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キリスト復活!

2010年04月30日 19:26


はっぴーいーすたー。


エチオピアは、エチオピア正教会が信仰されてる。


エチオピア正教会は、サハラ以南で唯一植民地時代以前より存在するキリスト教会。


そして、時は4月4日。この日はゴルゴダの丘で十字架に磔にされて死んだはずのイエス・キリストが蘇った記念日で、

いわゆるイースター。


たまたま、イースターの日にこうしてキリスト教の国に居たのは偶然に他ならず、

エチオピア人達は、このイースター前2ヶ月ほどは肉を食べず、ずっと菜食になる。

おかげで、レストランのメニューもワンパターン。ツーリストが行くようなところでは食べれるけど。


そしてここアルバミンチでも、3日から4日に変わる瞬間というか数時間前から

教会で儀式が行われており、白い装束を被った人達が集結し儀式を見守っていた。


明らかな部外者の僕でも、教会は受け入れてくれて教会に侵入。
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儀式が行われていたのはいいとして、明らかに儀式を祝ってるとは思えない輩を発見。


というか、そんな輩だらけなんだけど    寝てる。

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たまーに、なんとなく起きなきゃいけないんじゃねって雰囲気になると彼も立ち上がって、





その儀式に参加してる風を装うんだけど、そういうのが終わるとまた寝る。








アルメニアで日曜日にミサに行った時なんて、いすに座って足組んだだけで怒られたのに、




エチオピア正教会に至っては、そんな次元をとっくに超えて寝たってOK。




校長先生の挨拶中に体育館の床で寝ようものなら、先生にぼこぼこにされてしまいますよ。






これがエチオピアのオリジナリティなんでしょ。きっと。







その日は、アルバミンチからドルゼ村へ。


休みで公共バスが営業しておらず、一緒に行動中の4人でバンをチャーター。




そのバンには、なんかしらんけど勝手にドルゼ族だと言い張る車内でずっとチャットという葉を

噛み続ける男が乗車。



こいつは一体誰なんだ?って話をしている間に、車はずんずんずんずんと山を上っていく。



そして、さらに車にはモコネってドレッドの男が乗車。



ドルゼの伝統的家屋の前で車が停車すると、モコネは勝手にその家についての解説を始める。





象の顔みたいな家の説明をされ、家の中に入ってさらに説明をされ、
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明らかに僕らが来てから作業を始めた風の女の子がバナナの皮を削っているところを写真に撮れ撮れ、言われ、
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その後、そのバナナの皮を発酵させて作ったお好み焼きみたいな食べ物を食べさせられたわけだけど、
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これがまた臭い。納豆の臭さなら全然いけるのに。


それを勢いで食べる。何でも勢いで食べりゃ何とかなる。大量のカレーもゲロの味のするインジェラも


発酵食品を食べた後、インジェラとドロワット登場。ドロワットとは、鶏肉の辛いシチューみたいなの。




イースターになり、ついに肉解禁。



ここで食べたドロワットは結構うまかったわけだけど、



もはやこれは民族とか関係なくて、ただのエチオピアの食事。






そして、ここまで至れり尽くせりされながら、頼んでも居ないのにあまりにもツアーっぽくなってることに、


疑問を感じていたわけだけど、最終的には当然の事ながら100ブル(700円)を請求される。



当然、揉める。そりゃ、事前に金額の何の説明もなく、勝手に色々とサービスをして、


大金を請求してくるなんて、ぼったくりバーと同じですよ。
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モコネは、「これがこの村への入村料だから仕方がないんだ。変わりに食事でもなんでも心配すんな」と。


そういう問題じゃないんだと。事前に伝えなかったことと、高すぎる事が問題なんだと。



そして、金額についての長時間にわたる交渉の末、50ブルで何とかするよ。って事で落ち着いた。




モコネが、「今日はイースターで、村で飲んでるから一緒に行こうぜ」って事で飲み屋へ向かう。




飲み屋へ向かう最中の車内で、気さくなおばちゃんが乗ってきて皆と歌い始める。


「まーだー、まーだー、なんちゃらー。まーだー、まーだー、なんちゃらー」

その歌に併せ、皆が手拍子で応える。




そもそもドルゼ族は、そんな歌や踊りが大好きな民族らしく、そういえばここに来る途中の道端で


子供達がお金目当てに、跳んだり跳ねたりと気さくなダンスをしていた。






飲み屋につくと、タッジと言われるハチミツ酒が振る舞われ、


相変わらず何人かが音頭を取って、歌を歌い始める。



ドルゼ族うんぬんよりも、とにかくその雰囲気が楽しい。



全然、たまたまだったけどイースターに来れて良かった。



もっと楽しみたかったけど、ドライバーが「時間、時間」と煽ってくるので、志半ばで、帰路へと着く。












アルバミンチに着いても、町はイースターを楽しんでる雰囲気で、大したイベントをやってるわけじゃないんだけど、





町の飲み屋でも、みんなビールを飲んだくれ。子供たちはジュースを飲んだくれ。






そんな復活祭。
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I am a superstar!

2010年04月29日 17:46



アジスアベバを出て、どこに向かったんだか3週間も前の出来事になってしまって忘れかけてて、

必死に思い出したところシャシャマネに向かったんだという事を思い出した。


シャシャマネという町には、近くにラスタファリズムの聖地ラスタビレッジがあるらしいんだけど、

そこは治安が悪い上に、ただ皆が仲良くマリファナを吸ってラスタファリズムを信仰しているという、

救い難い場所のようなので行くのはやめた。

僕とボブマーリーに関しては、思い出す限り何にも関連性がない。


というか、相変わらずビザの期限が迫ってた。



そこでは、一緒にいた子が7年ぶりの感動的な再会を果たし、

それを傍目に世界ウルルン滞在記 再会スペシャルを見るかのような極めて客観的な視点から

拝見させて頂いた。


一期一会だったはずの出会いが7年経って再会によって違う形に変わる瞬間というのは、

白紙に鉛筆で何かを書いて、消しゴムで消すとちょっとだけ後が残って、その後をたどってまた鉛筆で

書いて消しゴムで消して、前とはちょっとだけ違って、少しだけ濃い後が残ったみたいな。


とりあえず写真が何一つ残っていなかったんで、シャシャマネはこの辺でわずか一泊だけで

翌朝、いつもどおり4時に起きてアルバミンチへと向かった。








エチオピアの名も知れない各村々は、外国人に対して恐ろしくピュア。


バスが休憩なのか故障なのか知らないけど、停車しているとそのわずかな間に、

わらわらわらと村中から人が群がってくる。

こんなに閑散とした村のどこにそんなに人いたんだ?ってくらいに群がってくる。

平日の昼間に、学校も行かず、仕事もせず、何をしてたんだ?ってくらいに群がってくる。


何の告知もなしに、外国人が来たからと100人くらいがものの10分くらいに群がる。

そのときは、日本人5人くらいで移動していて彼らにとっては衝撃的に珍しいことなのかもしれないけど、

こっちとしても、ただただいきなり止まったその村で人がそんなに集まってくるのは衝撃的。
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彼らは、物乞いをする事も無く、



なんとなく「ペン、ペン」って言ってるのは聞こえてきたような気はしたけど、



一眼レフを振り回して写真を撮ってると、興味津々で撮られてくれて面白かった。

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そうこうして、アルバミンチ到着。



南部は人がうっとおしいという話を聞いたし、バスを降りて子供が着いて来て何かをねだってような気もしたんだけど、

この旅を通して、余りにそういう物乞いに慣れすぎてしまったせいか何とも感じなくなってしまった。


これが日本から飛んですぐだったら、「うっとおしーな。遠く遠くに吹っ飛ばしてやろうか?」という

あるまじき感情を抱いたんだろうけど、物乞いっぷりが生易しいと物足りなくて、むしろこっちから絡んでしまうようになってしまった。

子供「お金ちょうだい」

僕「お金ならいくらでもあるけど、あげない」

子供「お金ちょうだい」

僕「どうして」

子供「いいからお金ちょうだい」

僕「だから、どうしてかあげなきゃいけないか教えてよ」

子供「これからマーケットに行って、買い物するからお金ちょうだい」

僕「何の因果があって、見ず知らずの君らにお金を上げなきゃいけないのか教えてくれ」

子供「お金ちょうだい・・・・」

僕「5ブルくれたら、2ブルあげる。」


こんな他愛も無い会話をしてると、向こうは諦めて去ってしまう。

エチオピア人は、この辺の諦めのよさが何とも可愛らしいわけだけど、油断をしてるとバスに置いておいたかばんをナイフで

切り裂かれてしまうので要注意。
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(エチオピア)最貧国の首都

2010年04月28日 17:40


開発発展途上国エチオピアの首都アジスアベバ。

ネパール、スーダン次いで三カ国目の最貧国の首都。

こういう国の首都は、そういう国なりに不完全さをしっかりと備えていて、

水はけがやたらと悪かったり、道路がぐずぐずだったり、抜け目がない。

そして、たまーに首都らしく近代的なビルなんかが建っている。

アジスアベバには、アフリカ大陸の53カ国が参加するアフリカ連合の本部がある。

中に進入しようと堂々と試みたんだけど、


「アポイントメントはあるの?」あるわけないし。

「ただの観光なのです。」

「ソフィアには連絡したの?」だれじゃ?

「連絡してません。誰ですか?」

「待って、ちょっとれんれくしてみるわ。・・・・やっぱりいないわ。明日出直して。」

ということで、文字通り門前払いを食らった。
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アジスアベバにいる間中、高山病なのか下痢なのか分からないけど、腹の調子が悪くて、

せっかくわずかに20円の生ビールもそんなに飲む事が出来なくて、

これに関しては、このたびベスト3に入るくらい残念な止むに止まれぬ事情だったと思う。

何しろ、20円で冷えひえのちょっと薄めのドラフトビールが飲めるって言うのに体の事情で飲めないんだから、

それはもう映画を観に行って、前の人の背が高すぎて画面の下のほうがずーーっと見えないくらいに残念だったと思う。



料理が常に独特で、冒険し続けなければいけない国エチオピアでアジスアベバには、たくさんのほっとするメニューがあった。

サラダとかモカコーヒーとかフレッシュジュースとか、サイドメニューにこそエチオピアの真価が発揮されていた。


それとともに、再びものすごく残念な事に出会ったわけで、どうしてもと言われて中華料理屋へと皆で足を運んだ。


そこで頼んだチンジャオロースのはずの食べ物や、焼きそばのはずの食べ物は、何故かピンク色に施され、

見た目からして食欲をそそらず、味も当然想像通り、中華とは思えない不可思議な味付けだった。
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食後に中国人のオーナーだかマネージャーと思しき男が、僕らに料理の感想を聞いてきた。

あまりに残念な味だったので、「So so」とだけ答え、それにしても本国とはかけ離れた中華なので、

事の真相を伺おうと、質問をしてみた。

「中国には行った事あるのか?」

「いいや、ない。」

「どこで生まれたの?」

「ナイロビ」

これで全部分かった。


彼は、中国人の仮面をかぶったアフリカ人で中華料理が何たるかを知らず見よう見真似でこの得体の知れない料理が作り出されていると言う事。



世界中の中国人が、自分たちのコミュニティをその場所で作り出し、本格中華を作り出していると思ったんだけれどな。




それと、エチオピアには銭湯があって、日本みたいに公衆浴場ではなく、各々が個室になっており、ファミリー風呂形式、45分一本勝負。

風呂には1stから4thまでグレードが分かれていて、1stといえどもわずかに18ブル(120円)くらいなので迷わず1stのチケットを買う。

そして中に入場すると、待合室らしき場所でたくさんの人が本も雑誌も読まず、ただぼーっと何もせず待っている。


あまりにたくさんの人が待っているので、係りの人にどれくらいかかるのか聞くと、1時間くらいという。

そして、目の前で待っていた親父に聞くと5分いう。

5分待てども、1時間待てども順番は来ず、昼飯を食べて戻ってきても、まだ順番は来ず、結局トータル4時間待ち。

空の浴槽に勝手に自分で適温のお湯を入れて、勝手に気持ちの良い温度で一人きりで浸かる事が出来るので、

大変快感ではあるのですが、日本で誰が4時間も待ってこんなただの風呂に入るのでしょうか?

時間に対する考え方の違いを思い知らされる。




エチオピアで撮った写真を見て思い出せる限りのエピソード。


そして、4泊ほど宿泊してたBaro Hotelはホットシャワーが出て、スタッフも親切でいい宿だったんだけど、

部屋の電気があまりに暗すぎて、洗面所の明るい電球と取り替えようとして、

はめたらバチっという音と火花と共に、スイッチあたりから煙が沸いてきてびびった

電球が死んだと思いきや、そっちのほうが生きてきて、スイッチがショートしてたらしい。



今、思い出したエピソード。

チャリ>バス

2010年04月26日 17:11



ラリベラからアジスアベバまでの一泊二日の行程は、今のところ、アフリカ縦断史上一番辛かった。



今までが楽すぎたってのもあるんだけど。




イースターを控えているせいか、エチオピア人はやたらといろんな物を首都へと持ち込みたがっている。


色んな物というか、主に生きた鶏なんだけど。



北部の敬虔なエチオピア正教会信者の彼らは、白い装束を身にまとっている。

その布が綺麗ならば、彼らの敬虔さもいっそう際立つんだろうけど、

白いせいで長いこと洗っていないだろう汚れが目立ち、そんなやつが隣の座席に座る。


割と臭い。


服を伝って、ダニや南京虫が移動してくるんじゃないかという恐れさえある。


そして、バス車内で野放しにされたにわとりは客席を歩き回り、たまに鳴き、



それと彼らが持ち込んだ穀物の袋の匂いとかで、車内はカオス。
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バスに乗るときは、よっかかるための枕代わりにいつも窓側を強奪するわけだけど、


席に座って窓側にもたれると、そこは硬い硬い鉄の枠。



エチオピアの山道を越えていく道のりで車は左右に揺れる。





おかげさまで、頭をがんがんとその枠にぶつけて、眠りを妨げられる。




臭さと居心地の悪さと座席の狭さに苦しめながら、バスは休むことなく朝の5時からずーっと移動し続けて、

12時の昼食休憩の後なんか、とろとろとろとろといつ着くのか、いつ止まるのかも分からないまま

何時間も進み続けた。日が暮れても進み続ける。



暗くなっても、ライトをつけないもんだから、このまま真っ暗な中走り続けるのかとちょっと危機を感じたけど、


ライトくらいはこのぼろバスにもついていた。





そうこうして20時くらいにバスはようやくストップし、得たいの知れない町の宿に横付け。



疲労困憊の状態で、そのままベッドにもぐりこんだ。



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あーしなさいとかこーしなさいとかもううんざりだよ

2010年04月23日 21:21

ラリベラで教会を見に行った後、あえて帰り道を反れて


現地の人々が住んでいる集落に行ってみた。



そこでは、本当にウルルン紀行のロケ地になりそうな昔からずっと同じ生活を営んでいる


場所で、ありとあらゆる事が手作業で行われて、文明が入ってくるのを一切拒んでいるようだった。


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子供たちも、外国人を見るのがやたらめったら珍しいのか、すぐに6人も7人も群がってきて、

カメラを見せると、かわいらしい表情で応えてくれる。

なんてことないのにやたらと楽しそう。

カメラを覗き込む子供達。
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彼らは、ゲームとかとは程遠いところにいて日本の子供が望むものなんて何一つ手に入らないんだろうけど、
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それなりに幸せそう。
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まぁ、そういうことなんだな。




で、翌日ラリベラで大きなマーケットが開催されていた。
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ここも随分と規模は大きかったんだけれど、売ってるものは基本原材料。


豆とか粉とか果物とか、あとたまに衣類なんかも売ってた。


そして、面白いのは家畜がそのまま売ってる。その場で牛買える。

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廃タイヤを利用したサンダルというアイデア商品なんかも売ってた。
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見た目も悪いし、履き心地も良くないだろうけど、その何かを作り出すという事がここエチオピアにおいては、


驚異だなと関心させられる。


このサンダルを履いて歩いている人を見たことはないけど。



ラリベラで泊まった宿はKedemt Hotel。

家族経営の小規模な宿で、朝起きて部屋を出ると、その敷地内でにわとり達が朝6時前から

迷惑にも朝を知らせる合図をしきりに送ってくれ、

宿の人は、昨日のゴミで焚き火して、その火でお湯を沸かし、そのお湯でコーヒーを入れて、

たらいで洗濯をして、そういうのが全部終わったら、あとは何もせずぼけーっとしてるような

のどかな宿だった。




ラリベラを出発する晩に、彼らと記念写真。


日本食の作り方を教えてくれという。


ただ、ラリベラには砂糖と塩はあるかもしれないけど、醤油も酢も味噌もない。



この町で日本食を作るのは至難の業。



一緒にいたA太郎氏がなぜかチャーハンの作り方を教えていた。




そこのおばあちゃんにシリアで買ったキッコーマンの醤油を一舐めさせてあげたんだけど、




舐めた瞬間、渋い顔をして、こっそりとつばとともに醤油を吐き出していた。







未知との遭遇は往々にしてこんなもんだと思う。







翌朝、そこのオーナーのおじいちゃんが一緒に旅立つというので早朝5時に宿を出て、


バックパックを背負って、長い長い坂を真っ暗闇の中下って、この素敵なラリベラを出発した。









僕が僕であるために

2010年04月21日 21:18

久々にネットが快速で、今まではネットが使えなくてそれでもパソコンは暇つぶしに使えてたので、

動画作ってみました。

Picasaは偉大です。



ラリベラや ああラリベラや ラリベラや

2010年04月20日 21:16


ラリベラは、エチオピア正教会の聖地らしい。




何にも期待してなかったし、何にも知らなかった。





そして久々に高山病にかかった。



僕は油断すると簡単に高山病にかかるらしい。


この旅に出て高山病との付き合い方も心得て来たわけだけど、


標高2600メートルでかかるってのは、どうにも腑に落ちない。


高山病じゃなくて、ただの下痢かなとも思ったんだけど、


高山病になった時の胃から来る独特の匂いってのがあって、それでいつも判別してる。



高山病は置いておいて、ラリベラの町人ってのはやけに感じが良い。



町を歩いていると、いろんな人から


「Welcome to Lalibela」と声をかけられる。


そして子供達からは「You,You」と相変わらず声をかけられる。



とにかくえらく気持ちの良い町。





この町に何があるかっていうと、12世紀から13世紀にかけて作られた岩を掘りぬいて作られた教会群。



何気に世界遺産。




遺跡の数がやけに少ないアフリカにとって、このラリベラの岩窟教会群はかなりのハイライト。




ハイライトだけに、入場料も300ブル(約2100円)と馬鹿に高い。





入場券を買うときに、ガイドが頼むのが当然かのように後ろで待っている。


そして「いらない」という。

ガイドは、「なんでいらないんだ?」と聞く。


「ガイドブックがあるし、ガイド代高いよ」と答える。


ガイドは、「ヨーロピアンは、いつもガイドを頼むのが当然なのに、なんで日本人はいつもガイドを雇わないんだ」と問う。


「お前は、日本語がしゃべれるのか?日本語でガイドしてくれるなら雇ってあげるよ。」と英語で答える。


ガイドは黙る。



確かにガイドがついていると、その遺跡に関する知識をじっくりと深められるわけだけど、

日本人バックパッカーって基本的にそんなもの使ってない気がする。おかげで知識も深まらない。

ケチるとこではないと思うんだけどね。知ったところで、どうしようもない知識もたくさんあるわけで。



そういうことで、ガイドブックの地図を頼りに教会めぐり。



初っ端の教会には立派な覆いがされていて、これがこの町で一番近代的な建造物らしい。



おそらく外国の援助で建てられたと思われる。
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教会自体は随分と深く深く地中深く掘り下げられて、立派な建物が出来上がっており、

今でもその教会達は、エチオピア正教会の信者達に普通に使われていた。


教会の中はライトなんかなくて、真っ暗。



その中でこげ茶肌のエチオピア人がなにやら儀式をしている。




キリスト教の儀式で、一応厳か。



ただやっぱり何か違う。



厳かさなんだけど、その行為を行ってるのがエチオピア人となると


チベットの僧侶の格好をした白人みたいで、変な違和感をちょこっとだけ感じた。


ただ場所が石の中の暗い場所なので、エチオピア人にぴったりだな。
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そして、これがエチオピア名物St.George教会。
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教会の形が十字架。



十字架の教会越しに見るこの景色は壮大で、石彫りでよくもこんな綺麗な形のものを

作ったもんだと関心。


ところが、それ以来この国には遺跡なんてほとんど残されてなくて、7,800年の間何していたんだろ?


と不思議にも思ったりもして。



インドで行ったアジャンター、エローラもこんな感じの岩窟遺跡で、よっぽど規模はインドの方が大きいけれど、

ラリベラのこの遺跡群は、なにしろアフリカにあるってのが重要で、アフリカにこんなに特異な遺跡が、

彼らの文明によってのみ造られたという事実は、ある意味エチオピア人の誇りなんだと思う。
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全部石彫り。
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(エチオピア)だまされた?

2010年04月18日 17:46


だまされたくさい。



だまされたのかどうかも良くわからないけど。



バハルダールから聖地ラリベラへのバスを調達したわけだけど、

あるエチオピア人は、「もうすぐイースターだから、バスがいっぱいだ。前日に買ったほうがベターだ」と言う。

エチオピアのバスってのは、予約不可能で4時とかに起きて5時のバスターミナル開門とともに買いに行くってのを聞いていた。

だから、事前に予約を進められるのをおかしいとは思っていた。


とはいえ、買ってしまった。


この野球帽をかぶって、いかにも何も考えずにその日暮らしをしてるんじゃないかって、この野郎は、
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バハルダールにいる間中、適当に僕らに親切にし、出発日にはわざわざ早いからと

早朝5時にホテルまで起こしにきた。そこまでは忠犬ハチ公だったんだけれど、


まだ日も昇らない真っ暗な街中を眠気とバックパックと共に彼に連れられ、バス停まで行き、

これがラリベラ行きだというバスに乗り込んだ。そして、彼とはさよならした。


すでに乗客が数名居て、ほかの人達もこれがラリベラなんだと言っていた。


僕らは、彼から買ったチケットを持って待っていた。

ところが、一向にバスが埋まる気配もない。






そして、彼が戻ってきた。







彼は、なぜか現金を僕らに渡す。








渡された額は、259ブル。



中途半端すぎね?





そして、残りの額はこっちでバス会社に払ったから、ラリベラについてからこれを払えと言う。









どうもおかしい。

なんで258ブルなのか。

なぜ彼は102ブルという中途半端な額を払うのか。

早朝過ぎて、考えがそこまでしか及ばなかったわけだけど、彼が去ってもしばし考える。

僕らは3人。258ブルは3で割れる。

一人86ブル。


チケットを買ったのに、あとから現金を払うなんて聞いたことない。

バスの車内に正規のラリベラ行きの値段を知ってる人を探したけど、どうやらいない。

そして、バスの外に出て聞いてみると、86ブルと言われる。



86ブル?



返された額じゃねーか。



残額は何なんだ?


一人31ブルは何でもないじゃないか。




あいつは僕らから31ブルずつを掠め取ったらしいことがどうやら濃厚になってきた。



バスターミナルの前にある旅行会社に行くと奴は折らず、事情を話すんだけど彼が居ないと分からないみたいな事を言われる。


バスの発車時刻は迫っていた。


はずなんだけど、バスに戻ってみると数名居たはずの乗客が誰も居ない。




なんだこれ?



近くの人に聞いてみると、「乗客が少ないのでラリベラ行きはキャンセルになった。


ラリベラに行きたいならGashenaというところまで行って、そこからバスに乗りなさい」とのこと。


ますます買ったチケットが無駄になった。



しかもチケットはカーボン紙の一枚目じゃなくて2枚目に書かれていて、チケットとして成立していないらしい。



この小さい町で奴を再び見つけるのは容易だったんだろうけど、Gashena行きのバスが間もなく出発するらしく、

泣き寝入りという形で、大変悔しいんだけれども、31ブル(207円)というはした金を、

無駄に失ってしまった。



って話。


エチオピアにどこでもあるけど、このフレッシュマンゴージュース(35円)激うまです。
奥に見えるのは、アボガド&マンゴのミックスジュース
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ゴンダールのスタバ。どこからどーみてもにせもの。
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そこからGashenaまで、野を越え、山越え、7,8時間くらいで到着。

そこから一気にラリベラに行きたかったんだけど、今日はもうバスがないと言われる。


地元エチオピア人も同様にそこで石に座って待っている。

彼らと共に、一向にくる気配のない車を待ち続け、2台ほどに断られる。


そんな中、この田舎町でもいちいち子供や大人が群がってくる。

平日の午後なのに、彼らはとことん暇らしい。

カメラを向けると、逃げ回ったり、動画に驚き騒いだりとこのピュアさが楽しい。
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彼らは僕と常に一定の距離を置きたがる。

それでも興味はあるらしく、常に群がってくる。

一緒に居たA太郎氏は、突如「わぁー」と驚かすわけだけど、

そうすると彼らは、本気で驚いて、全力で逃げていく。

そして、また群がってくる。
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そんな純粋無垢な子供たちは、この後まともな教育を受けられるんだろーか。



そして、2時間ほどで、欧米人を乗せたハイエースがその町に現れ、

言い値100ブルから何とか50ブルまで下げさせて、小雨の降り敷きるラリベラへと到着。



標高が高いせいか息苦しい。




うるるん

2010年04月17日 17:46

ブログ再開です。休止した覚えはないけど、アフリカに休止させられた。

ブラッドダイヤモンドで、レオナルドディカプリオが、「TIA(this is Africa)」と言ってたけど、

This is Africa三昧な今日この頃です。


エチオピア北部の町 バハルダール。

ナイル川を構成している川のひとつ青ナイル川の源流のあるタナ湖のある町。

そのせっかくの観光資源のタナ湖を全然生かしきれてない町。

タナ湖の湖畔に近づけるのはわずかほんの少しの場所だけだし、そこから湖の写真を撮るのに金取られるし。

ゴンダールからのバスを降りると、とりあえず宝くじが発売されたら買う人たちみたいに、

お金を持ってるかもしれない日本人の僕らにエチオピア人が群がり、ホテルやらツアーやらの勧誘をしてくる。


国境の町があまりに貧相だっただけに、バハルダールの町としての形には驚かされる。

とはいっても、町の規模の小ささにはその後の町散策でがっかりさせられたけど。



タナ湖に流れ込む青ナイル川に滝があるということで、特に見るものもないので行ってみた。


ダムが出来たせいで川が堰き止められ、滝の水量が思いのほか少ない。

昔の写真だとか、その滝が流れていた痕跡だとかから想像すると、このブルーナイルフォールは、

凄かったんだろうけど、兎にも角にも、僕の見た滝はそーでもなかった。
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滝はさておき、滝がある町はもーとんでもない田舎町で、2010年とは思えないほどの暮らしをしてる。

2,300年前の日本だって、似たような生活をしてるんじゃないかってくらい。

荷物の運搬手段はロバだし、家や店なんて全部、木と土で作られたような大地震が来たら

全部いっぺんに崩れ去ってしまいそうな建物ばかりだし。
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そこでは市場が立っていた。

市場といっても、フリーマーケットみたいに床に適当に売るものを並べてるようなとこで、

売ってるものも、さすがアフリカ。

加工ゼロ。


原材料をそのまま。


豆や粉、サトウキビをそのまま。


とはいえ、子供たちはとってもピュアで、日本の子供のようにませてなくて、カメラ取ったりすると

それなりのリアクションで興味を見せてくれたり、日本人を怖がってくれたり、

ちょっと仲良くなるとサトウキビをくれたりと、そのまま日本に持って帰りたいくらいに可愛いいし、
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ものすごく素朴な雰囲気の村で、バハルダールに帰るまでの間、

そこで2時間ほど待ってたわけだけど楽しいウルルン生活を楽しめた。
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生存のご報告

2010年04月17日 01:07

とりあえず生きてます。



ブログの更新がないと、こんな僕でも心配してくれる人達がいるらしく、



強く生きていかなければと、改めて実感するここナイロビ、ケニア。



エチオピア南部に入ってから、インターネットの環境が乏しい&イースターのせいで店休みまくり、

&少数民族ツアーに参加&エチオピア国境からナイロビまでの過酷移動が重なり、

13日間インターネットの使用が出来ませんでした。


[ 続きを読む ]

国境越えてエチオピア

2010年04月03日 00:09


早朝。といっても8時くらいなんだけど、なんだかんだで居心地の良かったHotel Al Raby(7スーダンポンド、約270円)を

後にして、カルツーム郊外にあるバスターミナルへとタクシーを走らせる。




そこで、あっさりとスーダンとエチオピア国境の街までのバスチケットが買えた。


事前の情報では、ゲダレフって町まで行って、そこからトラックのヒッチハイクって聞いていたのに、あっさり。


しかも中国製の豪華バスにて。軽食つき。



またひたすら車窓は砂漠が続く。世界中全部砂まみれになっちゃったんじゃないかってくらいに、最近のバスからの車窓は砂漠。


この辺の国の人たちは、よくもこんな砂漠に住む気になるもんだと関心する。

何が悲しくて、こんなに暑くて砂まみれで何もない場所に住むんだろ?



イスラム教のほとんどは砂漠圏。彼らの得意分野。




世界中の砂漠圏をムスリムが席巻する。




まるで丸の内を三菱地所の十八番ってみたいに。



世界中の砂漠でアザーンが鳴り響く。世界中のイスラム教徒が毎日5回礼拝をする。




統一化される砂漠。




こんな景色ばっかり見せ付けられると、日本の四季の素晴らしさを再三再四確認させられる。




途中、休憩のためバスが止まり、外に降りると、そこは灼熱地獄。


乾燥してるからまだいいけど、余裕で40度越えてそうな暑さ。



人が住めるとは思えない暑さ。やっぱり彼らには関心する。




とりあえずバスが、国境らしき場所に到着するんだけど、



ド田舎っぷり発揮しまくってて、プレハブだとか今にも崩れそうな木の家ばかり。

とにかくそこが国境らしくて、そこでイミグレーションを済ませる。



国境を越えて、エチオピアに入国。



エチオピアのメデマという国境の町は、広めのアスファルトの道路を中心に

ぼろーい家々が道沿いに連なっていた。




バスを降りてから、ずーっと勝手にイミグレの場所だとか案内してくる奴らが居て、

宿まで案内され、最終的には少しだけ両替をしたわけだけだけれど、今考えると

物凄い悪いレートだったっぽい。

彼らの目的が両替だったらしく、それが終わり、宿を紹介し終えると、そそくさといなくなった。


用意された宿は、これまた今までになくぼろぼろというか換気が悪くて居心地の悪いコンクリートの壁のなかに

ぼろぼろのベッドと窓があるだけって空間で、とりあえずの一泊のためにはいいけど、

それ以外の目的で泊まれるような場所じゃなかった。というか連れ込み宿的なとこ。



僕らは、そこに荷物を置くととりあえず食事を取りに外に出た。というか部屋の中以外は全部外なんだけど。



そして、くさくて酸っぱい事で有名なエチオピア名物のインジェラとやらを食べる。



見た目は雑巾、味はゲロって事で評判のインジェラ。




どうして主食なのに酸っぱい必要があるのか分からない。インジェラの味は、そんな残念な味。


今まで食べた数多くの発酵食品の中でも、もっとも残念な味のうちのひとつだと思う。


それでも、食べ慣れれば旨いのかもしんないし、日本人に聞いても賛否両論だし、


とはいえ、何でも発酵させればいいってもんじゃないし、日本では流行らない味だと思う。


そんな一日。

































あおナイルしろナイル

2010年04月01日 00:02



砂漠の首都カルツームに何かあるかつったら、何もない。

もしここにナイル川が流れてなかったら、残念な事に人すら住んでないってくらいに何も無かったと思う。

エジプトはナイルの賜物だけど、この何も無い国スーダンも、辛うじてナイルの賜物なんだと思う。

カルツームには、ナイル川を構成している青ナイル川と白ナイル川が合流する地点が、カルツーム郊外にあって、行ってみた。


確かに合流地点では、絵の具を混ぜたみたいに、色の違う二つの側が混ざり合って、ナイル川になっていた。


ところが川幅が大してあるわけでもなく、規模的には荒川とかそんなレベル。
DSC_0613.jpg


長いってだけだし、河口でもないので川幅もたいした事無くて、ここから6600キロ以上あるという世界一長い川を

想像するのはちょっと難しかったんだけれど、最近感受性の薄れつつある僕の想像力を奮い立たせて、何とかかんとか

感動を呼ぼうと努力した。





ってそんな事を書いているここエチオピアでは、一緒に移動中のA太郎氏が南京虫が服から出てきたと騒いでいて、

毎晩ちょっとした痒みに悩まされる毎日。This Is Africa.





カルツームの街は、街灯がほとんど無くて、日が沈んで街が暗くなると、


街を歩く人の識別どころか影くらいしか分からなくなる。


さらには向こうは肌が暗い上に、視力はいいらしく、随分遠くのほうから



「じゃぱーにー、ちゃいなー」とか言われるんだけど、


こっちからしたら、人が居るんだか居ないんだか分からない場所から、

顔を認識されているわけで、ある意味結構な恐怖が付きまとう。


アフリカ縦断。当分はずっとこんなほかでは味わう事の無い心配が必要らしい。




そういえば、カルツームを守るカルツーム警察のシンボルが随分と

「ともだち」マークに似ていたんだけど、何か関連性があるんかな?
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