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スーダンのピラミッド

2010年03月27日 20:33

そんなたくさんあるうちのひとつで、カルツームから手軽に3,4時間で行けるピラミッドに行ってきた。


行きはよいよい、帰りはこわい



カルツーム滞在二日目以降、初日の暑さが嘘のように過ごし易い日々だった。




そんな中、わざわざ再び首都を抜け出して砂漠へと突っ込んだわけだ。



バスでカルツームから北東へ。


車窓はずっと砂漠。もうこんな砂漠の景色に見慣れすぎて、そろそろいい加減に抜け出したい今日この頃。



途中の休憩ポイントもやっぱり砂漠。
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そして誰も降りない砂漠に、「ここだ、ここだ」と添乗員に言われ降ろされる。



遠くの方に、ピラミッドらしき幻影が・・・




1キロほど、砂漠を進むとわずかな観光客がランドクルーザで来てるらしく車が駐車され、


古びたチケットオフィスがあり、そこでチケットを買う。




そこのピラミッドは、ギザのピラミッドに比べると随分とこじんまりとしており、


人間一人で一年もかければ、出来るんじゃないかって規模のものがいくつも隣り合っていた。
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保存状態も大していいわけでもなく、壊れかけで廃墟みたいになっており、

折角発掘されたのに、全然注目されないものだから、再び砂に埋もれてしているんじゃないかってくらいの

ピラミッド群だった。
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それでも、わずかな観光客と広大な砂漠にそびえるピラミッド達は、変な哀愁を漂わせていて、

ギザのそれなんかに比べると、随分と愛着の沸く感じがした。


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遺跡の落書き。
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帰りは、バスの時刻が決まってるわけでもなく、道端でトラックをヒッチハイクしてカルツームへと戻る。


トラックもわりとすぐに泊まってくれて、ドライバーもいい人だし、道もいいし、スーダン国内の移動は、

以前に比べるとずーっとよくなってるっぽい。



あれもこれも全部中国のおかげっぽい。




中国脅威すぎ。


なめたらあかんと思います。


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首都ハルツーム イン スーダン

2010年03月25日 00:25


ワディハルファを16時頃出発して、ハルツームにバスが着いたのは深夜1時頃。

意外と豪華なバス車内。
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ほんの少し前は、この間の移動も平気で一泊とかかかったらしいけれど、道が随分と綺麗に舗装され、

中国製のバスが随分と飛ばすもんだから、そのハルツームまでの行程があっという間になってしまったらしい。

とはいえ、10時間かかってるけど。




その晩は、ハルツームのバス停で野宿。といっても3時間くらい。

翌朝、動き出したミニバスを捕まえて町の中心へ。



ハルツームの中心部は、首都とは思えないほどに道が舗装されておらず、

建物も低層な建築物ばかりで、ネパール以来の最貧国なんだなってのを実感。


そこで、わずかに7ポンド(250円足らず)のAl Arby Hotelに宿泊。
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その日は、いよいよアフリカに着いた事を(エジプトを抜いて)身体の芯まで味合わせてくれるような暑さ。

これから、こんなスーダンの日々が続くと思うと少しうんざりしたわけだけれど、

うんざりばっかりしているわけにも行かず、スーダンでは宿泊した町でレジストレーションなる作業が必要で、

外国人事務所へと向かう。

レジストレーションが終わってないと、スーダンを出国出来ないため必須らしい。


突如訪れた酷暑の中、外国人事務所に行って、必要だと思われる資料を提出。



ところが、ホテルからの宿泊しているレターなんてものが必要と言われ、途方にくれる。


「僕らが泊まっているホテルは、そんなもの出してくれない。わずか7ポンドの宿なんだ!」なんて

説得を試みるも失笑を受け、残念ながらその場をあとにした。


そして、ホテルに戻り、英語がたどたどしいスタッフに「レターくれー」言うたんだけど、

何のことやら分かってなくて、オーナーに連絡した後、明日オーナーが来るから、その時にくれるんだとか。



日本人3人でぎゃーぎゃー騒いで、周りのスーダン人も助けてフォローしてくれたんだけど、

それでもレジストレーションの事が通じない。本当に必要なのかって気になってくる。



結局、そんなスーダン2日目が過ぎ去った。



3日目、再びレジストレーションのために町をさまよう。


結局、別のホテルで話の分かるスタッフが、僕らのホテルまで着いてきてくれて

その話の通じないスタッフに説得してもらうと、

レセプションの引き出しに普通にレジストレーション用の用紙が閉まってあり、

さくっと、レターを入手でき、そのまま外国人事務所に行って、レジストレーション終了!!



肩の荷が下りて、すっとした。



その話の通じないスタッフの口癖は「very good? or between very good and good?」

なんだけど、そのホテルの施設に関しては、「バッドとベリーバッドの中間」なもので、いっつも彼への返答に困ってた。



スーダン入国!!そしてカルツーム。

2010年03月22日 20:31

ついにエジプトを出て、スーダン入国の日。

似たようなルートを辿る日本人3人と合流し、4人での国境超えとなった。

タクシーとかシェア出来るし、心強い。



アスワンの町から、アスワンハイダムへとタクシーで向かう。


アスワンハイダムは、ナイル川の氾濫防止だとか農業用水の確保だとか、気候の変化だとか、この辺一帯に物凄く大きな変化をもたらした

巨大なダム。



これの建設によってアブシンベル神殿は、沈む予定だったんだけど、ユネスコの協力によって莫大な費用をかけて移設されたんだって。


海外からの援助でこうして一大観光地が残せたというのに、海外から来る観光客をさらに食いもんにしてぼったりしてくるエジプシャン、
許しがたい。

少しは、感謝しなさいよ。入場料高いし。こんな事してると、もう誰も助けてくれなくなりますよ。





アスワンハイダム近くのフェリー乗り場に到着。スーダンまでは、フェリーで17時間程度のナイル側航海の予定。
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そこには、「なんでこんなに荷物が必要なんや?」ってくらいにおびただしい荷物を持った多くのスーダン人やエジプト人がいて、


みな、船に乗り込むべく出国の審査を通り抜けていく。



そして、10時頃船に乗り込む。スーダンのワディハルファ行きの船は思っていたよりも小さい。

この船には1st Class(489ポンド)、2nd Class(311ポンド)[1ポンド、約17円]の2種類の席があるんだけれど、2nd Classの評判が

芳しくないので、489ポンドもする1st Classのチケットを買った。一緒に居た人たちはみんな2nd Class。


ファーストクラスは、二段ベッドのコンパートメントで一部屋ずつエアコン付でなかなか快適。

セカンドクラスと言えば、完全自由席で皆が各々1階のベンチに席を取ったり、甲板に席を取ったりしてる。


セカンドクラスもはじめは、それでも悠々としてて良かったけど、時間が経つに連れて乗客は増え始め、

場所取りが熾烈になっていく。

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僕の部屋といえば、途中まで誰も来なかったんだけど、気づいたら大量の荷物が運びこまれていた。


そしてそのスーダン人のおじさん曰く「僕の友人がカイロで二人死んだんだ。だから荷物がたくさん」

・・・・・・死人の荷物が大量に運びこまれたのでした。




そうして、出航を待ち続ける事      9時間。

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本来は13時予定なのに、出発は20時前。





船は月明かりと星明りに照らされながら、ナイル川を南下し続ける。


一晩空けて朝早くに部屋から窓をのぞくと、アブシンベル神殿を発見。




遠過ぎて、いまいちよく分からないけど、とにかくデカイって事は分かった。


古代エジプト人は、今のエジプト人からは考えられないほどに壮大なものを作る能力を持っていたらしい。
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エジプト人は、ここ3,000年で退化し続けているようにしか思えない。




そうして船は、さらに数時間後ついにスーダンのワディハルファ港へと到着。




パーミットの取得らしき手続きを済ませて、2時前に下船。






何も無い。 ただの岩場と砂漠。想像以上に何も無い。
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今まで見てきた中で、もっとも何も無い港 ワディハルファ。



ついにアフリカに来たんだってことを、実感。




ワディハルファで、ちょうどカルツーム行きのバスが15時に出るという。



スーダンの他の町も見ようかなと思ったけれども、そのままカルツームに向かってしまった。



数年前まで、このカルツームに行く道程は24時間以上もかかり困難を極めるって話だったんだけれど、


最近になって、中国が多額の援助を行い、バスまで中国製のバスになって、びゅんびゅん飛ばして、


その間の車窓は、ひたすら砂漠が続く。こんなところによく住む気になるもんだってくらいに砂漠。


わずか10時間でカルツームに着いてしまった。電車なら、36時間から50時間もかかる道のり。

ちょっと早すぎじゃない?ってくらいに早かった。アフリカ、最初の一歩こんなんでいいんだろーか。





深夜1時。  仕方なく、僕らはバスターミナルで野宿した。



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えじぷと人と軽くけんか。

2010年03月20日 23:31

17時にカイロを出たバスは、15時間くらいでアスワンに到着。

あっさりとルクソールを吹っ飛ばしてしまった。


エジプトの遺跡に、どうにも興味が持てず、と同時にエジプトにも飽きたらしく、

色んなものをすっ飛ばした。それがエジプトのメインになろうかというのに、石川に行って、兼六園を見ないくらいにすっ飛ばした。



アスワンに到着して、出発まで2日しかなかったので取り合えず観光を。という事で

ナイル川を東岸から西岸へと渡る。


渡る際、民間ボートとやらに乗り込むんだけど、

そこで「5ポンド!」と言われる。

しかし、そこの公定料金は0.5ポンドのはず。


「知ってるよ、50ピアストリーでしょ。」と言い張るも、

「ノー、5ポンド。」としつこく言って来る。

「いやいや、50ピアストリーでしょーに。さっきの人、50しか払ってなかったでしょ」と言っても、そんなの関係なく

「5ポンド払え」と言ってくる。


そこで、事情を知ってそうな欧米人のおばちゃんが来て、5ポンドを払うと彼はそれをさっさとしまってしまうんだけど、

おばちゃんは、その5ポンドをぶんどって、50ピアストリーを支払った。


それを見習い僕も50ピアストリー払おうとしたんだけど、残念ながらなくて、彼に無理やり1ポンドを突きつけて、

ボートに乗り込んだ。

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対岸に着いて、そこから見える高い丘の上目指して歩き始めると、

ムスタファなる青年が話しかけてくる。

「俺は、ヌビア人でエジプト人じゃない。だからマネー、マネー言わない。君を遺跡と街につれてくよ。ここに来る日本人や韓国人は、みな僕をナイスムスタファと呼んでくれるよ」


そうして彼は、僕にらくだに乗せてくれ、墓を見た後、街中を歩いた。
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念のため、「これに金はかかるの?」って聞いたら、「いやいや心配しなくていいよ」との回答。

そのらくだがまた、暴れらくだで彼が行きたい方向とは違う方向に首を振る。

彼とらくだとの壮絶な行き先についての戦いが頻繁に行なわれる。
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僕はそんならくだに乗せられながら、

「彼はこうして大きな親切を装ってるわけだろうけど、最終的には金をふんだくってくるのかな?エジプシャンとヌビア人に対する最後のチャンスという事で、とりあえず彼を信じてみよう。そして、彼が金をふんだくってきたら僕のエジプト人に対するイメージはもう最悪だ。」って事を考えつつも、らくだから振り落とされないようにかれこれ1,2時間は少し目線の高い鞍の上からの旅を楽しんだ。


途中、木陰で休んでいる時に、やたらとボディタッチをしてきた。

「僕はヌビア人だからリラックスしていいよ。ほらこんな風に」って言って触ってくるし、触られてくる。



気持ち悪いから、「いらん、いらん、触るんじゃね」って冷たくあしらった。



あと、このムスタファ23歳。もう子供が二人も居るとか言うんだけど、


一人は3歳で、もう一人は7歳とか言ってきて、どうにも信じられん。


全ては「俺はヌビア人だから」で済まされる。




ヌビア人って何者?





そうこうして、時間が過ぎて、らくだの上からじゃ揺れて写真も取れないから、

「いいよ、もう歩いて街を回る。さいなら」っていい別れようとすると

「ちょっと、ちょっとちょっと」と言って着いてくる。

そうして、小さな路地で「2時間らくだ乗ったよね。2時間分のらくだ料金を払ってくれ」と言ってきやがった。

「いやいやいやいやいや、お前俺いくらか?聞いたらノーマネーでいいつったじゃねーかよ」

こうして言い争いが始まる。



で、「2時間でいくらなんだ」と聞くと「40ポンド(約680円)」との答え。


「なんで最初に言わなかったんだ」と聞くと、


「最初にらくだは一時間いくら?と聞いてくれれば答えたけど、聞かなかったじゃないか?」




「いやいや、聞いたでしょ」そうして、立ち去ろうとすると、


「とにかく、金を払わんとここを通さん。」といってきやがる。


タバコを吸おうとする彼に、とりあえずライターだけあげて、



「じゃね」って無理やり通ろうとするけど、




こっちのカバンとか引っ張ってきて、もう押し合いへし合い。


こっちの帽子とかカメラとか引っ張ってきて、


「やめろ、やめろ」とか言い争ってると



子供達が寄ってくる。



ムスタファ的にもこの状況は芳しくないらしく、よってくる子供達に怒鳴り散らして、近寄らないようにしている。


こっちてきには、その芳しくない状況が、芳しいので、その子供達のそばに行くようにして、



その揉め事を続ける。




最後には、「10ポンドでいいから払え」とか言ってくるけど、




「金ないから払わへん。」と頑なに払わないで居ると、



ようやくあきらめた様子で、




「じゃー、もう二度とこの村には戻ってくんなよー、おしりぺんぺん」ってな感じでムスタファは僕を解放した。




そして、ボート乗り場に向かって歩く途中、また別のヌベア人に声をかけられる。



「僕は、ムスタファだ。らくだにのらない?お金はいらないよ。」



ヌベア人、全員ムスタファかよ。






帰りのフェリーも、5ポンドとか言ってきたので、1ポンド払って無理やり0.5ポンドコイン奪って船に乗り込んだ。




とにかくエジプトの観光地ってのは、基本的にはこんな感じ。





エジプシャン、基本的にはいい人なのかもしれないけど、


3,000年前の遺跡にこだわって潤っている彼らは、退化しているとしか思えない。



カイロの日々。というか猫。

2010年03月17日 19:32

明日、エジプトを出発。これが更新されるのが17日?

出発するのは、3月15日。そういうことで、ブログがほぼリアルタイムとあいなりました。

めでたしめでたし。


ちょっと前まで一ヶ月前の話だったのに、いきなり追いついたのはカイロでの不毛な日々のおかげでしょう。


あっさり27日くらい居たらしい。


安宿をを転々と4件し、ついでにヒルトン一軒。


コシャリという、米とパスタとマカロニと豆をあわせてトマトソースをかけただけというなんとも

オリジナリティあふれて、安い食事を毎日のように食べ、一食 50円。


再び、色んな友人と再会したり、そしてぐだぐだカイロで毎日同じ通りを通って、

毎日同じアイスを食べて、
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ピラミッド、もう一回行って、
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コフテっていう、肉のかたまり食べて
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ついでにチキンも食べて、
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朝マックもして、ホットケーキの旨さにも感激して、
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エジプトには、野良犬は全然いないけど、猫がたくさん多いなって思って、
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でも、猫が多い国はいい国って変な固定観念は、ちょっと取り払われたような気もして、
エジプトがこんなだから、
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猫はモスクの中まで普通にいて
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そんなカイロの日々。
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写真は、アレクサンドリアって町から。地中海があまり綺麗に見えない。
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そういうことで、アフリカ縦断開始です。
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カイロで豪遊!!

2010年03月16日 21:20

カイロで一日1,000円以下の暮らしを続ける中、突然の豪遊が始まった。

さしみー。マグロもサーモンもひさびさー。うめー。
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てんぷらー。あぶらっこいー。前々から気づいてはいたけど、味噌汁は世界一旨い飲み物だと思った。
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日本で見るなんてことないこんな絵も、この長旅ではとっても貴重。
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この後、カイロのカジノへ。

戦果 34ドル。ミニマムが5ドルと、一回ベットして負けると、宿代が一日飛んでいく。

ビール飲めて、ジュース飲めたし OK。

エジプシャンの入れないカイロのカジノ。ネパールなんかに比べると高級感漂いまくってる。

そして、ナイル川沿いのラムセスヒルトン 五つ星になんか知らんけど宿泊。
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これは、また別の日のラムセルヒルトン最上階レストランからの景色。
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シーザーサラダ。一年ぶり♪
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サーロインステーキ。一年ぶり♪
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カイロの庶民どもを見下ろす。
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なんでこんな豪遊にめぐり合えたかというと、大学の友人が立て続けに二人、カイロに偶然来る事になって、

そして偶然にも都合があって(というかこっちが暇なだけなんだけど)、1年ぶりくらいの再会が出来た。


二人ともばりばりの社会人。

いい友達を持ちました。そして日本で働く社会人の力を見せ付けられました

カイロを底辺からてっぺんまで駆け上がった気分。

自分も、会社辞めないでずっと働いてたら、この4月から6年目になるらしい。

卒業してから随分経ったなと実感。

回りも結婚の話が続々と出始めてる


こんな事してていいのかって少し悩むけど、この日々の充実感が尋常じゃないから

これでいいんだろーね。もう二度とやってこないかも知れない充足した日々です。


そして、戦果
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とりあえず写真みてくれ@エジプトさばく

2010年03月15日 20:50


カイロに着いて翌日、とにもかくにもバフレイヤオアシスに向かった。

バフレイヤオアシスに向かう途中の休憩ポイント。バスで行ったんだけどね。
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いきなり砂漠。
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砂漠で逆立ち。
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黒砂漠。
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砂漠でエンコ。このあとどうしたんだろ?
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砂漠でひとり。ひとりじゃなかったけど。
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風が吹かない砂漠だから、こうして車の轍がたくさん。
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マッシュルームとチキン岩。
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うさぎ岩。
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砂漠とパスポート
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夕陽を見つめるジジ
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そして、白砂漠。
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夜は砂漠で寝る。

一応、壁だけのテントみたいなのを作ってくれるんだけど、そんなの無視して適当にマットもってって
適当に好きなとこで寝れる


そんな最高な事無い気がする。
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満点過ぎるくらいの星空。流れ星がたくさん。
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砂漠の夜は静寂そのもの。すっごくとおくの方の音が聞こえる。でも、夜中ベドウィンだか知らないけど、
楽器を叩きながら、移動してて12時くらいまでうるさかったけどね。

とにかくこの静寂は、カイロの喧騒とは正反対の環境にあった。

多分、カイロがあんなにうるさいのはこの砂漠の静寂さが恐怖で恐怖でたまらなくて、
そこから逃れるためなんじゃないかと思った。
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この砂漠での体験は、やっぱり写真じゃなくて来ないと分からんです。

マーシーを追って、エジプト入国。ついでにピラミッド。

2010年03月14日 09:01

まーしーを追って、中東南下。

実は、エルサレムでほんの数時間追いついたんだけど、書きそびれた。




ヨルダンのアカバ港からエジプトのヌエバ港へとフェリーで向かう。

高速フェリー 70ドル。  最近、散財気味。


イスラエル出国税、ペトラ遺跡の入場料、そしてこのフェリー代


アカバ港で、チケット購入を待っていると同じ色した台湾人に発見され、

話しかけられる。その親父

鼻毛ぼーぼー

めがね垢だらけ


はげ、中年、小太り

直視できなかった。直視すると鼻からさっき食べたチキンケバブのチキンが出るんじゃないかと思った。

でも台湾の大学教授。仕事で来てた。


アジア人という一体感からかやたらと付いてくる。


でも、その鼻毛ぼーぼーっぷりの迫力に押されて、結局フェリー乗り場に行くバスで、


別々に。



  ごめんなさい。





ヨルダン アカバ港からエジプト ヌエバへと向かうフェリー
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フェリーはうわさどおり乗船してもすぐには出発せず、ずーっと待たされる。





出向して一時間半くらいすると、フェリーはヌエバに着くんだけど、そこから下船までまた一時間くらい待たされる。



写真は、こっちのコーラと紅海。
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そうして、ヌエバ港に着くと、ヨルダンとは雰囲気がまるで違う。



蒸し暑くて、エジプシャンたちが固まってバスの入り口で揉めてるし、




タンカーの上では幾人ものエジプシャンたちが大声を張り上げて、荷物の持ち主を探しているし、



ハエは群がってくるし、




ついにアフリカ大陸に上陸したんだなってのを実感








と、同時にこの感じがどうにもこうにもインドに似てる。






ここはインドか?と錯覚する。







とりあえず、インドはもういいんですけどって気分になる。







ヌエバからシナイ半島は、無視してカイロに行くつもりだった。







砂漠ツアーに行く約束があったもんだから。








でも、この鬱蒼とした感じがあまりにもインドとシンクロしてしまい、





このままだとエジプトに対するイメージがマイナスからスタートしそうだったので、






ずいぶんと高いミニバスで、かの有名なダハブに向かった。





そしてそこで、マーシー捕捉。おとこまえまーし。イスタンブール15日前に出たマーシーを完全に捕捉。
この上ない意味の無いテーマ。
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ダハブの夜景
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ダハブ、やばすぎる。気持ちよさげすぎる。歳さえ取らなきゃいくらでも居れるんじゃないかって雰囲気むんむんしてる。

完全に沈没癖ついた僕にとって、この街は危険すぎる。




そういうことで、ダハブをわずか5時間にして出発。  ダイビングのライセンスも取る予定ないし。


そして、翌朝カイロに到着して、さらーーーっとピラミッド。

スフィンクスの目の先にあるピザハットから取った写真をひっくり返したらこうなる。
ピラミッドが帽子被ってるでしょ。
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(ヨルダン)写真満載でお送りする最後の聖戦ペトラ遺跡

2010年03月13日 11:59

ヨルダンでちらっと出会った日本人に、ペトラ遺跡ただで入れるかもしれませんよって言われたんですよ。


入り口から左側に馬小屋あって、そこからしれっと行けば行けるかもしれないって。


でも、あっさり見つかって、やむなく33ディナール(ほぼ33ユーロ)という大金払って入ったわけです。

入場して20,30分も歩くとあっという間にこれ。。
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しょっぱなからこれ。インディージョーンズ最後の聖戦で、聖杯が隠されてた場所がこれ。
インディのお父さんヘンリー・ジョーンズが死に掛けて聖杯の水飲んで生き返った場所もここ。
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いきなりたどり着くと、この後どうしていいか途方にくれる。


で、勝手にガイドなしじゃ上っちゃあきませんってとこ登る。


もう遺跡とかどーでもいい

でたどり着いたのが、こんなとこ。かなりのアドベンチャーだった。がけのぼり。
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ペトラがいこつ岩
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きれーな景色。下界では大勢の観光客が押し寄せる中一人この景色を堪能。
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で、迷い迷ってたどり着いた即席お土産屋の親父。ポストカード買っちゃった。
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ペトラ猫。
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ペトラみやげ。
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ペトラ壁。
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ペトラ猫2
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で、ペトラにいた浮浪者の子供
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ペトラらくだ。ぺとらくだ。
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がけを降りて、適当に見てやっぱり遺跡はいいやってなって、
そこに居たらくだノリの親父に
「おーい、そっちいったら迷子になるからやめとけやー」って言われたけど、
「なんとかなるし、なんとかなるべ」って言って行ってみたら、案の定迷子になって、
林の中でさまよった。
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で、そこで見つけた小さな滝。もはや人の気配なし。ペトラ遺跡で完全迷子。
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癪だけど、元の道を戻り、再び歩く。ペトラロバ。ペトロバ。
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ぺとらみやげ。
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1時間再び歩き続けてたどり着いたView Point。
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View Pointにいた犬。ペトラいぬ。
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ペトラにきたことあるジジなんて、世界で二匹くらいじゃない?ペトラジジ。
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ペトラ遺跡、相変わらず好天に恵まれて空が滅茶苦茶青かった。
青って、どこまで青くなれるんだろってくらいに青かった。
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ペトラにひっそり咲く花 ぺとらばな。
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ぺとらねこ3
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ペトラってそういえば遺跡だった。 ペトラ遺跡。
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ペトラ遺跡のあるワディムーサでとまった Valentine Inn。
ここの食事4JD(約500円)とかでかなり高いんだけど、ビュッフェ形式で、
中東の退屈なバリエーションの食事に飽きた僕にとってはかなり嬉しいご馳走。
って写真ないし。

翌朝、エジプトに向かって旅立った


ヨルダン滞在、わずかに5日。しかもほとんどイスラエルへの入国日、出国日、エジプトへの入国日とかだし。わずかに2泊。


イスラエル脱出して、最後の聖戦へ

2010年03月12日 06:16

イスラエルには、8日間滞在。

問題は山積みで、これからどうなるか目を離せないことになるのは間違いないこの国に

一週間いて、それでもまだまだ物足りないくらいこの国には見所がたくさんあった。



ユダヤ人とパレスチナ人が共存してる旧市街をただ歩くだけでも十分面白かったし、

知識をもっと増やして、この各宗教にまつわる聖地を訪れれば、さらに興味深くこの国を回れるんだろうし、

テルアビブとエルサレムとのギャップも激しくて、ユダヤ人の作るテルアビブという都市には惹かれてしまった。

あまり代わり映えのしない中東の町々の中で、テルアビブの異色さは抜きん出てる。



正直、パレスチナ人の中には日本人を馬鹿にしたような態度を取ってくる人も多いし、それに比べるとユダヤ人のほうが随分と倫理的に大人な感じがした。

だから、人柄から判断するとあまりパレスチナ人って好きになれないかもしれない。すぐ怒るし。


物の値段を2,3回聞きなおしただけで、めっちゃ怒ったりする。

ユダヤ人はユダヤ人で、「この国は、最高の国だ。ただ隣国に恵まれてないだけだ」とイスラエルの成り立ちから考えるとおかしな事言ってたりして、

正直、ユダヤ人もパレスチナ人も好きにはなれなかった。


イブラヒムに関しては、この旅1,2位を争う良い人だったわけだけど。

とはいえ、このイスラエルって国は色んな魅力の詰まった面白い国だなと実感したわけです。


ってなわけで、イスラエルを再び同じルートで出国。

出国審査に関しては、随分と雑なんだけど、この国ではビザ代取らない代わりに、

多額の出国税が取られる。161.5シュケル(約4,000円)だったかな。

再びキングフセイン橋
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タクシーの乗り継ぎ、乗り継ぎでアンマンへと戻る。


アンマンへと戻り、久々に中東色いっぱいの白々しい街中でカレーを食べ、


そしてイランからイスタンブールまで一緒で一人薬の副作用に苦しみまくる三沢君と再びイスラエルで合流を果たし、


セルビスでぺトラ遺跡のあるワディムーサへと向かった。

アンマンからワディムーサまでの道のりでひとやすみ。ずっと砂漠。
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平和を作る人と桜と猫

2010年03月11日 20:51

イスラエルに居た8泊9日のうち7泊は、オリーブ山のてっぺんにあるイブラヒムピースハウスに泊まった。

ここは、一応宿ではなくドネーションセンターという事で寄付で成り立っている。


一泊2食or1食(日による)付き、水シャワー、街の中心からは離れているものの


イスラエルの物価の高さから考えると、食事付きってのは大きくて居ついてしまった。



そして、何より惹かれるのがここのオーナー パレスチナ人のイブラヒム。


バスで、オリーブ山のてっぺんに行き、イブラヒムの家はどこだ?と聞くと

誰もが知ってて教えてくれる。そのくせ、場所は随分分かりにくいところに。

看板も何も無い。
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宿にたどり着き、イブラヒムと会うとなんとも人のいい親父というかおじいちゃんという感じ。


そして、会って早々に

「いいから食べなさい。食べなさい。紅茶は飲むか?スープはこれ。パンはこれ」

と僕らに食事を与えてくれる。

結局、ベッドを案内される前に一時間も食べ続け、ついでにイブラヒムについての話を聞かされる。

「世界中、アメリカやインドや、ヨーロッパ、オーストラリアなんかに行った。でもパスポートは無くて、すべて招待されて行っている。アメリカには44州に行ったんだ。イスラエルに住んでいてパスポートがないからサウジアラビアやその他アラブ諸国には行けない。私にはたくさんの家族がいて、それは私の財産だ。」
みたいな事を話していた。

事実、この家の壁には彼が行った場所で、インタビューや面会をした記事の新聞が張ってあったり、

州知事からもらった鍵?なんかが置いてあったりする。


彼は毎晩、毎晩、僕らのためにたくさんの食事を作ってくれる。

味が薄くて イブラヒムソースなんて呼んでたりしたんだけど、塩コショウをかけるとかなりいける。

基本的には、パンとスープとおかず一品(にんじん、じゃがいも系がほとんど、一回だけ肉)。


そして、僕らを見るや否や「EAT!!EAT!!

と食事をすすめてくれる。食事中も紅茶を出してくれたりと、大変気前がいい。

朝、パンがない時は僕にお金を渡して、「そこでパンを買ってきて」と頼まれたりもする。

いっつも小額の寄付で申し訳ないので、パンは自腹で買った。つっても250円くらいで

大量のパンが買えるわけだけど。



イブラヒムピースハウスには、欧米人、日本人、韓国人も含めて色んな人が泊まりに来る。


新しく来る人は、大体寄付をしていくわけだけどお金がなくてずーっとそこに居る人も2,3人いるみたい。

彼らはニュージーランド人だったり、アメリカ人だったりで、もうビザも切れて、帰るお金も無くて、

どうしようもなくてここに居ついているらしい。



イブラヒムは言ってた。

「この家は、祖父の代からやっていて、それ以来ずーっと営み続けてきた。毎晩、食事だけは絶対に出す。もし、食事を出せなくなる事があれば、家を閉める。だから出来る限りは、やっていきたい。それでも、こうして長期で無銭で滞在されると運営が厳しくなると事もある。去年は実に厳しかった。だから、私自身働いているし、このような大変な事を息子には継がせたくない」と。

彼は、この家の運営と共に、さまざまな人に出会う事で平和活動も行なっている。

こちら彼のホームページ↓
http://jerusalempeacemakers2008.jerusalempeacemakers.org/ibrahim/index.html


そんな彼の心意気に感動した。


安宿目的で行っただけだったけど、この家のためなら一泊100ドルでも払っていいと思った。

100ドル払ってもいいと思って、20ドルしか払わなかったわけだけど、いつかまたエルサレムに来る事が

あれば、イブラヒムを訪問して、出来る限りの事をしたいなと思う。



イブラヒムピースハウスの家を出発する日、彼に

「I like you」と言うと、

「I like you too.See you in Japan!」

と言ってくれた。涙が出そうになった。とにかく本当にいい親父。

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これを見て、もしエルサレムに行く方があれば、ぜひ彼の家を訪問して欲しいです。
そして、イブラヒムに会って下さい。

行き方
旧市街のダマスカス門そばにあるバス停から人に聞いてオリーブ山行きのバスに乗る。
確か75番のバス。頻発。それかタクシー。
オリーブ山のてっぺんに着いたら、とにかく「イブラヒムピースハウス?」って聞きまくれば、皆知ってる。  それだけ。

でもって、エルサレムの旧市街を囲む城壁は上を歩く事が出来て、のんびり歩いてたら

桜を見つけた。

桜って、見ると本当に嬉しくなるし、
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ほっとする。
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多分、日本人だからなんだろうけど。
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にらみあう猫。ユダヤ人とパレスチナ人みたい。
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(イスラエル)テルアビブが気持ちよすぎる

2010年03月10日 08:47

イエスが育った街 ナザレに行くつもりがユダヤ教がお休みの日のせいで、

行く事できず。


結局その日は、ともくん、かなちゃんとテルアビブへ。


テルアビブは、イスラエルの首都みたいなとこ。ってかほぼ首都。
いろんな国の大使館関連、全部ここにある。首相官邸はエルサレムだけど。

テルアビブにはampmもある。
なにげにしょうゆとか、日本の食材も少し売ってる。そしてテルアビブ中どこにでもある。
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ロスチャイルド通り。ロスチャイルドといえば、ユダヤ系超金持ちの家系。
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そしてたどり着いたビーチ。なんか絵になってる。
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やっぱり絵になってる。
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そして、地中海を眺め、ビールを飲みながらぐだーー
結局、テルアビブ何も見ずにそのまま4時間ぐらい ぐだーー
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イスラエルいいとこ。
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このおっさん、毎日この格好で走ってるっぽい。
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一日目は、本当に海でぐだーってして、それだけで帰った。
それでも最高に気持ちよかった。今、自分が一番求めてる事がそれだったらしい。
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テルアビブは、何気に世界遺産。
テルアビブの現代建築群みたいなタイトル。
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テルアビブが名残惜しくて、一緒にイスラエル来たみんながイスラエルを出国しちゃって、
一人になって、そしてまた来た。地図も持たずに。

街並みは、ヨーロッパとか北米みたいな雰囲気で車のマナーもいいし、道は綺麗だし、静かだし、
済み安そうなところ。
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現代建築的なやつ。
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現代建築的なやつ2
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現代建築的なやつ3
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現代的なやつ。
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ってなわけで、写真のみでお送りしたわけだけど、テルアビブは随分と住みやすく

気持ちのよさそうな街だった。


何しろこんな都会に地中海が隣接してるってのは、最高の立地でしょ。

カナダのバンクーバー並にすみやすそう。



ただ、このテルアビブと同様に地中海に隣接してるのは、パレスチナ自治区にあたるガザ地区。

そしていま、パレスチナのイスラム原理主義的な人たちが浮遊爆弾なるものを構想中で、

ガザ地区から爆弾をふわふわと流すとそれが北へと流れて、この平和なビーチで爆破するという

テロを考えてるんだとか。

んー、住めませんね。

ともかく、こんなに気持ちの良い首都機能を持った街をお持ちなんですから、

エルサレムに関しては壁以外、もう少しパレスチナに譲歩しては?とか思ったりもする。



でも、エルサレムについては多分あんな感じで外から何も足さずに引かずに、

勝手にやってったら変ないざこざも起きないはずなのに、エルサレムが調子乗って

挑発的な法律作ったり、首相が神殿の丘入っちゃったりと、いらんことやるから、

あーなる。そして自爆テロも起きる。

もー、ぐずぐず。

壁好きなユダヤ人

2010年03月09日 21:25

その日は、ずいぶんと壁ばかり見る一日。


ベツレヘムに行った日何だけど、ベツレヘムというのはパレスチナ自治区にあって

パレスチナ人の居住区。

そして今、イスラエルはパレスチナ人があまりにもSuicide Bombを行なうものだから、

壁を作っちゃえって名目の元建設している壁がある。


分離壁。





その壁の距離は2008年8月時点で409キロにものぼり、合計で723キロにもなるという。



パレスチナ自治区に侵食して立てられるこの壁は、パレスチナから水資源を奪う意味もあったりして、

パレスチナ自治区を干からびさせる意味もあるらしい。


国連決議でも非難され、国際司法裁判所でも撤去勧告され、それでも壁は作られ続ける。

バンクシーという芸術家が、イスラエル軍に銃を向けられながらも書き続けた絵が、
ベツレヘム近くのパレスチナ側の壁には残されていた。
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五本指に、仏教、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教、ヒンドゥー教が描かれる。
位置のせいか仏教だけが残されてる。仏教って平和な宗教だよね。
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Fuck Israel
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壁。
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ツーリスト愛されてます。
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これもバンクシーの絵。左側のレンガが書かれてる部分には、本当は綺麗なビーチの絵があったらしい。
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パレスチナ自治区からイスラエルのエルサレム側へと入るためのゲート入り口。
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この壁を見終わった後、僕らは旧市街の嘆きの壁へと向かった。
多くのユダヤ人が壁に向かって祈りをささげる。
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そして、感じた事はとにかくこの人たちは壁が大好きなんだな。と。
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でも、もうひとつ思った事は、同じような状況に日本国が置かれたとして海ではなく陸に他国と
接していたとして、日本人の性格からして
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分離壁みたいな壁作りかねないよなって思った。だって、爆弾持って自爆する気でやってくるんだもん。
ってそれ日本人やん。
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僕が生きている間に、この壁が取り払われる事はないんじゃないかって思う。

市民活動でどんなに頑張ろうと、第三国がこの壁に対してどんなに非難しようと、

この壁は存在し続けると思う。

平和って作るもんじゃなくて、気づいたら勝手にあるもんだとおもう。


それにしても、バンクシーのやってることかっこいいな。

自分勝手にやりたいことやって、それが世界中にファン作って、メッセージもちゃんと伝わって・・・





(イスラエル)グッバイ、ジーザスクライスト。その2

2010年03月08日 11:23


エルサレム旧市街には、イエスキリストがユダに裏切られ、捕まって

死刑判決を受けて、十字架を背負わされて、歩いた道。

そして、磔にされたゴルゴダの丘まで一式揃ってる。

イベント順にステーションNO.1からイエスが辿った道のりを追うことが出来る。

その道をVia Dorolosaと呼ばれている。


毎週金曜日には、その道をみんなで歩くイベントなんかも催されていて

キリスト教徒にとって、この地の意味の大きさはマリアナ海峡よりも深くて、

エベレストより高い。


エルサレムに着いた翌日とりあえず歩いたわけだ。




聖書なんてまじめに読んだことなかったけど、こうして歩いてみると色々と知る事が出来た。


キリストが十字架を担いでゴルゴダの丘にたどり着くまでに3度転んだ事や、

母マリアと見詰め合った事、そして顔についた泥を布でぬぐわれたこと。


それを知ってどうなる?って話にはなるけど、



とにもかくにもその場所の写真撮ってきた。

イエス・キリスト最初に転ぶ
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イエス・キリスト、マリアを見つめる
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ま、そんな過程が10個くらい続いて、ゴルゴダの丘(聖墳墓教会)到着

イエス・キリスト、十字架に立てられる
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イエス・キリスト、息を引き取る
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死んだキリストが香油で清められた亜麻布で包まれた石
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そして、イエス・キリストの墓。復活の場所
マグダラのマリアが、死後キリストの墓に行ったらキリストはすでに居なかったそうな。
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キリストは、復活していくつかの奇跡を起こして昇天される。

エルサレムにはしっかりと昇天した場所も残ってる。

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ついでに足跡も残ってる。
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Via Dorolosaでは雨の中、子供に道を聞くと、うそをつかれるわ、

No5を探してるのに、いきなりすっとばしてゴールの聖墳墓教会まで連れてかれるわで

キリストが本来歩いた3倍くらいの距離を歩かされたり、この聖地に住むガキはたちが悪い。

2000年前からこうなんでしょうか。


こうして行って、思う事は全ては想像力と知識の問題だなと。

何も知らずにここを歩く事の無意味さは計り知れない。

知った上で、それを感じながら歩かないと意味が無い。


多くの遺跡や美術館にもあてはまるんだけどね。







(イスラエル)グッバイ、ジーザスクライスト。その1

2010年03月07日 08:31

キリスト教の聖地エルサレム、そしてこのパレスチナ。

キリスト教ではないけど、高校の時、月曜の一限は宗教の時間でいっつも爆睡

そして、宗教のテストでは祈りをひたすら覚えた。


天にまします我らの父よ、願わくはみなのとおとまれんことよ、みくにの天に来たらんことよ

われらが天におこなわるるごとく、地にも行なわれん事よ、われらが・・・・・・



あんなに覚えたのに、これ以上思い出せない。忘れっぽさが嫌になる。




そして雨の中訪れたのは、ベツレヘム。 パレスチナ自治区にあってキリストの生まれた地。

相変わらずパレスチナ人とユダヤ人との銃撃戦なんかも時折行なわれちゃう場所。

生誕教会。
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たまたま教会の内部に入ると、ミサというか合唱が行なわれていて、それはもう厳かな雰囲気。
本当に今にも救世主が生まれたんじゃないかというくらいに。
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ここには、観光客も牧師も誰も来なくて、一緒に来た人たちも少しの間だけ来なくて、
静寂な空間に僕一人だったんだけど、入った瞬間に心が洗われたような気がした。少しだけ涙が出た。
この広い生誕教会で一番好きな場所。そしてまた行きたい場所。ずっと居たい場所




イエスキリストは、生まれた後マリアに抱かれてベツレヘムを追われてエジプトに行こうとしたそうな。その時、マリアから落ちた母乳が岩を白くしたそうな。その教会 Milk Grotto

このシスター。僕が見ている間微動だにせずずっと前を見つめていた。
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ベイビージーザスクライスト。
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そして、イエスキリストはナザレで育ったわけで、僕もそこに行こうとしたんだけど、ちょうど行きたかった土曜日はユダヤ教にとってお休みの日。その休みっぷりたるやムスリムのそれを超越して、長距離バスなんかも全部休み。タクシーをチャーターしないといけなかったりして、断念。

まぁ、そんなこんなでイエスキリストは教えを説いて、弟子をたくさん作って、そして処刑される前夜に
レオナルド・ダ・ヴィンチのそれで随分と有名な最後の晩餐なんかを迎えるわけです。

とにかくその最後の晩餐が行なわれたのが↓の場所。

最初行ったら、誰もいなくてただの何も無い場所として、スルーした。
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も一度行ったら、すっごく綺麗な音色が聞こえてきて、綺麗なお嬢さん方が綺麗な歌声で歌ってた。
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そして最後の晩餐の翌日、キリストは十字架を背負わされてゴルゴダの丘へと向かう。



つづく。



エルサレム「神殿の丘」で衝突、45人負傷

2010年03月06日 05:33

エルサレム旧市街にあるイスラム、ユダヤ両教徒の聖地「神殿の丘」周辺で5日、パレスチナ人らイスラム教徒とイスラエル警察が衝突し、イスラエル放送は、パレスチナ人約30人、警官約15人が負傷したと伝えた。AP通信によると、神殿の丘にあるイスラム教礼拝所「アルアクサ・モスク」を金曜礼拝で訪れたパレスチナ人らが、ほぼ隣接するユダヤ教聖地「嘆きの壁」で祈っていたイスラエル人や警備の警官に投石し、警官隊が神殿の丘に突入した。

 イスラエル政府は2月21日、占領地ヨルダン川西岸の宗教史跡2カ所を自国の「国家遺産修復計画」の対象にすると決定したが、両史跡はユダヤ教とイスラム教共通の聖地で、パレスチナ側が強く反発。アルアクサ・モスク周辺では同28日にも双方が衝突し、数人が負傷した。

 神殿の丘は古代イスラエルの神殿があった場所で、イスラム教徒は「ハラム・アッシャリーフ」(高貴な聖域)と呼ぶ。(共同)

二つ前のエントリーで「何をしたら射殺されるんだろう?」って書いたけど、

このモスクのそばにあるモスクから、
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ここに石を投げると、取り合えず殺されはしないけど、負傷追われるほどには撃たれるっぽい。
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ほんの一ヶ月ばかり前にいた時は、ただの観光地みたいで随分と平和だったのに、

平和ってのは一瞬でいなくなってしまいますね。

アルアクサ・モスクは、岩のドームの美しさゆえに写真を撮ることすらスルーしてしまったけど、

とにかく普段は親父がこんな風に昼寝してるくらいに平和なところ。
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(イスラエル)死海に沈んでみようか

2010年03月05日 12:51

イスラエルとヨルダンを隔てる死海。


世界一標高の低いところにある湖  海抜 マイナス418メートル。


その日は、エルサレムで雹が降っちゃうような悪天候。

そんな天気だとモチベーションが随分と下がるわけだけど、僕らは果敢に死海へと向かった。




バスで1時間ちょい。バスは標高をどんどん下げていき、さっきまで寒かったのにいきなり暑くなってくる。




そしてイスラエルに用意された唯一の死海無料ビーチに到着。
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早速、さくっと服脱いでおそるおそるDead Seaへと足をつける。






そして、体を湖面にまかせて倒れる。








やっぱり浮いた。
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新聞読めた。アラビア語だから読めてないけど。
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死海の浮きっぷり、滅茶苦茶楽しい。


この神秘的体験!?



大阪の健康ランドでも出来るらしいけど、やっぱり自然の力でしょ。





雄大な自然の中、勝手にぷかぷかと浮いているのは最高に気持ちいい。



ところが、この無料ビーチ。海に入る導入部が岩場でごつごつ。



そして、足を軽く怪我して、死海の濃い塩水が僕の傷口を攻め立てる。




そんな濃い塩水に目など浸そうものなら、染みまくってえらいことになるらしい。




死海で沈んでみようかと思ったけど、どうやら相当のリスクを負うらしい。




ま、そんな死海。
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死海の猫。死海猫。
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(イスラエル)なにしたら射殺されるんだろ?

2010年03月04日 11:33

イスラエルの国境からエルサレムまでの道のりは、パレスチナ自治区。



枯れてた。




そんなエルサレムに辿りついて、乗り合いタクシーを降りると、


あまりにも普通にパレスチナ人やユダヤ人が町を歩いてて、


その光景がどこにでもある中東の一都市としか思えず、ここに来るまでの緊張感は

一気に吹き飛んだ。



もっと、お互いが殺伐としながら暮らしてるのかと思ったのに。

こんな光景が健全なのかは知らないけど。
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エルサレムの町を歩いてると徴兵された若いイスラエル人達が、私服で普通に銃を持ってます。


今までもインドやネパールとかチベットとか、警察や軍が街中で肩に銃下げてたんだけど、
ちょっと古ぼけた銃で、その様子は飾りでしかないように思えて、永遠に発砲されないんじゃないかって感じだった。



ところが、こっちの兵隊さん達の持つ銃は恐らく今も前線で使われてる現役バリバリのものばっかりで、

昨日ちょっと戦争でもしてきましたと言わんばかりの雰囲気だった。

意外と記念撮影に応じてくれます。
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新兵さん達。
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とにかくこうして銃が当たり前に存在してる事は、日本の状況とは正反対な感じがして、

イスラエルと日本ってのは、両極端な関係に位置しているなぁと意識させられる。



だから日本で適当に平和を祈ったところで、こんなに遠いところまでその祈りが届くのは

難しそう。





わめき倒してイスラエル入国

2010年03月02日 08:05

イスラエル。

とにかくこの国に関するニュースや情報は、遠い極東の島国 日本国にまでよくよく伝わってくる。

しかも、その情報の多くはことごとく物騒な話。


そのせいで、イスラエルに対するイメージは 一文字で表すと ”


そんな国にアンマンで集合した日本人8人でタクシーをチャーターして向かった。


アンマン側イミグレに到着すると、パスポートはスタンプに押されず、8人分の名前だけ書かれた

紙切れにスタンプが押される。



そして、かの有名なキングフセイン橋をバスで渡り、イスラエル側イミグレへ。



日本がヨルダンに無償資金供与して造られたこの橋 12億円。


もっと仰々しいはしかと思いきや、あまりにもあっけないただの橋。

12億円どころか、1億円もあれば十分に橋作れるような気がするんだけれども。

旅に出て、色んなところでJICAやODAからの資金供与、借款で造られた建造物を見てきたけれど、

明らかに立派過ぎるものや、これ本当にこの国の国民のために役立ってるの?みたいなものが多い気がする。



日本国民全員が10円ずつ出し合って作った橋。
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バスを降りると、さっそく私服警備員が自動小銃を肩に下げている。




この国では当たり前の光景なんだろうけど、やはり緊張した。





そして入国審査。





まずは、バックパックを預け、パスポートにカバン貼ったのと同じシールが貼られる。



その後、ゲートを通って、簡単な質問を受けた後、持ち物検査。

僕は大丈夫だったんだけど、PCのデータとかがっつり見られてる人いた。


更衣室に連れてかれて、上着を脱いで、ポケットのもの全て出して入念なほどに

ボディタッチされて、危険物持ってないかをチェックされる。


ちなみにこのチェックを受けたのは、僕だけだった。
「Do you have Weapon?」と聞かれて、Weaponが聞き取れず、戸惑ったせいかな。


武器持ってるか?なんて質問、生まれて初めてされた気がする。想定外すぎる。


で、ようやく入国審査が始まる。







一番左側の VIPと書かれた窓口に案内される。



僕らの前の欧米人の番でやたらと時間がかかってる間、


「やばいよ、変な事したら射殺されるよ。」

「エルサレムで泊まるホテルとかどこにしとく?」

「俺、イランスタンプあるから別室行きかも」

とか冗談なんだか本気なんだか分からん事を緊張の中、みんなでのたまっていた。




そして、僕の番が来る。係員はちょっと強面で気難しそうな女の人。

「旅行目的は?」


「旅行日数は?」


「どこから来たの?」


「イスラエルはどこを見る予定?」


「ウエストバンクには行くの?」



そんな質問に答えていると、隣の窓口に韓国人の団体さん達が並び始める。



おそらく、韓国のキリスト教の団体さん達のようだ。




「ノースタンプでよろしくたのんます」とお願いすると、渡された用紙に必要事項を記入していたわけなんだけど、


その間、どうやらすぐ隣の窓口が騒がしい。







一人のちりちりパーマのおばちゃんが喚いている。




コリアー、 アイアムコリアー



自分のパスポートを指差しながら、とにかくそのワードを、何度も何度も喚いている。



その団体の添乗員と思われる人や、身内らしき人が彼女をなだめているが、おばちゃんはとどまることをしらない。



ただ、ひたすら「こりあー、こりあー」と喚いてる。



その入国審査の何かが気に入らなかったのか、イスラエルがそもそも好きじゃないのか知らないけど、

とにかく喚いてる。


その状況があまりにおかしくて、笑いをこらえきれずにいたんだけれど、

僕の担当のお姉さんが爆笑している。お姉さんは、爆笑したまま僕の審査をそのままにどっか行ってしまう。


さっきまで、あんなに真剣な顔をしてたのに。



そのおばちゃんは、身内の人たちに引きづられて窓口に裏に連れてかれ、なにやら説得されてる。


最終的には、おばちゃんはひきづられて入国審査を済まし、ゲートをくぐって僕らより早く入国を済ませたみたいだった。



僕は、Waiting Areaなる場所で、30分ほど意味不明の待機を命じられた後、無事スタンプを別紙にもらい、

イスラエルを入国を済ませることが出来た。


他のみんなもほとんど時を同じくして、スタンプをもらい入国フィニッシュ。



とはいえ、誰よりも早く済ませたのはそのわめきちらしてたおばちゃん。





「やばい、おばちゃん射殺されちゃうよー」とか冗談言ってたんだけど、意外と入国はゆるいんでしょうか?











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