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催涙ガスかけまくり祭り

2011年01月26日 07:25


12月30日 午後。



再び町が騒がしくなる。

午前中の比じゃない。

街の大通りへと出てみると、大勢のデモ団体がデモに繰り出した。

皆で渡れば怖くない。をモットーに関係各所に怒られるかもしれないけれども、
これまで培った危険アンテナが察するに、どう考えても安全だ。

ってことで、日本人何人かでデモの震源地へ行ってみた。

デモをすることに慣れてるのか、使い古したひし形のカラフルな旗を持ってる人々が多かった。
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笑いながらデモ行進をしてる人も多数。
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たまぁに、花火鉄砲が煙を吹く。

「パン!」
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本物じゃないのは分かってるんだけど、音がリアルで心地よくない。



デモの人数は、本当におびただしい数がいて、それぞれに先頭の誰かの掛け声に乗って、
なんやかんやとシュプレヒコールをあげていた。
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こんな民族服を着た、おばちゃんにとってもガソリン代の値上げは切実らしく、インディヘナのおばちゃんが大勢デモに参加。なんというか彼女らを見ていると、あまりその切迫感がなく、現実感が薄れていく・・・。
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さらに中心部へ。大統領府へと近づいていく。全てのデモ隊が大統領府へと向かって近づいていった。

大統領府まで残り100メートルぐらいの交差点にたどり着く。


デモ隊は渋滞を起こし、これ以上進むのがかなり困難になっていたみたいだ。


その脇をくぐって、もう少しだけ大統領府へと近づく。







周りの様子がおかしくなる。






一部の人々が後退を始める。







「どうした?」




そう思って、10秒ぐらいすると、

喉の痛みが発生し、涙が出てくる。





「あれ?」


何にも悲しいことも、感動したことも、うれしいこともないのに。





どうやら催涙ガスが巻かれたらしい。





ということで、口を押さえて、のそのそと退却。




ボリビア人のデモ隊もさっさーっと退却。


生まれて初めて、催涙ガスを味わったけど、なんか想像通りのリアクションが僕の体に起こった。



確かに、これは言うこと聞かない輩には効果てきめん。





ところが、このままじゃ生死に関わる政策が施行されてしまって、そういうわけには行かないデモ隊チーム。

「おい、おまえら、こんなことで逃げちゃいかんぜ。もっかい集まって、デモろうぜ。」

催涙ガスのせいで、解散を余儀なくされたデモ隊。
こんな掛け声にも、やっぱり催涙ガスが怖いのか、集まりがよろしくない。



こんなことでいいのか?



そんな風に思っていると、半数ぐらいが勇気をだして、再びチーム結成し、大統領府へと向かっていった。





違う場所では、火が炊きつけられてて、物々しい。
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そして、中心部からバイク隊出動。
どうやら彼らが、催涙ガスを放ってるっぽい。ボリビア人デモ隊は彼らにブーイング。
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僕も、もう催涙ガスを浴びるのはあまり気持ち良くないので、のんきに体重測定して、帰宅。
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そんな1日。
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正直、平和だとか戦争だとか混乱だとかもうどうでも良くて、もうそんな言葉も捨ててしまって、
とにかくただただ何てことない日常が永遠に続けばいいと思います。


そんなことを願って、僕はラーメンを食べたのです。
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平和の反対

2011年01月25日 07:17


更新が途絶えたときは、何かあったときです。

まぁ、実際に何かあったわけだけど、正直大したことでもないので、
後日アップします。




年末のラパス。

ラパスの大統領エボ・モラレスがベネズエラへの外遊中にいきなりクレイジーな政策を発表する。




その内容とは、ボリビアでガソリン価格を低く抑えるために政府から大量の補助金が
支出されていたわけだけど、それを取り止めるというもの。
おかげで、ガソリン価格が80%強値上がることになった。
その理由は、近隣諸国に安いボリビアのガソリンが密輸されてるためだとか。


ガソリン価格の高騰は、すぐさまバスなどの交通費、宿代、食費なんかに反映され、
特に交通費に関しては、ほとんどが2倍になった。


以前なら1,000円やそこらでラパスからの夜行バスに乗れたはずが全て2000円近くに。
ツーリストにとっても大打撃だけど、もちろん国民にとっては生死に関わる問題。

そして、発表から3日か4日後ラパスでは大規模なデモやストライキが実施される。
僕は始めから移動の予定もなかったので、宿でじっとしていれば済む問題だったけど、
近日中に飛行機が迫っている会社の冬休みで南米を旅行してる日本人なんかは、ずいぶんと大変だったみたい。



ラパスでデモが大々的に起きた12月30日は朝からずいぶんとうるさかった。
花火なのか銃声なのかわからないけど、パンパンと。
町の至るとこで発砲が起きていた。


宿の屋上から、その様子をのぞくと銃声ではなくて、花火だってことはすぐに分かった。
最近、市場ではニューイヤーに向けて花火がたくさん売られ始めていて、

そのうちのひとつに銃の形をしたものがあり、恐らくそれをパンパン鳴らしてたんだろう。
宿のスタッフに、この音はなんだ?と聞くと

「今日は祭りだ」との回答。大概、この宿のスタッフは適当なので、その回答については適当に流しとく。


午前中に一度、町に出てその騒ぎを見に行ってみた。


デモを一件、発見。
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ほとんどの騒ぎはみんな終わってしまい、大統領府のあるムリーリョ広場周辺は、
全て警察によってゲートが施され、一般人は近づけないようになっていた。

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そして、インタビューをされる地元民。
そういうことで、いったん騒ぎは収まったみたいだった。
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つづく。

門外不出のばばぁの動画

2011年01月19日 17:45


ラパスって町は、それほどこれといってやることのある町じゃないんだけど、


ほかではそうそう味わえないクレイジーなイベントが用意されてる。





そのひとつが、毎週日曜日にラパスの隣のエルアルトで開催されるプロレス。

このプロレス。ジモティに恐ろしく人気のようで、この魑魅魍魎とした長蛇の列。
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そして、会場への入場の際も、秩序は失われて、地元のボリビア人達は、何者かに執拗に追われて逃れてるかのように、われ先へと狭い狭い会場入り口へと押し寄せる。

なんか、それを見てるとすでにプロレスが始まってるみたいだった。



いっちょ前に外人料金と地元民料金が設定され、外人は半ば強制的に最前列で見物することとなる。
(外人は50ボリ、600円)
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正直、僕がこのプロレスをみて思ったことは、


「こんな茶番見たことねぇ」
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僕は、そもそも生のプロレスというのを見たことがなかったので、これが一般的なプロレスと比べてどうなんだかさっぱり分からないけど、3時間も同じパターンで勝負が決する戦いを見せられて、
僕はあえなく最前列で、腕を組み、足を前に出し、夢の中へと放り込まれてしまったのです。


ただ、観客たちは、ポップコーンやジュースの入ったペットボトルを、ひたすらヒール役のプロレスラーに投げつけることをやめず、最前列にいる僕らには、その破片がたまにかかってくるのです。

僕としては、もうプロレスラーはどうでもいいから、その後ろからいろんな物を投げてくるやつらに一人一人ラリアットで殴りつけてやりたい気持ちでいっぱいでした。






そして、このプロレスの恐らくメインディッシュぽい戦いがインディヘナのおばちゃんが登場する試合。


恐らく外人のほとんどはそれを期待して、見に行くのです。


そして、これがそれです。



結構、面白いでしょ。でも、技のパターンとか同じなので飽きてくるのです。

生姜焼きとキリスト

2011年01月18日 10:54

ポトシからあっちゅう間にラパスに到着。


僕の長い長いラパス生活の始まりです。



さて、まず右も左も分からないこのラパスでやったことはこれ。


生姜焼き定食を食べる。
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これが実にうまい。うまいというか、日本基準で考えれば至って普通の生姜焼き定食なわけで、恐らくその行為が何らかの意味を持つとすれば、空腹を満たす以外の何者でもないはずなのに、こうして海外で本格的に日本食を食べられるというのは、しかもそれが久々だったりすると尚更、僕を幸福というものも一緒に味あわせてくれる。

結局、その後もこのお店には5回ほど通っております。



そして、期せずしてラパスの町にはまもなくクリスマスが訪れた。

昨年のクリスマスはイスタンブールにいて、イスラム教の国のせいかそのイベントを
あえて無視しているのか、はじめから関係ないのか知らないけど、
とにかくクリスマスの存在そのものが去年は抹殺されていた。


そして、2010年のクリスマス。


ボリビアは、カトリックの国なのでまさしく正真正銘その生誕を祝福するべき何かしらが行われるはずだと思ったんだけど、別にドンちゃん騒ぎをするわけでもなく、粛々と教会でミサがいつもどおり執り行われていた。
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ヨーロッパと違うのは、楽器がパイプオルガンじゃなくて、

チャランゴとかってギターみたいな楽器で、ラテンな曲が奏でられてた。



そんな感じで、クリスマスだからって、たいしたイベントもなく、

僕もキリスト教徒ではないし、その辺は勝手にやっていただいて結構なので、

12月25日は、割と平然と過ぎていったのでした。




おしまい。

ポトシのきれいなきれいな写真

2011年01月16日 08:35

そもそも、ポトシってどこにあるか知らないでしょ。

それ以前にボリビアすらどこにあるか知らないでしょ。


ここ。

より大きな地図で ポトシ を表示


高山病で苦しむ中、獲った写真の何枚かです。



最近、このうちの写真の何枚かを人に見せ付けて

「おぉおおー」って言わせてやりました。

サンフランシスコ教会の屋上から その1
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サンフランシスコ教会の屋上から その2
potosi4.jpg


いい感じでしょ。

ポトシの通り
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あとはたいした事ありませんが。
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実はクリスマス前だったので、片っ端から両手両足をもいでやりたくなるぐらい可愛すぎる天使達が販売されとりました。
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実はクリスマス前だったので、ポトシの町もいっちょまえにイルミネーションされちょりまして、
町の雰囲気は平和そのものでした。
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以上 ポトシでした。

過酷過ぎる環境で働く男たち

2011年01月15日 09:35

もういい加減に帰してくれ。という想いとは裏腹に、


ガイドは、僕らをさらに最深部へと導く。

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「どこまで行くんじゃ?」

その思いは、僕と、ドイツ人のジェームスと、オーストラリア人のジェームスも一緒。


にもかかわらず、困難なジャンプやはしごくだりや滑り台を終えると、


ガイドは、

「イージー?」と聞いてきて、余裕を見せる。


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コカのはを噛んでいたおかげか、頭痛はなかったけど、意識は相変わらずはっきりとせず、


朦朧としながら、そんな障害を乗り越えていく。



残念なのは、それが帰り道ではなく、進んでいるんだという事実。




あー、つらい。





ある程度深い場所にたどり着くと、ガイドのダイナマイト講習が始まる。



「そのかばんに入ってるダイナマイトを貸してくれ」と言われ、


商店で買ってきたダイナマイトをガイドに渡す。
ガイドはそれを受け取ると、おもむろにライターを取り出し、
いきなりダイナマイトに火をつけ始める。




いや、いや、いや、いや、いや



死んじゃうから。






そうやって、ある程度僕らをびびらせると、

ダイナマイトは、一緒にニトログリセリンやなんかで発火しないと意味がなくて、

爆発しねぇんだぜ。って話を進める。


たとえ、それがどんなに頭で理解できていたとしても、

目の前でダイナマイトに火をつけられたら、たまったもんじゃない。

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それから、少し上ったり下ったりを続けると、ようやく現地の作業員が働いている場所にたどり着いた。



彼は小さなノミみたいな工具で、カンカンと石をたたき続けていた。

こんなにも塵にまみれて、空気が美味しくない場所で、

こんなにも地味な作業を永遠と続けていると思うと、

なんか悲しくなってくる。

しかも、賃金なんて、日本の高校生がマクドナルドで一日バイトするよりもよっぽど低い。

世の中はこうして、うまいこと搾取する側とされる側に分かれて

回ってるんだということがしみじみと理解できる。






おそらく折り返し地点を過ぎて、来た道を再び上ったり下ったりしながら戻る。




そして、ダイナマイトポイントにたどり着くと、
完全にセッティングされたダイナマイトを持ったガイドが、
はしゃぎながら、一人だけ、道の奥へ奥へと進んでいく。



僕らは、その間に天井が木で覆われた場所で待機しろと指示され、
緊張の時間が始まる。

ガイドがちょっとすると戻ってきて、全員でその場所で、ライトを消して、
完全なる闇の中、ひたすらダイナマイトが爆破される瞬間を待ち続ける。

僕はデジカメで動画を取りつつ、その言い知れぬ緊張タイムを

漆黒の暗闇の中、じっと待ち続ける。


導線の長さは約1分ぐらいだと聞いていて、

デジカメに表示される時間でカウントしていたものの、

1分経っても爆発は起きず、まさか不発?なんて想像もしつつ、

さらに待つ。



このまま爆発して、万が一落盤でも起きたらどうしよう?なんて恐怖に襲われる。
それでも、毎日毎日こういうツアーが開催されて、毎回ダイナマイト爆破してんだから、
大丈夫だろうと納得させ、爆破の瞬間を待ち続けた。





そして、「ボフっ」という鈍い音とともに、

あたりが一瞬明るくなり、目の前に今までに大量の塵が舞った。

それがすべて。



結局、ダイナマイトを爆破したところで、何がどうなったんだかよく分からない。

動画がアップロードできないので、そのうち。


帰り道に父子で作業をしている現場に寄る。

そこでは本当に若い10代前半の男の子が、父親の手伝いをしていた。
ガイド曰く「父が死んだら、彼がこの作業場を継ぐんだ」との事。
それにしても若すぎる。こんなに若くから塵を吸いまくって、
塵肺の病気にならないわけがない。
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そして、最後にこの鉱山の守り神だかなんだか分からないけど、

そいつに96度のアルコールをかけたくり、なぜか僕の指にアルコールをたらされて

指に火をつけ、その火でタバコに火をつけるという、あまりに訳の分からない行為のおかげで、

僕の親指は、一瞬の間、火まみれ。そして、それはめちゃくちゃ暑く。

軽いやけどを負う。

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そんな感じで、ツアー終了。

鉱山から出口に出れた瞬間は嬉しすぎた。



一人、オーストラリア人が購入したダイナマイトは結局使用されず、鉱夫に渡されることもなく、
そのまま残ってしまい、


「おい、このダイナマイト残ってるけど、どうすんだ?」との質問の回答は、

「じゃ、おみやげにお前の国もって帰っちゃえ」との事でした。



以上。

しんどいしんどい鉱山ツアー体験記でした。



こんなにしんどい鉱山に毎日入って作業をしている彼らのタフさは計り知れないけど、
彼らの将来を案ずると、暗い未来が見え隠れしてきて、なんともいえない気持ちになります。

すべてはお金のためなんです。





標高4000メートルの鉱山で2メートルジャンプ

2011年01月13日 23:33

さて、高山病にやられにやられまくってポトシ到着からすでに4日目。



もういい加減、この町にも未練がなくなり、やるべきことはひとつとなった。



鉱山ツアー。



そもそもこのツアーのためにこの町に来たっていうのに、ただただ高山病に苦しみまくって、
それどころじゃなくて、時間を無駄に浪費し続けた。

物価が安くてなにより。



出発の際にありとあらゆる私物のほとんどを宿においていくよう指示され、
体が外に出る部分は、すべて用意された鉱山ツアー用のユニフォームで覆われる。

こんな感じ。
DSC_4109.jpg


ツアー用のバンが出発すると、車はポトシの町をぐんぐん登り始める。
ただでさえ高い標高が、さらに高くなる。

そして、ちょっとするとある商店の前で降ろされて、

半ば強制的に

コカの葉(コカインの原料になる)

ジュース

そして、ダイナマイト



を購入させられる。



鉱山の入り口にたどり着くと、

そこからはポトシの町が一望出来た。

空の青さや、雲の近さ、なだらかなのに木々が一切生えてない丘なんかが、

標高の高さを物語る。

2009年7月に訪れた中国のリタンも標高4000メートル強だったけど、

なんとなーく似てる。
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そこで、ツアーガイドがどういうわけか96度の酒を

というか、もはやただのアルコールを

「いいから飲め」といわんばかりに、勧めてきやがる。


まだ高山病が治りきらない状況で、この96度はかなり来る。

アルコールが体に完全に支配される。これから鉱山に入るというのに。




そして、トロッコを先に行かせると、僕らも鉱山へと入場。
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入って、早々目の前には塵が舞う。
僕らはゴーグルもマスクも支給されず、呼吸の度にその塵が入っていくんだろうなって
状況が想像される。

そりゃ早死にしちゃうよ。って懸念を他所に

ガイドは坑道を突き進む。

天井に気をつけつつ、腰を低くしながら歩くものの

時折、誰かが勢いよく頭をぶつける。


ガンっ!


そして、その誰かは大概、僕だ。


ただでさえ標高が高く、昨日まで高山病でやられていて、
今だっておそらく薬のおかげで頭痛が抑えられてて、
さらには96度のお酒やら、コカの葉を噛んだりしてるわけで、
意識も朦朧としている状況で、
この坑道を歩き続けるのは結構しんどい。


そして、ただ歩くだけかと思いきや、想定外のアスレチックが登場する。


おそらく2メートルぐらいありそうな穴を壁をつたいつつ、ジャンプをしてみたりするわけだけど、
着地地点が、ぼろい木の板で、さらにその下に深い穴があったりなんかして、
正直、こんな鉱山でやるアトラクションとは思えない。



太っている人間には通り抜けられるかどうか危うい穴を滑ってくぐったりなんかもする。


こんなツアーだなんて聞いてなかった。



もうこんなのやだ。



もう帰りたい。。。








つづく。





世界一周航空券の半額で世界一周する方法

2011年01月08日 12:38

新年明けましておめでとうございまくります。


2011年になりましたね。とっくに。




多分、今年も続々と多くと夢と希望と野望に満ち溢れた日本人の方々が、


世界一周に旅立つんじゃないかと存じます。




で、世界一周航空券を検討されまくってる方も多々いらっしゃるかと存じますが、


実際、世界一周航空券使ってる人って大変そぉやなと思ったから、


勝手に、世界一周航空券使わないで、格安航空会社とか使ってみたりしたら、


どんなもんなんだろと思って、勝手に調べてみました。


多分、これ以上安いのもいくらでもあるかろうと思います。

そして、なにしろ世界一周航空券の事を僕は良く知りません。



2011年4月出発で。


羽田       →  クアラルンプール、マレーシア  :Air Asia 21,000Yen

適当に東南アジアで遊んで

クアラルンプール →  ダッカ、バングラデッシュ    :Air Asia 12,000Yen

バングラデッシュからインドには陸路で入って

デリー、インド  →  シャルジャ、UAE         :Air Arabia 13,000Yen

ここはただのトランジット、

シャルジャ    →  イスタンブール、トルコ     :Air Arabia 12,000Yen


そして、この後アフリカ縦断でもするなら、

ケープタウン   →  ブエノスアイレス        :Air Malaysia 45,000Yen

ヨーロッパから南米飛ぶなら

マドリード    →  ブエノスアイレス        :Alitalia  61,000Yen
 

で、南米陸路でさっくり縦断して


ボゴタ     →   ニューヨーク          :Spirit Air 18,000Yen


そんで、北米もさっくり横断して、


バンクーバー  →  成田               :Korean Air 47,000Yen




ということで、雑な記事だけど、こうして回れば

陸路でがっつり回る羽目にもなるけど、20万円以内で回れるし、

効率のいい動きが出来ます。

世界一周航空券使って何回も飛ぶと、ルートがしっちゃかめっちゃかで、

同じとこ行ったりきたりしなくちゃなんないので、

なるべく一筆書きをしたい僕にとっては、

あまり好ましくないわけで、

こうやって、個別でとっちゃったほうがいいんじゃね?

ってわけです。


片道航空券だと、たまに飛ばしてくれなかったりとか、

入国させてくれなかったりとかって話も聞くけどね。



ちょっとこれから

2011年01月06日 22:26


ジャングル行ってきます。

多分、一週間ぐらい音信普通。
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高山病で苦しみまくります

2011年01月06日 11:43

早朝のバスターミナル。

あまりに早すぎて、町に出て宿に向かっても開いてないかもしれないから、

バスターミナルのベンチで時間をつぶす。

ベンチで寝る。


夢を見る。


夢の中で、高山病にかかってない自分に喜んでた。



目が覚めると、後頭部に軽い頭痛。





まだ大丈夫っぽい。




大丈夫なので、宿へと移動しチェックイン。




まだ大丈夫だ。




ただ、やっぱりなんとなく軽い頭痛。





高山病:高山では空気が地上と比べて薄いため、概ね2400m以上の高山に登り酸欠状態に陥った場合に、さまざまな症状が現れる。 主な症状は、頭痛、吐気、眠気(めまい)である。他に、手足のむくみ、睡眠障害、運動失調などが現れることもある。低酸素状態において数時間で発症し、一般には1日後 - 数日後には自然消失する。しかし、重症の場合は高地脳浮腫や高地肺水腫を起こし、死に至ることもある。



どういうわけか僕は筋金入りで高山病にかかりやすい体質っぽい。



富士山でも、チベットでも、


なんなら、たかが標高2000メートルちょいのエチオピア北部でも


症状が出た。




この先、富士山をゆうにこえるボリビアの都市と戦わなければならないわけなんだけど、


もう戦う前から負けが見えまくってる、この対ポトシ戦。



標高4060メートル。






宿にたどり着いて、割と大丈夫だったから調子のって、



15分ぐらい町を歩く。






頭の痛みが徐々に増してきた。


おそらく調子乗って、歩きまくったせいだ。


もうあかん。





そして、僕はいけないと知ってて二段ベッドの上で寝てしまった。





3時間か4時間かの昼寝。







目が覚める。



そして、恐ろしく激しい頭痛が僕を襲う。


何かで締め付けられてるんじゃないかっていうぐらいの激しい痛み。


痛い、痛い、痛い、痛い・・・・・・・。


おいおい、死んでしまうんじゃねぇか。ってぐらいに頭がえらいことになってる。


そして、二段ベッドの上にいて、はしごを下って、下に降りるのが辛すぎて、


痛み止めすらとりにいけない。




そんな苦しみの中、少し痛みが病むと、すぐに眠りにつき、

1時間ぐらいで頭痛で目が覚めるのを繰り返す。




さらにしばらくすると、嘔吐。吐き気じゃなくて、嘔吐。


ゲロゲロ。



とにかくそんな感じの時間をほぼ丸2日ぐらいずっと味わっておった。




結局、症状が軽くなったときに近くの薬局で高山病の薬を買いに行って、

1時間ぐらいでだいぶ回復しちゃって、

俺、今まで何のためにこんなにもアホみたいに苦しんでたんじゃって、

思うぐらいに、薬の効果抜群だったわけなのですが、

それにしても、あの頭痛の苦しみの最中は、

自分が歳とって、病に臥して、こんなにも日々苦しまなくちゃいけないのであれば、

さっさと安楽死させてくれ!と願うかもしれないかもしれないと思うほどの

つらさだったのです。



とはいっても、全く同質の苦しみを僕はチベットで一度味わっていて、

今回は、ある程度この苦しみがやってくることを予期していたわけで、

それなのにこうして標高の高い場所にのこのことやってくるのは、

「飛んで火にいる夏の虫」でしかありませんな。














高山病で苦しみます

2011年01月05日 03:54

ついにボリビア入国。


もう去年の話。


サルタからアルゼンチンとボリビア国境の町「ラ・キアカ」へ。
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もはや7時間や8時間の移動時間なんて、苦じゃない。




ただ何が苦かって、標高があがる事だ。




サルタを出発してから、高山病対策で水を飲んだり、呼吸を深くするなどして、


来るべき標高4,000メートルに備えていた。





そして、アルゼンチン国境をなぜか2時間もの行列を待たされ、ついにボリビア入国。
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ボリビアのビジャソンという町。


ただただ国境を隔てただけなのに、ガラっと雰囲気が変わった。


民族衣装を着て、肌の浅黒いインディヘナがついに登場。


国境を越えて、まもなく広がる町並みは小さな商店や露天がずっと続いて、


アジアの喧騒がなんとなく蘇った。




そして、今までアルゼンチンやチリなんかのお金さえだせば交通機関も宿も、


それなりの快適さが保障されるのに比べて、


きっといろんな不都合に襲われるだろうんだろうなって事が感覚的に


予感される。



そもそも、国境を越えてすぐさまどこ向かっていいのかさっぱり分かりやしなかった。





町の地図もないし、次の町に行くための交通機関の時間も料金も知らないし、



とりあえず、町の目抜き通りと思われる道が国境からざくっと貫いていて、



その道をバックパックを背負って歩き、取り急ぎUS60$の両替を済ませ、


道端でジュースを売るおばちゃんにバスターミナルの場所を聞く。


「あっちじゃ」といわれた先は、ひたすらその道のずっと先。


10分も歩くと、あっという間にバスターミナルに到着。



行き先を声高に叫ぶおばちゃん達。




その声のひとつにつられて、「ポトシ」に行くことにした。


次のバスまでは2時間あって、どこかで食事を取るために店を探す。

バスターミナルの裏に小さくて古ぼけて汚らしい露天が並んでいた。

ひとつあたりの露天の前には、2,3個の丸椅子が並ぶ程度で、

お客さんもほとんどいなかったけど、とにかくその一軒でご飯の上に鶏肉の乗っかった飯を食う。



わずかに100円するかしないかだったと思うけど、この物価の安さにはほっとする。

長い長い自炊生活から解放された。

しかも意外と食えた。



めでたしめでたし。




19時になって、バスはポトシに向けて出発。


アルゼンチンやチリのバスに比べると、だいぶクォリティが下がったけど、

それよりなにより心配なのは、このバスが向かう先が標高4000メートルを越える場所だって事だった。

これが何より緊張。



およそ8時間のバスの中、隣や後ろの子供が窓開けたり、足を投げ出したりと、かなり行儀が悪くて、

すこーしだけいらいらしたんだけど、それよりなにより高山病に襲われる事が懸念で、

水を意識的に飲んで、なるべく寝ないようにと、対策はしてた。


そして、早朝5時前になってポトシの巨大なバスターミナルに到着。



まだ大丈夫だった。。。




















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