされる。




そして、本当に誰もいなくて、どこからともなくハイラックスに機関銃を乗っけた

怖いお兄さんたちがやってくるんじゃないかって雰囲気の砂漠の道をひた歩く。





どこやねん。



なんて思ってたら、チャンチャン遺跡到着。







ここであえて、チャンチャン遺跡の説明でもしようかな。


チャンチャン遺跡:チャン・チャン遺跡地域は、首都リマの北570kmのトルヒーヨの西郊外にある20平方kmにおよぶ古代チムー王国の首都遺跡。チムーは、13~15世紀半ばにわたって権勢を誇り、北はエクアドルの南西グアヤキルから、南はリマに至る約1000平方kmにもおよぶ王国を築きあげた。チャン・チャンは、古代アンデス最大の都市となったが、15世紀に入るとインカ帝国に滅ぼされ、後にスペインの支配下になると街の中心はトルヒーヨに移り、チャン・チャンは過去のものとなり独自の文化が残った。チャン・チャンの中心部は600ha、シウダデーラと呼ばれる高い城壁で囲まれた9つの方形の大区域と多くの小区域からなる。一番大きな区域は、グランチムー区域であり、チュディ区域は、主要部分の復元が完了し観光客に開放されている。日干し煉瓦(アドベ)で神殿、王宮、儀式の広場などを築き、壁を「魚や鳥の行列」と呼ばれる魚や鳥の文様のレリーフで装飾した。 日干し煉瓦は、きわめてもろい材質のうえ風化しやすいため、保存には多くの問題を抱えている。自然環境も風化の速度を早めており、1986年、「世界遺産リスト」登録と同時に「危機にさらされている世界遺産」にも登録された。
by Yahoo!Japan

得たいの知れない生き物が壁に書かれてる。
DSC_0758.jpg

海のそばってことで、お魚の壁画。あまりにも古さとか歴史を感じられない。
最近、書いたんじゃないかと思われるような絵のセンス。
DSC_0764.jpg

隙間を作るのが好きらしい。なんかこういう壁はちょっとすずしいよね。
DSC_0776.jpg

ガイドもつけずに歩いていて、こういう広場がたまにちょこちょこと登場し、一体何に使われていたのか、
まったく分からないんだけど、もし何に使われていたか分かったところで、僕にとってはあまり関係のないことだ
という観点から、この日1番に入場して、最速のわずかに20分で退場してしまった。
DSC_0789_20110328062413.jpg






そんなちゃんちゃんなチャンチャン遺跡にゃーー。
DSC_0792.jpg



そんなわけで、あまりにもあっさりと見てしまったので、もし僕が古代チムー王国の人と

出会うような事があれば、なんだかあまりにもあっさりと遺跡を見てしまって、

本当に申し訳なくて、ちょっと気まずくて目もあわせられないような気がします。




トルヒーヨから次に目指すはカハマルカ。


結局のところリマなんてのは沖縄そばとカジノ次第なわけで。

2011年03月28日 01:35

リマの写真をずぶずぶっと掘り出していたら、


ちょこっと出てきたので、もう少しだけリマの記事。




こんな大都市リマなのに、地下鉄が無い。



おかげさまの日々巻き起こる大渋滞。


そんなリマを颯爽と走りまくるぼろバス。大してぼろくもないかな。レトロなだけかな。
IMG_0917.jpg

もはや南米全ての国で今のとこお目に掛けてるデモ。ペルーでももれなくデモ。
デモが日常。日本でも神保町の錦華公園 に日曜日辺りに行くとお目にかかれたりしますよ。
IMG_0919.jpg

日本食の食材店。フクシんスケ って。新商品ですか?
IMG_0925.jpg


僕を高山病から救ってくれたソロジチピルの宣伝。世界各国の言語で「こうざんびょうのたいしょほう」って書いてあるみたい。
IMG_0930.jpg






そして、沖縄そば
IMG_0923.jpg

具だくさん、身だくさん。ちょっと味は薄めだったけど、じっくりと煮込まれた豚が良い味出してくれてまして、
いい感じ。ただ北海道出身の僕としては、いかんせん舌の好みが違うらしくて、やっぱり味噌ラーメンが恋しくてたまりません。
IMG_0922_20110327024230.jpg



あと、リマでしたことといえばカジノ通いです。

全然、勝っても無ければ負けてもいないので、なんとなく釈然としない感じだったけど、
夜20時過ぎぐらいに、しれっと遊んでると、しれっと夕食がついてきて、ちょっと嬉しい感じでした。


リマおすすめのカジノの行き方

Fiesta Hotel & Casino

大きな地図で見る

Fiesta Hotel & casino
リマの南北を縦断してるオムニ(専用レーンのあるバス)でEstacion Benavides駅下車。
アルフレド・ベナビデス通りを西へ10分ほど歩くとスーパーの向かいにありますです。

なんとなくおすすめです。


何かが憑いた。

2011年03月26日 12:12

まるまるまるまる一ヶ月過去の話だけど、


僕はクスコからリマへと移動したんだ。


バスで100ソル(3000円)。アンデス山脈を再び一晩で駆け下りた。


夜に出たはずのバスは、リマに辿り着くと再び夜。



今までのアンデス山脈にあるペルーとは打って変わってこのリマは大都市。


いきなり大渋滞が僕をお見舞いする。


とりとめもなく、コンクリートジャングルに来てしまった予感。


ただ、ブラジルのサンパウロとかリオデジャネイロとかの無秩序に広がる感じとは違って、なんとなく秩序を感じる。





そんなりまりまりまりまリマだけど、写真はあんまりありまへん。


で、とりあえず南米に数多く存在するサンフランシスコ教会という名前の教会。

要は、聖フランシスコさんの教会ってこと。

当然もれなくリマにも存在してる。
sanfrancisco_20110326121410.jpg

この教会内をツアーでめぐることにしたのです。


ご親切に英語ガイドつき。


でも写真撮影禁止。だから写真ありません。


ここの図書室は、今思い出してみれば結構な見ものだった気がする。


ファイナルファンタジー5とかで登場するような古風な図書館。


日本に一軒でもそんなのがあれば、多分観光客がいっぱいいっぱいでごったがえすんじゃないかってぐらい、


僕としてはお気に入りの図書室。写真はないんだけれども。


電気は無くても、天井からの自然光の取り入れ方とか、壮観な本棚の並びっぷりとか、


それが壁側のみ2階部分があって、ここにもずらっと並んでいたりして、


とにかくなんだか好きでした。


あと印象に残ってるのは、ここにある最後の晩餐の絵ラテンアメリカバージョン。

一見、何がラテンアメリカなんだか分からないんだけど、

彼らのテーブルの上に載っているのが、ローカルフードのクイ(モルモット)のフライみたいなやつ。



キリストの最後の晩餐にねずみ食ってたってのは、どうにもこうにも想像しがたさ満点でございます。




そして、このサンフランシスコ教会一番の目玉はカタコンベ。



カタコンベという響きだけで、なにやらえらく不気味な印象が伝わってくるかと思うけれども、

その通りえらく不気味な場所で、地下にある納骨堂。


パリにも似たような場所があったけど、そういえば行けなかったんだった。





このカタコンベ。約25000人の人骨が葬られているらしい。


教会の会談を降りていって、地下に入っていくと、一気に雰囲気が大変寒々しくなりまして、


お墓というか、アウシュビッツにあった地下の収容所のような気配を醸し出す。


そして、奥へと進むと長い長い廊下があって、


廊下の脇には、大きな穴がぼつぼつと掘られていて、


その穴の中には、なにやら白いものが見え隠れ。






骨ですね。






そして、人一人分じゃなくて、パーツごとに綺麗に分けられてるらしく、


一つ一つの穴におびただしい数の人骨のパーツが置かれている。



多分このツアーで目にするのは、そのほんの一部なんだろうけどそれにしても


なんだかたくさんだ。



そもそも人骨なんてのは、一体あっただけで結構びびるぜ。




「サンフランシスコ教会 カタコンベ」でGoogle画像検索すれば出てくるとは思うんだけど、



大きな井戸みたいな穴に、人間の頭蓋骨・しゃれこうべが綺麗に円になるように配置してある場所は


なんつーか、とてもシュール。人の頭をおもちゃにして遊んじゃいけません。みたいな。





という事で、ペルー、リマのサンフランシスコ教会レポートでした。






この教会を一歩出た瞬間、肩急にふっと重くなったんだけれども、




何か憑いたのかな・・・。











地震でも無事だったクスコの石組みなんだけど、

2011年03月24日 05:47

なんだかとてもとてもむかしむかしの話になってしまいましたが、


15世紀まで南米に君臨していたインカ帝国の首都のクスコのはなし。



環太平洋地震帯に位置するペルーにも、地球、そして自然が猛威を振るったのは


1650年と1950年。


当時、スペインの植民地と化していたこの街にあった、スペインの建築物は、

地震のせいで、ボロボロと崩れてしまったらしいけど、

インカ帝国時代の建造物は、残ったそうな。

正直なところ、ここを歩いていたところでもし何も知らなかったら、かなりの高確率でそのまま歩き過ぎ去ってしまいそうだったただの石の壁。

よくよく見て、数えてみるとそこには12角があって、通称:12角の石。
DSC_0629.jpg

どうしてこんなにも凹凸の多い石をわざわざ壁に使ったのか知らないけれども、

これはもはやクスコの一大観光名所として、多くの観光客をひきつけてやまない。

場所:Hatunrumiyoc通り(アルマス広場からカテドラルの右手のTriunfo通りをひたすら突き進んでく)



そして、ついでに14角の石。
DSC_0621.jpg

12角の石の割とすぐ近く。

正直、これを見たときのがっかり感ったりゃありゃしない。

確かにこんな石をわざわざ石壁に使用するって言う技術は、当時からしてみたら驚くべきものなのかもしれないけれど、実際問題見ただけで、その凄さがなかなか伝わらない。




感動が伝わらないので、市場へ。市場の屋台の料金表。
ペルーでよくよく食べられる肉と野菜炒めもの ロモサルタードが7.5ソル(230円ぐらい)
正直これなら吉野家に行きたいところ。
DSC_0609.jpg


トマト。とめぃとぉ。
DSC_0616.jpg


市場で売られる牛 ドナドナ。
DSC_0617_20110324052257.jpg

インディヘナのおばちゃん、雨のクスコをゆく。ちぃさんぽ。
DSC_0637.jpg


今日も雑でごめんなさい。
CUSCO2.jpg

近況報告

2011年03月18日 08:29

東北関東大震災の影響で、あまりいつものテンションでブログを書く気分になれないので近況だけ。


ブログではペルーのクスコなんかにいるけれど、

あそこから怒涛の移動をしまくって、もう南米最北の国ベネズエラ。

そして、近日中に飛行機で飛んでメキシコに行く予定。





日本がぎゅっと近づいてきました。



お願いだから、もうこれ以上の不幸があの島国に訪れないよう願います。





それにしても、僕が人生で5本の指に入るぐらい何度も何度も走った宮城県道38号線が


今は津波によってどうなってることやら。


本当に信じられない。



のどかで交通量が少なくて好きな道だったんだけどな。



平日の午後に起こった地震だったから、もし僕が会社を辞めずに働き続けたら、

今頃、車ごと太平洋に流されていたかもしれないわけです。









地震の事とマチュピチュ

2011年03月13日 14:08

今すぐにでも被災地に行って、現在避難してる方々の生活を全力で助けたい気持ちで山々だけど、

残念ながら太平洋を隔てて、南米にいる僕には、何も出来ないので、まず出来ることという事で、

募金させて頂きたいと思います。

http://sites.google.com/site/quake20110311jp/bokin

東京では、被災地に電気を送るために節電を!という事で皆さん協力されてるようですが、

こんなHPを見つけました。
ちょっと感動しました。
http://setsuden.tumblr.com


そして、海外からのメッセージという事でこんな企画もあるみたいです。
最近移動が慌ただしく、なかなか難しそうですが、たまたまスケッチブックを持っていたりもするので、
出来れば協力したいと考えています。


http://ameblo.jp/prayforjapan


なにしろ馴染みのある場所が被害にあっているので、本当に気が気でありません。

そして、あまりに出来る事が少ないので本当に気が気ではありません。



それにしても日本という国は本当に強くて、素敵な国だと思います。

日本という国、そして日本国民が。

他の国で大地震があった際に、秩序が崩壊して、窃盗、放火、強姦などがおきるというニュースを
よく聞くけれど、日本では誰もが当然苦しい状況なのに、協力し合って、秩序を守っていることだけでも、
実は本当に凄い事だと思います。

それだけで、日本人は自信を持っていいはず。

そしてこの地震と一番うまくやってけるのも日本のはず。





しばらく、ブログの更新が途絶えますが、僕は多分元気です。



ということで、マチュピチュです。この画像、どっかで使って頂いて構いません。
machupivhu4-4.jpg




最後の職場が仙台だったので、

2011年03月12日 08:49

まだ、以前の職場の方々にも連絡は取れないし、

彼らの実家が東側の海岸の方の人も何人かいたので、とても心配です。


僕に関係あるとか無いとか関係なく、一人でも多くの方々が救助され、

早く日常生活に戻れるよう祈るばかりです。




海外にいると、日本のニュースに大してあまりリアリティを感じなくなってくるのですが、

こうして実際に住んでいた場所が、大規模の災害にあい、その情報を映像や文章で知ってしまうと、

もう居た堪れなくて仕方がありません。



名取や亘理なんかは、ほぼ毎週2,3回は社用車でお客さんのとこに向かって走っていた場所です。

多分津波のせいでえらいことになってるんだろうけど、交通量の少ない県道38号線を裏道としていつもいつも走ってました。




日曜の午後には、仙台空港に飛行機が着陸する様子を眺めに行ったり、誰もいない冬の若林の荒浜でのんびりと、

これから始まる怒涛の一週間に対して、心を落ち着けたりもしました。


とにかく今回被害にあった多くの場所が僕にとって思い出のある場所で、

あの一体が全部深刻な事になってる事を思うと、本当に気が気ではありません。







もし僕がまだ仙台で働いていたら、今頃恐らく避難所で寒さに震えつつ、

いろんな人に心配かけてた事かと想像します。



3月の仙台はまだまだ寒いはず。





日本の地震に対するありとあらゆる対策を持って、

被害を最小限にとどめて欲しいものです。











マチュピチュに優しく行く方法と優しくなく行く方法

2011年03月11日 10:35

日本人の誰もが一度は



行きたい



って思ってると思われるのかの有名なマチュピチュ。






もう語りつくされてしまった感があり、調べれば、調べるほどほいほいと情報なんて


湧き出てくるだろうから、もう之に関しては簡潔に進めていこうか


あるいは、こんな遺跡きっと誰も知らないだろうみたいな体で行くかもしれません。



結局のところどっちつかず。






はじめに、優しい行き方。

まずここにアクセス。

JTB

日程および予算を選択したら、あとは野となれ山となれ。

日本語の喋れる添乗員さんがきっと至れり尽くせりで何でもしてくれます。

そして、何にも考えなくてもほっといたらマチュピチュに到着。

なんて楽な事なんでしょう。


以上です。最低予算40万円~





安いけど、優しくないマチュピチュへの行き方




まずは日本からペルーの首都リマに辿り着かんとあきません。


なので、こちらのサイトで日本-リマ間の格安航空券を探してみる。

スカイスキャナー


多分、安ければ往復で13万円ぐらいであるんじゃないかな。


まぁ、とにかくリマに到着。


リマに辿り着いたら、次はクスコに行かなくちゃいけない。


ってことで、リマのバス会社にタクシーでゴー。約300円。


多分、お昼過ぎのバスがあるだろうから、それでクスコへゴー。 約3000円。



クスコに辿り着いたとして、早速マチュピチュへ。

ちなみにバスターミナルに到着すると客引きが寄ってくるので、

宿の心配は無いと思います。





いよいよクスコからマチュピチュへ。



本当ならここで電車で行っちゃうという選択肢もあるんだけれど、

そうするとちょっと高くなるし、この記事が成立しなくなるので、それはあえて書かず。





まずクスコの街をとにもかくにも早朝7時前ぐらいに出発して、

タクシーの運転手を捕まえて、

「サンタマリア行きのコレクティーボが出るターミナル連れてってくれ」と言い放つと

きっと連れてってくれます。(150円ぐらい)



とりあえずターミナルに辿り着くと、そこにサンタマリア行きのコレクティーボがあるはずだから、

それに乗って、サンタマリアに行きます。(1000円ぐらい)



なんと、その日朝食を摂っていなくても、もしかしたらドライバーが気を利かせて

ちょっと朝食のために時間を割いてくれるかもしれない。
DSC_0313.jpg



4時間だか5時間だかコレクティーボ(ミニバス)に揺られまくると、サンタマリアに到着。


そして、次はサンタテレサへ。(約300円)

2時間ぐらいかな。相変わらずがんがん揺られて下手すると酔うかも。




そして、サンタテレサに到着してもまだまだ休んじゃいけません。

そこから次に向かうのは水力発電所(HIDRO)までタクシー拾って向かいます。(100円)


そこまでの道のりは川沿いを走りますが、運がいいと自然が作り出すこんな迫力ある

景色を目の当たりに出来ます。
DSC_0325_20110309110058.jpg


で、水力発電所というかマチュピチュの鉄道の入り口みたいなところに辿り着きます。




そこからは何も考えないで、永遠に歩くのみです。

たまに電車がやってきますが轢かれないように、くれぐれも気をつけてください。
DSC_0343.jpg



そして、何気に疲労困憊になります。
DSC_0353.jpg



と、いうことで2時間だか3時間だか歩くとマチュピチュ村到着。


マチュピチュ村ってのはマチュピチュがそびえる山の麓にあって、

まるで日本の温泉地のような雰囲気を醸し出してます。


もっと大切にしてあげてもいいような気もします。
DSC_0358.jpg



マチュピチュ村からマチュピチュへは1日中ひっきりなしに、シャトルバスが行ったりきたりしてるし、

歩いてもいけますが、恐らく相当しんどいです。(700円)



雑でごめんなさい。

チチカカ湖と食パン

2011年03月10日 11:58

チチカカ湖:航行可能な湖では世界一標高の高い湖


世界中の世界一をとりあえず抑えておきたい僕としては、とりあえず行っておきたかった湖。


プーノから日帰りでも1泊でも島巡りが出来る。


本当は、どこか島に泊まってのんびりしようかなんて考えていたんだけれど、

長らく滞在したボリビアを折角出国したというのに、プーノというのは、対岸にまだボリビアが

あったりして、そのボリビアの束縛から逃れたくなって、日帰りツアーに参加。

正直、理由が解せなすぎる。



簡潔に言うと、テンションの低下






とにもかくにも30ソル(900円)ぐらいの日本だったら有り得ない格安なお金を払って、

日帰りツアーに行ってきた。

プーノを出発して、船はまったりゆっくりと僕を睡眠に誘うかのように進む。

そして、チチカカ湖の景色なんかどうでもよくなって完全に夢の中にいるときに、

早々に島到着。



ウロス島

まず猫。
DSC_0156.jpg


で、家。
isladelosuros.jpg



このようなミニチュアな島がウロス島。人造の島で、トトラと呼ばれる葦を積み合わせて作られてる。
ほっとくと沈んでいくから、毎シーズンのメンテナンスが重要なそうな。
DSC_0177.jpg

そして、ウロス島っていうのはひとつの島ではなくて、いくつもの集落がいくつもの島を作って成立している浮島で、40ほどあるそうな。

で、最初に辿り着いた島から、違う島へと移動する際に追加料金を支払うと、こんなレゴかなんかでオプションでついてきそうな危うい船に乗れちゃう。僕は文明の利器を信じて、元々乗ってきたボートに乗った。
DSC_0176.jpg



そしてウロス島での短くも薄い淡白な観光を終えると、ボートは標高4000メートルにもなろうかという湖の上をやや冷たい風を切りまくること3時間。

タキーレ島(Isla Taquile)

人口1600人の島。



大変素朴。

味付けが塩しかされていない素パスタのような素朴さ。




素朴なんだけど、残念ながらそこにはツアーというしがらみが縛りつき、まとわりつく。


下船して、とりあえず有無を言わせず島の中心に続いている一本道を歩かされる。


歩かされて、その道の両脇のところどころに点在するこれまた素朴な現地のお土産売りのかたがたを

颯爽にスルーして、一見のお家に辿り着く。



そして、そこに用意されたチェアーに全員が着席すると、

自動的にその一家による極めてやる気のないダンスが開始される。
DSC_0197.jpg

もう茶番としか言いようのないダンス。

そしてデジャブがやってくる。

そうだ、もう本当に2年近く前の話になるけど2009年5月に中国の貴陽からアジア最大の黄果樹大瀑布に行ったときだ。
そんときの記事

そのときも少数民族が勝手に目の前で踊って、いかんせんやる気がなかった。





少数民族の方々に、無理やり躍らせるのとか止めようぜ。って思う。

そのやる気のなさがひしひしと伝わってきて、こっちとしてもひしひしと、

搾取する側とされる側の構図みたいなのが勝手に想像されて、

資本主義に嫌気が差してくるので。





そして、ダンスの後には食事が用意されてるんだけど、それは有料




丸一日のツアーで、食事が有料というのもどうかと思うけど、

僕は食事が有料でしかも割と高いということも知っていたので、

大量のバナナを買い込んできたから、

ガイドに「俺、飯いらないんだけど、もっと自由に動きたいんだけど・・・」

と果敢にも申し出ると、

「じゃあ、スクエアで待っててくれ」との事。


ちょっと待ってスクエアってどこだ?とは思ったし、

如何せん不親切で場所の説明も地図も無かったから、

不安ではあったんだけど、とりあえずツアーメンバーたちを全員置き去りにして、

僕は一人、その家を離れてそのスクエアへと向かった。





そのガイドの不親切さに本当はもっと文句を言いたかったところなんだけど、

如何せん狭い島で、スクエアは簡単に見つかってしまった。

ツアーから解き放たれた僕は、タキーレ島の素朴さを存分に楽しむ。
DSC_0200.jpg

そして、カラフル。こんな格好をして、日本を歩いていたら浮きまくる事間違いなし。
DSC_0193.jpg


日本では浮きまくること、間違いないのに、この島では完全にデファクトスタンダード。
DSC_0225-1.jpg

島のおじさんたち。
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そして、シュール。
DSC_0236.jpg

いかんせん、シュールすぎる。この子はいつまで1枚の食パンを持ってほっつきあるってるんだ。
DSC_0239.jpg

もうこの子に僕は魅了されてしまって、というかあまりにその食パンの重さに打ちひしがれてしまう。

彼女は、いつまで経っても食パンを食べもしないし、とにかくずっと食パンを手に持って、

その辺をうろちょろしてるだけなんだ。




そして、しまいにはその食パンを地面に落としてしまう。








泣きそうになった。





切な過ぎる。







切な過ぎるので僕はその場所を後にして、勝手に村を歩く。ほとんどがツアーで移動制限されてるだけに、この行き先が気になる。
taquire6.jpg

気になって扉の先に行ってみたら、大して何もなく、

僕は再びツアーに合流すると、早々と帰りのボートが待つ島の反対側へと歩かされる。


おいおい、食事した人たち全然島でのんびり出来ないじゃないか。


とか思ったけど、ツアーが当たり前の人たちにとってそんなことはお茶の子さいさいらしくて、

特に何の文句もなく、とにもかくにも帰路へ。

おみやげ一覧。
DSC_0275_20110308095123.jpg


そんなチチカカ湖島巡りツアー。
taquire.jpg


一泊したりしたら、もっと色んな思い出作れたんだろうけど、僕にはこれで十分。

なにしろこの島の雰囲気、日本の離島とか海岸沿いの段々畑とかのある地域にもどこか似たところがあって、

ま、先住民の皆さんに日本でお目にかかるのはなかなか難しいけれども

やっぱり日本っていうのは島国なんだなっていうのを改めて思い返したりもした。
























うまれてはじめてペルーにきました

2011年03月08日 11:30

コパカバーナをわずかに1泊のみの滞在とし、

次に目指すはプーノ。





いよいよペルー。




コパカバーナからプーノまでは、いくらでも腐るほどバスが走っていて、

適当な旅行会社で25Bs(600円)で購入した。


コパカバーナを13時に出発したバスは、出てまもなくボリビア-ペルー国境に辿り着く。


この国境では、警察に貴重品チェックされて現金抜かれるとかって可愛らしくない所業が

たまにあるらしいけど、警察に声も掛けられず。



そういえば、親子で国境越えしてる日本人の3人家族がいた。

こういう人たちを見ると日本という現実が近づいた気がする。




ペルー入国したものの車窓の変化は特に無く、チチカカ湖沿いをバスは走り続ける。

標高が高いせいか、青空も湖もより青くより濃く見える。


自転車で走っていたら、途中下車して、じっくり写真取れるんだけどなぁ。

彼はここを走ったのか・・。ちょっと羨ましいななんて

ウユニ以来何日間かずっと一緒にいたチャリダー2人けんくんとかずくんに思いを馳せる。

2人のブログはこちら。
Border Cycle Diaries
Road to World Trip“自転車”世界一周踏闘記

彼らは今頃パタゴニア激走中のはず。

僕もパタゴニアを自転車で走りたい。もし地球の時間が3ヶ月ぐらいぴたりと止まったら僕はひっそりとパタゴニアを誰かの自転車をこっそりと拝借して、走りに行って、戻ってきて、ひっそりと返そうと思います。


とにかくそういうことで、プーノに到着。


プーノでは、「Manco Capac Inn」なる宿を色んな人に薦められていたので、

大人しくそこに行こうと思って、バスターミナルをとりあえずうろつく。


すると、「俺がManco Capac Innのスタッフ」だと名乗る親父がやってきて、

「はぁ、そうですか。じゃあ、サービス無いんですか?」って聞いてみると、

「それは自腹で行ってくれ、一緒に行くよ」といわれて、

なんとも怪しかったし、タクシーで移動してる間ずっと「ツアーはいかがですか?」

みたいな話になって「はぁ、はぁ」と聞き流していたら、宿に到着。




そして、「Manco Capac Inn」に到着して、タクシー代を払って、チェックインを済ませて、


レセプションの台にでかでかと書いてある注意書きみたいな日本語を読んでみると、

「ここのスタッフだと名乗って、ツアー勧誘してくる人いるけど、気をつけて」



やれやれ。

このおっさんのことじゃないか。



このおじさんの時間が浪費されてしまう事に多少の自責の念を感じつつも、

仕方なく、僕はこのおっさんを冷たくあしらい、プーノの町へと出かけてみた。




そして、どういうわけかプーノの写真が1枚も無い事に今気づく。



プーノという町は所詮、そういう町だったという事で、

僕は翌朝チチカカ湖に浮かぶ島に行くツアーへと出かけた。

プーノ宿情報:

Manco capac Inn 住所:Jr. Tacna N277 Puno 料金:15ソル Wifiあり。
ホットシャワーは、お湯を出しっぱなしにしとけばそのうち出る。


ハイダイナミックレンジなコパカバーナ

2011年03月07日 09:43

中国編、インド編に告ぐ記事数になってしまったボリビア編

30記事を超えてしまった。

何しろ色々あったから。



かれこれトータルで30日以上も居てしまったラパスを出発することわずか3時間とちょっと。


世界で一番高いところ?にある湖チチカカ湖畔のコパカバーナ到着。



正直、特に面白いこともなかったのでハイダミックレンジな写真で、

コパカバーナをご紹介。

まずはこの町唯一無二の観光名所サンフランシスコ教会(ほかにもあるかも分からないけど)
sanfrancisco.jpg


写真撮影禁止!門外不出の教会内部
copa11.jpg



本当は、ここから太陽の島(Isla de sol)ってとこに皆こぞって行くんだけど、僕はスルーして、

とりあえず山登ってみた。標高高くてしんどかった。

でもこっからの景色綺麗だった。
copa6.jpg


そして、サンフランシスコ教会の裏にあるFlorenciaって宿のおばちゃんが日本人びいきで、

その宿のてっぺんは通称・天守閣、4面ガラス張りの部屋があって、そこに泊めさせてくれたんだけど、

どこからでも見えすぎて、全然落ち着かない。

でも景色は綺麗。
copa8.jpg


ミシン!
copa9.jpg



以上、コパカバーナ終了。
copa2.jpg


どう?行ってみたくなったでしょ。

ラパスのカジノで5戦5勝する方法売ります

2011年03月05日 10:31


僕はこの方法を見出したおかげで、ウユニからラパスに戻ってきて数日間、

お金も降ろさずに、

この通り日本食三昧。カツカレー、ばかうま。
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ラパスで有名な日本食料理屋のけんちゃんってあるけど、
(これはけんちゃん)
DSC_0043.jpg


そこよりも俄然うまい「わがまま」っての見つけて日本食三昧。


最終日なんて、カレーと天ぷらうどんの両方を頼んでしまうなんで荒業にでてしまう始末。
DSC_0046.jpg

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とにかくこれは本当に満たされた。

当分「日本食食べたい、日本帰りたい」なんて弱音はかなくていいぐらい、本当に満たされまくった。




肝心のカジノ必勝法。って言っても必勝法ではなくて、

たまたまラパスのルーレットが予定外な事してくれなかっただけなのかな。

教えて欲しい人は、言い値で売ります。

ただ説明がすこぶる面倒です。そして、それで損した時の責任を一切負いません。

さらに聞くとちょっとがっかりするかもしれません。

でも、100ドルを105ドルにするぐらいなら余裕です。

でも2-4-8-16-32って奴じゃないです。




世界で唯一標高4000メートルでフル出場可能な大統領

2011年03月04日 09:12

ウユニを後にするはずの日。

するはずというかしたけど。



ウユニで宿泊していた駅前にある安宿Avenidaの向かえのレストランがあわただしかった。



何事?と思ったら、大統領が居た。


恐らく日本人でその名前を知っているのは1%に満たないと思うけど、

ボリビアで先住民初の大統領になったエボ・モラレス


ボリビアをバスで走ってると、車窓からの長めで古ぼけた今にも崩れてしまいそうな土壁の家に、

EVO,EVO,EVOって本当しつこく書いてある。


そのエボが居た。



何しにウユニまで来たのかと思いきやサッカーしてた。




ウユニに新しい競技場を作るらしい。


標高4000メートルあるんですけど。

絶対国際試合とか出来るわけないんですけど。



この大統領、ボリビアの標高の高い場所にある競技場がFIFA公式試合で認められない事に怒って、
わざと標高の高いとこで試合したりするらしいけど、
どう考えてもハンデありすぎ。

メンバーの半分、高山病とか有り得るし。下手したら、全員とかありうるし。


それでも、とりあえず芝生が出来上がったのでサッカーでもしてみますか?ってことで、

サッカーしてた。
CSC_0030.jpg



元気なおっさんや。
DSC_6663.jpg


そしてもちろんこの国の愛すべき大統領なので、市民の方々は大統領を応援と思いきや、
大統領チームの対抗がウユニチームなので、みんな地元チーム応援。
大統領、敵。
CSC_6675.jpg


とはいえ、大統領。
どの方も気を付き合ってか、って当然そうだろうけど、ラフプレー、ほとんど無かったです。
なごやかな試合でした。
DSC_6681.jpg





エボモラレス大統領、この翌々日ぐらいに砂糖の40%値上げを発表しまして、
再びボリビアはデモの連鎖が開始されます。

サッカーしてる場合じゃねぇじゃん。
CSC_0004_20110303092151.jpg




そして、僕はラパスに戻るんだけどこんな事になっていたせいで8時間で到着するはずなのに、
20時間ぐらいかかってしまいました。
DSC_0007.jpg

おかげで綺麗な朝日に反射した赤い赤い雲を見ることが出来ました。
DSC_0009.jpg



ちゃんちゃん。



ウユニ塩湖に行ったはずなのに宇宙に行ってきた写真

2011年03月03日 09:05

気づいたら、ブログが1ヶ月近くの遅延を来たしてた。

ウユニで引っ張りすぎた。

引っ張りすぎて、後続のペルー各地(っていってもわずかだけど)の記事は雑になりますが、ご了承下さい。




さて、ウユニ。


今現在もウユニ塩湖が鏡張りになってることを僕は心より願ってるわけですが、

これは2011年のウユニ塩湖がまだ鏡張りになりたての頃のちょうど一ヶ月ぐらい前の話。



ウユニの魅力は下記の記事でこれでもかと伝えまくりました。

ウユニ塩湖のトリック写真とかじゃなくて、敢えてふんどしとか履いてふざけまくった写真
ウユニ塩湖の割と大変なことになってる陽が昇る前後の写真
ウユニ塩湖の普通に絶景で言葉にならなくなる写真
ウユニ塩湖のまぁまぁ美しい写真
ウユニ塩湖の序の口画像

このセンスのないタイトルには、いかんせん僕のセンスの無さに気づかされてしまってがっかりなわけですが、
ウユニ塩湖で撮影した写真の最後をしめくくらせて頂きます。






ウユニ塩湖が鏡張りになると、こんな風に空の模様がそのまま湖にも映ります。
DSC_6580.jpg



そして、これは夜も同様というわけです。

ただ、夜はどういうわけかウユニ塩湖には激しい風が吹きまくっていました。

多分、夜だからだと思うんですけど。

ということで、深夜12時ぐらいになってウユニ塩湖の真ん中にひっそりと立つ塩のホテル(プラヤブランカ)野中で、ぐだぐだと仲間を全力で騙しあう人間不信になりかねないダハブゲームというのをしてたんですね。

そして、何度か外を見に行っても、満点の星空が見えるものの風が強くて湖面には何にも映ってないんです。


だから、あー今回はだめかなとか思ったんです。

そもそも僕は星空が湖面に映る状況なんて、まさか見えるなんて思ってないし、

これだけ美しい鏡張りのウユニ塩湖が見れたからもう十分満足だったんです。



それでもダハブゲームを延々と続けて、深夜1時ぐらいだったかと思うんですけど、

しれっと外に出てみたんですね。

そうするとさっきまでごぉごぉと吹いていた風が急に止んでるわけですね。

そして、あたりを見渡すとさっきまで真っ暗になっていた視界の下の部分がどうも光ってるんですね。

この表現はどうにも難しいんですけど、とりあえず湖面が輝いてるんです。




おやおや



ってなるじゃないですか。



そして、ダハブゲーム中断で全員外に出るわけですよね。





そして、宇宙を歩いたわけです。



足元に星が落ちてるんですよ。


ちょっとこれは信じられない状況ですよね。


だって、僕は生まれてかれこれ28年間何度も何度も星空を見上げてきたわけですけど

見下ろしたっていうのは、僕史上初なんですよ。


DSC_6503-1.jpg

ちょっと分かりにくいかも知れないですけど、こういうことなんですね。



こういうこと。
uchuu2.jpg



足元に星があると、いかんせん距離感みたいなのがつかめなくなってしまいます。

何しろ先に見えるのがほとんど何も見えなくて上下左右全部星なんですよ。


ちょっと歩くのが怖いんですよ。



落ちるかもしれない恐怖なんですよ。



そして、あまりにも寒いんですよ。


でも、とにかく神秘的すぎるというか、その状況を信じるのが難しいわけですよ。
DSC_6505_20110303085123.jpg




なんていうか今でも自分があの場所にいたっていうのが信じられない。


だから写真撮っておいて良かった。なんだかんだで。



僕はこんな経験をして、もう死んでもいいんじゃないかってぐらい幸せです。

でもまだまだ生きます、きっと。












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