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アンマンの夕陽

2010年02月28日 23:51

更新遅れました。


現実との距離  2月28日- 2月1日 =27日

早く追いつかんと、記事が雑になってくる。ただでさえ雑なのに。


ダマスカス観光を一日で終え、翌朝早速ヨルダンのアンマンへ出発。


イスタンブールとアレッポで出会って、再びダマスカスで再会したたつしさんとえいじさんと

ダマスカスのバスターミナルからタクシーを捕まえて、アンマンへ。




国境超えがタクシーで簡単に出来てしまうというのが、日本人感覚からすると異様。

ヨルダンビザは無料。中東に関しては、事前にビザを取るなんて事をたとえ知らなくても、

日本のパスポートと小額のドルさえ持ってれば、無敵





タクシーのおっちゃんは、シリア側の国境のTAXFREEの店で一人二箱しか買えないタバコを

僕達にまで買わせた。

ヨルダンで転売を図るつもりらしい。


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車は4時間ほどで、アンマンに到着。


国境超え慣れしてきた今日この頃。

使われてる言語も宗教も同じ国。国境を越えたという気分の高まりがどうにも低いんだけど、

シリア人に比べるとヨルダン人は英語が達者だけれど、ビジネス根性が強くて、親切心が少し少ないので、

旅行者にとってヨルダン人の魅力は、シリア人に比べると随分と薄い。



そんなアンマン。



宿泊した宿は、Mansur Hotel 別名 コーダホテル。

DSC_0243jj

2004年幸田さんはこのホテルの近くにあるクリフホテルに滞在し、そこからイラクに旅立ち、

アルカイダに拘束され、そして殺された。

コーダホテルのコーダは香田さん(イラク人質事件の被害者)から取ったそうです。


アンマンからバグダッドへは、ただの一本道。


バグダッドへ辿り着くまでの道のりでテロに合ったり、市内で拘束される確率は、

2004年当時尋常じゃなかったようです。


悪いのはイラク人じゃなくて、テロ組織。

なんだかバグダッドがすごく治安が悪いイメージを日本に居ると植えつけられるわけだけど、

そういうことじゃなくて、アルカイダが潜んでるから危険なだけ。

イラク人は良識のあるいい人たちだし、イラク国内、バグダッドも見所十分なところなんだって。



機会さえあれば、ぜひ行きたい。


今のところイラクやイラク人のために命を賭けるつもりはないから、行かないけどね。



そんなことでマンスールホテルに辿り着くと、クラックドシュバリエで会った日本人の面々と再会。


この中東南下は、再会尽くし。


日本人、世界中どこにでもいるね。

世界のどこまでも日本人は飛んでってるね。



そして、みんなで宿からすぐそばで夕陽が見えるというので、アンマン城へ。

時間外でクローズしてたんだけど、入り口からなし崩し的にこそこそ入って、

日没まで居座る。




なんかそこから見えた景色がアンマンのすべてのような気がした。
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アンマンのすべてを見たよう気がしたので、翌日僕はみんなとイスラエルに行く事にした。










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(シリア)祈ろう、祈ろう、全部捨てちまいな。

2010年02月22日 10:33

レバノンはわずかに2泊滞在でさらっとシリアの首都ダマスカスへ。


さらっとくるつもりだったんだけど、ベイルートからダマスカス行きのバスが

適当にバスターミナル行ったら、3時間後までないとかで3時間待ち。

さらに、3時間待ったら今日のバスはキャンセルとか言われて、

一緒に待ってたカウボーイちっくなドイツ人2人、ナチスちっくなアメリカ人1人とタクシーチャーターして、

ダマスカスへ。シリアに帰ってきた。


ダマスカスについて、宿探し。




ガイドブックに乗ってる宿巡るも、どこも満室。




アメリカ人は、すでに良宿キープしていてそこにチェックイン。


ドイツ人がさらに一人加わり、日本人1+ドイツ人3というパーティを組んで、ダマスカスの町を練り歩く。



どっかの情報ノートで書いてあったダマスカスの安宿 Ziad Hotelに最終的にはたどり着く。







世界最古の都市、ダマスカス。これもまた世界遺産。



この旅に出て、いくつの世界遺産をめぐったんだろうか。そろそろ集計してみようか。





朝からダマスカスの旧市街へ向かう。




ここには世界最古のモスク・ウマイヤドモスクがある。



旅に出るまで、というかイランに入るまでモスクなんて行ったこと無いけど、

イラン以来、行ったモスクの数は数知れず。




その辺のイスラム教徒より絶対数多く行ってる気がする。



これだけ行ったからには、世界最古行きたいよね。





世界最古なのに、ウマイヤドモスクはキリストの教会をぶんどって作ったんだとか。
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複雑な心境ですよね。
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10年かけて教会を改築したらしいんで、
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モスクらしさ全開。モスクらしいとか、らしくないとか良くわからないけれど。



何しろ、おそらく一番モスクらしいメッカにあるカアバ神殿に行く事が難しいので基準がわからない。
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モスクと共に世界遺産登録されている旧市街の町へ。
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狭い路地や広い路地、小さなモスクや大きなモスク、そしてキリスト教の教会。

狭い空間に色々な色があって、どこを歩いても飽きなかった。



大変、味のある場所でした。



朝、割と早くて人がいなくて静かだし
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ところが、旧市街観光終わるとダマスカス見るとこなくて、昼過ぎから市内をさまようばかり。




この旧市街以外に限っては、他の都市と同様に統一色なんだよな、シリアの町。



暑くて、道に迷って、大学行って試験中の教室に紛れ込んで、


それから何したっけか?



シリア最終日。



(レバノン)パレスチナ難民>インド庶民

2010年02月21日 07:33

シリア国境からベイルートに向かう幹線国道の途中、あからさまに貧相なテントを張って、

貧しい生活をしていそうな一角があった。


これは、パレスチナ難民キャンプなんだろーか?


そんな疑問を持ちつつ、ベイルートに到着。




ベイルートで宿泊したTalal's New Hotel行ったら、ちょうど明日も難民キャンプに行きたいって日本人に出会えたので、翌朝から彼と一緒にカメラぶら下げて、ベイルート市内にあるシャティーラ難民キャンプへ。



ベイルート中心部からバスで30分足らずのとこにある難民キャンプ。


市街地のはずれにあって、難民キャンプといってもテント張ってるわけじゃなくて、


狭い区画に古めのビルが隙間無く立っていた。



そして、緊張しつつその区画へと歩みを進めていった。
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その難民キャンプ内に入ると、なんとなくインドの街中を思い出す。


ゴミゴミして埃っぽい感じ。

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だけど、そこには糞を垂れ流す牛も道端でどこでも練れる乞食も野良犬もいない。


そして住人は、ヒンドゥー教徒じゃなくイスラム教徒。


PLO今は亡きアラファト議長の写真が、いろんなとこに飾ってある。


赤く塗りつぶされたシヴァもヴィシュヌもいない。


彼らは、狭い区画に押し込められてるってだけであまりに普通の営みをしているようだった。



ところがどうにも空気が重々しい。

子供たちは愉快に遊んでて、写真を撮ってくれとせがんできたりするんだけど、

大人達からは冷たい視線を感じ続けた。

子供達が、僕に対してしつこく写真撮影をせがんできて、それでもって遊んでると、大人が
「もう終わり、終わり」と言って、その場を解散させる。

そんなシーンが何度もあった。中東の他の地域だと、大人も一緒になって絡んでくるんだけど、

やっぱり空気が違う。

こんな場所で、おもちゃの銃で遊ばれてもちょっとシャレにならん。
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1982年、僕が生まれた年にイスラエルによって行なわれたサブラ・シャティーラ虐殺の爪あと。
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こんな場所でも、日本の機械入り込んでる。
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子供ってのは、やっぱり希望の光。彼らに憎しみを植え付けるのは、残念すぎる。
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この写真好き。
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難民キャンプを見る限り、生活レベルでは明らかにインド人以上の暮らしだった。


だから、難民、難民といって日本から援助するのはいいんだけど、普通に生活出来ている彼らに

どういう援助をすべきなのか。彼らにあげるくらいなら、よっぽど今貧困で苦しんでいる国に対する

サポートのほうが大事なんじゃないかとずいぶん感じた。

それ以前にそもそも日本国の国益を図るべきなんだろうけど。


それでも、レバノンにいる難民達はベイルートの市民に比べると相当に社会福祉等の待遇も悪く、

生活していくには相当大変らしいのですが、その辺はレバノンの国内政治で改善するべき問題で、

改善に向けた草の根活動なんかは、日本のNGOなんかも関わってたりするらしい。



難民キャンプを出て、新市街とかに出ると、まるで欧米のような美しい街並みで、高級車が行き交い、

先進国のような雰囲気。


地中海の遊歩道なんて、本当に優雅で市民の憩いの場。


そこから歩いて一時間のところに難民キャンプがある事を一瞬で忘れてしまいそうになるくらいに、

その二箇所が同じ都市にあるとは思えなかった。
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渡航の是非を検討してくださいってなってる国へ。

2010年02月20日 06:17

ハマにある快適宿 Cairo Hotelで、結局1日無駄にだらだら。


若干のハマ観光もしたりして。


ハマって町は、特に見所はないシリアでは中規模くらいの町で、のどかな雰囲気。

宿が快適だってこともあって、何も見なくてもとりあえずのんびり出来そうな感じがした。

そんなのどかな町から立つ黒い煙、火事だよね、きっと。
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ハマから再びホムスへ。(セルビスで30分くらい。そこまでの景色がまたのどかで素敵。)


ホムスからレバノン行きの乗り合いバンを見つける。


こっちの乗り合いタクシーは、座席がすべて埋まるまで出発せず、9時ぐらいに乗り込んで、

出発したのは、10時前。




途中で誰かを乗せる予定らしく、空席のまま出発。




そして、その誰かの家に到着。





車内は、みんな窓側に座ってて、通路側しか空いてない。





その乗り合いタクシーを予約してたシリア人のおじさんは、窓側が空いていない事に憤怒。



何言ってるかわからないけど、とりあえずその窓側に座りたいって事に怒りまくってる。




結局、そのおっさんは車に乗らず、空席のまま。




どこに向かうのかと思えば、再びホムスのバスターミナルへ。




車内が満室になるまで、再び待つらしい。




9時に行って、11時にまたバスターミナル戻ってきた。



この人たち、急ぐとか乗客の事とか全然考えてないらしい。



しかも、他の乗客も全然怒ってない。




これが当たり前?

シリアって、道聞いたらわざわざその場所まで案内してくれて、さらにバクシーシなんて要求することは一切なくて、皆素敵。

インドとかのノリで、疑ってかかると、疑った自分が自己嫌悪に陥る。






そんな前向きな事考えつつも、結局、車が出発したのは12時過ぎ。






強風の中、レバノンの北の国境へ。






レバノンビザは、北から入ると無料で取れるとか取れないとかって噂があったんだけど、




行くと、「ウェルカム、レバノン。」いわれて、すんなり無料で取れた。



いらない心配でした。

しかもトランジットで入ったシリアビザですでに一週間ほどいたけど、一切おとがめなく。





そんなわけで、レバノンのバールベックに行くはずだったんだけど、




降ろされたのは、ベイルート。







あっっっという間にバールベックすっ飛ばして、着いちゃった。




レバノンせまっ。


街並みがまるでヨーロッパ。



夜、人すくなっ。モスクあるけど。



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想像力次第で、天空の城ラピュタ その2

2010年02月18日 20:03

クラックデシュバリエ。

旅に出て知った。天空の城ラピュタのシータが幽閉されたりゴリアテが停泊してた要塞になった場所。




ホムスからクラックデシュバリエ行きのセルビス(乗り合いバン)に乗り込むと、

イスタンブールで出会ったともくんと再会。





セルビスは、満席になるまで発車せず、なにやら日本語が聞こえてくると思いきや、

6人くらいの日本人がさらに乗車。


しかも、知ってる人がいっぱい。



みんなイスタンブールでさよならした人達ばっかり。




バスは、要塞に向けて走り出す。





要塞までの道のりは、海賊達がシータと飛行石を取り戻すべく、あのフラップターに乗って

かっこよく颯爽と向かっていった田園風景に良く似ていた。

おばさん「ぐーずぐずしてると夜が明けちまうよ。」

テンションあがってくる。






そして、1時間後クラックデシュバリエに到着。





入場して、まもなくあの呪文を唱えてみる。


「リーテ ラトバリタ ウルス アリアロス バル レトリーヌ」
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すると、何かが始まった。光が爆発する。

ムスカ「すばらしい」

ロボットが動き出す。
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ムスカ「古文書にあったとおりだ、この光こそ聖なる光だ」

シータ「聖なる光?」

ムスカ「どんな呪文だ?教えろその言葉を。」


ロボット立ち上がって、こける。


警備兵1「おい」

警備兵2「ああ」


警備兵1「うぁああ」


警備兵2「動いた!!」


警備兵1「ロボットが、ロボットが生きてます。 もしもし」

ロボットが光線を出す

門を壊す。


警備兵「うわぁ助けてくれ」


兵士達「動いてるぞ、火を消せ、ロボットだ!!」


ムスカ「ロボットは」

ロボットが階段を上る。


ムスカ「ここへ来る気か。」


兵士「急げ!!」


ロボット「ぴゅいーん。」


兵長「全員退避。退避~」


ムスカ「すごい。 そうか。その光だ。聖なる光でロボットの封印が解けたのだ。ラピュタへの道が開けた。来い。」


シータ「いやぁあああ」





ロボット「ばっさ、ばっさ」


ムスカ「飛ぶ気か。」



ムスカ「うわぁああ」


ムスカの子分「ああああ」



シータ「はぁはぁはぁ。」


階段を駆け上がるシータ
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シータ「空を指してる」



ムスカ「あの光の差すほうにラピュタがあるのだ」


将軍「爆薬を使う? ばか者要塞を吹っ飛ばす気か、うあ、もーしもしもし?おいどーした」

子分「いいぞ」

子分「つながりました。」

ムスカ「私はムスカ大佐だ。ロボットにより通信回路が破壊された。緊急事態につき私が臨時で指揮を取る。ロボットは北の塔の少女を狙っている。姿をあらわした瞬間を打ちとめろ。砲台から信管を抜け。少女を傷つけるな。」


ロボットが階段を壊して、塔のてっぺんに。
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シータとロボットが光で結ばれる。




大砲で撃たれるロボット。


吹き飛ばされるシータ。飛行石が、塔から落ちる。



兵「へへぇ、ぺっちゃんこだ。」

兵「死んだか。おいおきろ」

シータ「う、うう」

兵「気を失ってるだけだ。」

兵「立て」


動くロボット。ビームだしまくる。


シータを抱え、立ち上がる。

要塞はロボットによって、破壊されまくる。

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田園の上を駆け抜けるフラップター。




船長「どうしたんだい。まるで戦だよ」

パズー「いこう、おばさん」


船長「おばさんじゃない、船長とお呼び。   シャルルよ、もっと低く飛びな」


シータ「あっ!!、あーーー。うっ。あっ。やめてー、もうやめてー、おねがい」


シャルル「まま、ゴリアテが動き始めた。」


船長「このまま行くとあいつの弾幕に飛び込んじまう。出直しだ」

パズー「あそこだ、シータがいる」


船長「なに、どこだって」


パズー「このまままっすぐ行った塔の上にいる」


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船長「女は度胸だ。お前たち援護しな。」


パズー「シーターーーー   シータ、今行く・」


シータ「パズー」


パズー「おばさん!もっと寄せて」


シータ「パズー。きゃああ、離してー」



ロボットがシータを塔の塀の上に立たせる
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ゴリアテから大砲発射。打ち抜かれるロボット。



おばさんが石ころに当たり、気を失う。




パズー「おばさーん!!」


落ちるフラップター


シータ「パズー  はぁ!!うはぁ、はぁ。パズー!!」

フラップターが湖の上すれすれで持ち直す。
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パズー「あがれーー」


起き上がる船長



船長「最後のチャンスだ!!!すり抜けながらかっさらえぇ!!」


パズー「はい」


シータ「パズー」


船長「いくよ」


パズー「はい」



ムスカ「しまった」



パズー「シーターーーーーー」



ムスカ「くそっ。ゴリアテ何をしてる。」




カラフルな煙幕を張って逃げていく海賊達・・・・
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全部、想像で。




楽しんだもん勝ち。






































パルミラの写真が、Googleから注目の写真に選ばれた!!

2010年02月14日 21:28

ここ最近メールボックスの95%が、Picasa WEB ALBUMSからのメールで占められてて、もはや迷惑メール状態。

なんでこんなことになったかというと、ハマ観光の後に行ったパルミラ遺跡で撮ったこの写真が原因
DSC_0034.jpg

旅の写真をPicasa Web Albumにアップロードして、バックアップを図ってるわけだけど、

ある日突然、Googleからメールが。

「Congratulations, your photo was chosen as a featured photo!!」

はじめは、何のことやらさっぱり分からなかったんだけれど、調べてみると、

Picasa Web ALBUMのトップページ
からピックアップってとこに進むと、

10数枚あるうちの一枚に、この写真が表示されてる!!
http://picasaweb.google.com/sho10taro/012010PalmyraSyria?feat=featured#5432232931609960498

そして、その他の写真達はそれはもう素晴らしくて、そんなのと一緒に、

僕の撮った写真を並べてもらえてる事にかなり驚いたし、同時に凄くうれしかった。


そして、現在この写真の再生回数は15,000回に達しようとしている。

もはやこのブログの閲覧数をゆうに超えてしまった。

写真にコメントが入るたびにメールが来るし、ついでにあなたのファンになりましたなんてメールも来る。

受信フォルダがそんなメールでいっぱい。



世界中の言語で最上級のほめ言葉を頂いて、たまたま撮れたこの写真にどう対応したらいいか戸惑うばかり。


これが選ばれる前までは、4人ほど(とはいっても知り合い二人)がお気に入りに僕を入れてくれてたんだけど、今ではすでに世界中から72人の人たちが僕をお気に入りに入れてくれてる。

これすなわち、何らかの写真をウェブアルバムにアップロードすると、72人にメールが飛んでいく。




かなりのプレッシャー。


それにしても、最近写真を撮るのがずいぶんと楽しい。

ただ撮るんじゃなくて、色々と構図考えたり、カメラの設定変えてみたり。

それでも全然分からないことだらけ。


それでも、日本にいるよりずっときれいな写真を撮る機会には恵まれまくってるので、

がんがん撮っていきたい。



ハマからホムス行って、そこからパルミラ遺跡日帰り観光。

夕陽だか朝日もきれいらしいんだけど、相変わらずマーシー追っかけ中なので。

パルミラの写真です。
http://picasaweb.google.com/sho10taro/012010PalmyraSyria#





絶妙なタイミングを捧げてくれたこの少年とラクダに感謝。









(シリア)チキンケバブ三昧

2010年02月13日 08:11

中東南下のテーマは、Chase the まーしー。

僕より15日前にイスタンブールを出た、世界一ピュアなまーしーを捕まえる。


って事で、さくさく移動したいので、アレッポ観光は城とスークで終わり。

有名なアレッポ石鹸を買って、チェックアウトして、バス停へ。


07-08の地球の歩き方に乗ってるバス停行ったら、廃墟。




地球の迷い方とか言われてるけど、僕からしたら無いよりマシってスタンスなんで、

まぁ、バス停がつぶれてても良しとするか・・・・

結局は何とかなったから。




アレッポからハマに数時間で到着。


中東一快適な宿と言われる RIAD HOTEL にチェックイン(一泊275SP 約550円)


もはや韓国人宿と化していて、イルボンイムニダーって聞こえてくる。



ケンチャナヨー。




RIAD Hotelは、安い割に快適で、ハマ自体見所があまりに少ないんだけど、

宿が快適なあまり皆さん長居してくらしい。




ハマには、もうひとつCAIRO HOTELって宿があって、そこではWifiが使えるとの事。


それに韓国人の巣窟になってないらしいんで、結局翌日そっちの宿に移った。

別に韓国人嫌いなわけでもないし、出会う人達みんな良い人ばかりだけど、

大勢居られると、ちょっと飲み込まれちゃうんで。



ハマに着いた当日は、とりあえず散歩。

と思ったけど、散歩すらせず、ベッドで読書して、一瞬外出してチキンケバブ。



シリア着いてから、チキンケバブしか食べてない・・・






翌日は、宿を移動して、ネット使って、雨の中ハマを散歩して、


結局また昼にチキンケバブ食べて・・・

夜も結果的にはチキンケバブで。


ハマは歴史のある町らしい。
町歩きのイメージってのはいかんせん天気に左右される。

こうも曇って、雨に降ったりやんだしされると、ハマ観光がやっつけ仕事になってきて嫌になってくる。

楽しさよりも義務感みたいな感じ。



ハマにある世界で5番目に古いらしいモスク。なんてことないモスク
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モスクに飾ってあってメッカのモスクの写真。綺麗だな、いつか行きたいけど、改宗するくらいなら行かない。
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ハマで一番でかいらしい水車。ハマは水車の町。
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雨の中、ハマを少しだけ案内してくれたお兄やん。
やさしくなりすぎたジャイアンみたいな感じ。凄くええやつやったっぽいけど、
最近、男の人からのタッチング恐怖症なんで、途中で切り上げさせてもらいました。
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お兄やん、最後は家に案内してくれようとしてたみたい。寒いし、10ヶ月履いて防水機能が皆無と化した

僕のMerrelのトレッキングシューズはすでに浸水気味だったわけで。




チキンケバブの値段は、25SPから50SPまで50円~100円。

値段で、チキンとかソースとかの味もやっぱり変わってくる。




その晩、CAIRO Hotelにはマレーシア人や香港人が登場。

会話は中国語。なんとなーく聞き取れた。












想像力次第でラピュタ その1

2010年02月12日 06:31

アレッポ、翌朝。

中東をとりあえずさくっと抜けたいんで、アレッポ1日。

世界遺産 古代都市アレッポ。


アレッポ城を目指して、スークを歩く。

屋根から光が差し込んで、幻想的な雰囲気を見たかったんだけど、あいにくの曇り。


仕方ないので、さくっとスークを見て歩く。


古いだけあって、趣あり。

イスタンブールのイスラムっぷりは、やや浅かったけどこちらの国では、本格派。
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そして、トルコと違ってシリアの人たちは暖かみと味がある感じがする。
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途中、ゲイなんだかわからんけど、やたらと擦り寄ってくるおっさんがいて、
平行して歩いて、ケツ触ってきた。

ふつーに気持ち悪い。




ってな感じでたどり着いたアレッポ城(入場料150SP 約300円、学割20円!!)
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この半球の建物、
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天空の城ラピュタで、ロボットがよみがえったり、ゴリアテが出発するあの城で、
大砲の基台になってたあれに似てる気がする。ってか、絶対これモチーフでしょ。
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雨だったけど、城の上にいるときだけ晴れてくれた。ラッキー♪
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アレッポ城の上は、そんな想像してると、なんだか楽しくてずいぶんと長居した。1人だったのに。
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帰りに、アレッポ石鹸買って、チェックアウト。


次に目指すは、ハマ。



何にもないけど、宿がいいらしい。

シリアへいってきます。

2010年02月11日 04:54

イスタンブールから夜行で15時間かけて、アンタクヤへ。

さらに、そこでアレッポ行きのバスへと乗り換える。



シリア入国は、バスのスタッフの兄ちゃんが、僕のパスポートを持って走り回ってくれて、

トランジットビザ(8ドル)を軽々ゲット。





シリアビザは、事前に取ると24ドルとか。


トランジットビザは、2泊3日とか言われるんだけど、普通にスタンプに15日有効とか書かれててわずかに8ドル。


この矛盾。真面目で準備を事前にすれば損する仕組み。









ってなわけで、シリア北部の都市アレッポ到着。





有名な安宿 Spring Flower Hostelへ。





シリアの金を一銭も持たないまま、街をぶらつく。






とりあえず見つけたモスクへ。


グレートモスク(ジャミア・ザカリーエ)ってとこ。



カメラぶら下げてたら、子供達に追っかけまわされる。
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どんどん子供達増えてきて、収拾つかなくなってくる。
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トルコでは、そんなに子供達に出会わなかったし、人懐っこくなかったけど、この子達のこのつきまといっぷり尋常じゃない。
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最終的には、モスク内部へ非難。
アレッポのモスクは、イスタンブールのモスクとは打って変わって、
各々が自分のペースでお祈り中。
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アレッポの街中の建物は、石造りで白が基調で、砂漠の町だな、中東だなってのを感じさせられる。



これから、シリア、レバノン、ヨルダン、イスラエル、そしてエジプトへ。


イスラエル抜かしたら、ずっとイスラム国。



モスクだらけ、ケバブだらけ、耐えられるかな。



そんな移動日。






お正月から21日後にイスタンブール脱出!!

2010年02月10日 04:51

1月11日に日本からNikonのD90が到着!!

いそやんありがとう。

そんなわけで、残りのイスタンブールでの日々はこちら。

http://picasaweb.google.com/sho10taro/20101

11日に全て揃って、それから旅立てばよかったんだけど何故かさらに10日もイスタンブール。





それでも全部見てません。アヤソフィアもトプカプ宮殿も行ってません。




最終的には、カード麻雀の日々です。
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とりあえず、色んな日本人に出会って、日本語ばっかり喋ってました。


カラスミも食べました。ただで食えます。
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ってなわけで、1月21日の夜行にてトルコのありとあらゆる観光地全て吹っ飛ばして、シリアへ向かったわけです。







しゃきっと生きたい2010年

2010年02月07日 01:14

カッパドキアから帰ってくると、当日は大晦日。


「Tree of Life」は日本人で大賑わい。

クリスマスの時と絵が変わらない。この狭いスペースにどえらいたくさん日本人。
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大晦日に年越しそばが食べれて、本当に良かった。しかもてんぷらそば。

そば作ってくれた、ヨシさんに全力で感謝!!




細く長く。海外にいても、日本の文化をこうして実現出来たのは、えらく嬉しかった。


3月31日に神戸を出て、9ヶ月。







いつでも、どこでもとにかく日本食が愛しくて、恋しくて、

いつまでたっても、「日本に帰りたい」と嘆きながら旅してた。





どの国行っても、どこもかしこも平和に見えるんだけど、実は

他国とのトラブルや自国内の問題を日本とは比べ物にならないくらいに抱えてる。。


中国では、チベット問題、ウイグル問題、経済格差の問題、
ネパールでは、つい最近あった国王暗殺やマオイスト達台頭してるし、
インドじゃ、いつまで経ってもパキスタンと揉めてるし、
パキスタンじゃ、自爆テロ起きまくってて、結局行かれんかったし、
ドバイ行ったら、ドバイショック起きてるし、
イラン行ったら、ミサイル試写して、欧米諸国と対立深めて、挑発的だし、
トルコも平和だけど、クルド人やキプロスやらで問題抱えてるし、

恐らく、そんなトラブルは100年経っても、200年経っても、形を変えて残ってるだろうな。

真の平和なんて、訪れることはないと思った。

これから向かうというか、実際これを書いてる場所に今いるんだけど、

中東なんて、さらに問題山積み、歴史重すぎ。



それでも、皆さん誰もが、その国の中で、普通に暮らしてた。




とりあえず、そんな現場に居て色々知って勉強になった。



日本から見た世界の見方の狭さが尋常じゃないって気づいた。



メディアから一方的に与えられる事実じゃなくて、真実を知る事が本当に重要だと思った。

結局、真実が何かなんて分かりやしないかもしれないけど、絶対どこかにそれはあって、

火種があって、どこかで操作されてるかもしれなくて、そう考えると、もう途方もなくて、

考えるのも疲れて、気づいたら深夜1時で、全然関係ない夢を見るだけで。




とにもかくにも、相変わらず季節に敏感にいたいのです。






イスタンブールでの年明けの瞬間は、ボスポラス海峡が望めるガラタ橋周辺で過ごして、


トルコ人は妙に冷めて、カウントダウンとかなかったけど、


年が明けた瞬間、花火が上がって、除夜の鐘は聞こえなかったけれど、


とにかく初めて過ごす海外での年越し、楽しかったぜ。


















リーヅモピンフサンショクドラドラ的なカッパドキア

2010年02月06日 23:40

旅は道連れ、世は情け。


イスタンブールでの荷物待ち中に行った暇つぶしに行ったカッパドキア。


すんげぇ楽しかった。

酒飲んで、
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つぼ割ったら、美味しいスープが出てきて、
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地下都市の奥深さは、今まで見たどんな地下よりも深くて、
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猫追っかけて、
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雪の降る日に、久々にチャリ乗って、
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わずか4日だけど、本当に楽しかったとです。
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また来るかも。



イスタンブールのメリークリスマス。

2010年02月05日 02:57

トルコは、イスラム教の国です。



クリスマスを祝う気はさらさらないらしく、この街のクリスマスに対する気合は、

ほぼゼロ。


日本なら12月に入って早々聞こえるクリスマスソングもどこからも聞こえて来ず、

街にクリスマスツリーなんて見られない。



雪も降らなきゃ、大して寒くもなくて、年末って雰囲気もクリスマスって雰囲気もしやしない。



バザールの一角で、ひっそりとクリスマスツリーを売ってる店が、1,2軒。



イスタンブールで見つけたクリスマスなんてそんなもん。




日本ってのは、それなりに毎月毎月何かしらほとんどお決まりのイベントが全国各地かブラウン管の中で

執り行われていて、おかげで季節を切に感じられる。




ええ国や。




宗教とか関係なく意固地にならず、いいとこどんどん吸い取りまくりの国。

便利街道まっしぐら。





そんなわけで、街ではクリスマスの香りはしなかったけど、

仕方なく、宿でワインやウォッカで飲んだくれ。


25日には、誰かさんがケーキを作ってくれたり、カレーなんかにありつけたりして、とにもかくにも

素敵なクリスマスでした。

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うかつにも29泊ぐらいしたイスタンブール。

2010年02月04日 06:17

グルジアのトビリシから24時間かけてバスで、イスタンブールへ。

途中降ろされる休憩スペースのショップで、これまでの国々との物価の差を思い知らされる。


トイレ代 1リラ 60円。


南インドで60円も出せば、がっつり飯食えたのに。




そうしてたどり着いたイスタンブール。


アジアとヨーロッパの出会う街。融合する街。


アジアから来た旅人は、ヨーロッパっぽいと言い、

ヨーロッパから来た旅人は、アジアみたいで、中東みたいと言ってました。



素敵な街でした。




うかつにも29泊もしてしまい、書ききれないほどの思い出を残させてもらいました。

宿泊していた宿は、日本人宿の「Tree of Life」

同じ値段で、よっぽど良い設備の宿が近くにあるって話だけど、宿の機能以上の色んな楽しい出来事を提供してくれた。

29泊って、ほとんど沈没としか言いようがないんだけど、日本からの荷物を受け取るという大義名分があったので、

あくまでも人間的堕落ではないと思う。最後の10日くらいは、そんな感もあったけど。



だいたいこんな一日


9:00~10:00 目が覚めて、3階の男子ドミから4階の共有スペースへ。


先に起きてる方々にご挨拶。

10:00~ 誰かが朝食を作るのに便乗するか、自分でシリアルを食べる。


11:00~ だいたい皆起きて、今日どこ行く?とかって話をし始める。


12:00~ で、どこ行くか大体決まったところで、準備をしようか迷うんだけど、空腹に襲われて、そのまま昼食もそこで食べたりする。パスタとか茹でたり。

13:00~ だいたい皆がどっかに出発して、自分含めて2,3人取り残されて、管理人さんが掃除をしてる。

14:00~ 宿に誰もいなくなって、妙な焦りからとりあえず宿を出てみる。

15:00~ 大体赴くのはガラタ橋周辺、グランドバザール、エジプシャンバザール、旧市街、新市街とか、とりあえずその辺をうろうろ。イスタンブールに慣れた頃には、新しく来た方と一緒にその辺うろうろ。少し案内してあげてみたり。

18:00~ 宿に戻る。シェア飯(飯代浮かすために、大勢分のご飯作る)の動向を伺う。たまに買い物手伝ったり。
    野菜切るの手伝ってみたり。

19:00~20:00 夕食。シェア飯のクォリティは常に高く、1人3~4リラ(180円から240円)くらいで、鍋、カレー、刺身、スープ、寿司などなど日々様々な食事にありつけ、これもひとえにそのとき居て下さったシェフの皆様のおかげ。
もうこれで当分は日本食食べなくても大丈夫だろってくらい食べれた。

21:00~ 酒飲んで、話して、トランプしたり、バックギャモンしたり、


24:00~ 管理人さんにひそひそ声で話してくださいといういつもどおりの命令が下り、若干静かになりつつも、
    毎日結構盛り上がってた。


26:00~30:00 いよいよ就寝。



そんなイスタンブールの生活。

覚えた単語は「1から19」と「こんにちわ」と「さようなら」と「ありがとう」と「これいくら?」くらい。









やばい、イスタンブールでの濃厚な日々が一記事で終わってしまいそう。




グルジアのニート。

2010年02月03日 11:31

トビリシで泊まってたネリダシの家。

家を切り盛りするネリさんもダリさんもけっこうなお歳。



そして、彼らには息子達が。20代なんだか、30代なんだかわからんけど、


とにかく彼らずっと家にいる。


昼前に起きて、3時くらいまで起きてる。

家でずっとパソコンやってる。

仕事ないらしい。



ニートだ。





グルジアにもニートいた。 真性のニート。




職探ししてるんかな。



実質失業率20%。



日本よりよっぽど悲惨。


でもこの家、子供二人ともニートとかって、かなり悲惨。

「お兄ちゃんを見習いなさい」とかって話も出来ないやん。







それにしても、ニートってのは、端から見るとずいぶんとみっともない。





しゃきっと生きなきゃ。



(グルジア)戦争と酒と風呂と

2010年02月02日 18:49

エレバンから早朝のミニバスに乗り、次に向かうはグルジア。


グルジアって国の存在を知ったのは、昨年だった。


去年、会社を辞めて夏にカナディアンロッキーにチャリンコ乗って超えてきた。

そして、その後バンクーバーでだらだらと過ごしていたときに

テレビからそのニュースが飛び込んだ。


ロシアがグルジアの南オセチアに侵攻したというニュースだった。

グルジアは英語でGeogiaと表記するので、ジョージアと発音し、その時は、さっぱりどこにあるんだか分からなかったし、もちろん英語だったので、全然聞き取れなかったわけだけど、とにかく戦車や兵士の映像が流されて、その場所で戦争が起きているって事実だけは、分かった。


そして、まさかそれから一年半後に、そのグルジアに来ることになるなんて想像もつかなかった。



戦場になった南オセチアに行くのは困難だし、鼻から行く気もなかったけど、

とりあえず去年、戦争をやってた国に来たわけだ。

ビザなしで入れる上に、360日も入れるというこの上ない入国のしやすさ。

それでも、やはり緊張した。




そんなグルジアの首都 トビリシ。



戦争云々とは関係なく、治安が悪いらしい。

数年前までは、普通に強盗に追いかけられた日本人の話も聞いた。


駅前にあるネリダリの家へ、タクシーを使って向かう。



ネリダリの家は、エレバンのリダの家同様に民泊宿で、ネリさんとダリさんのお家。

15ラリ(1000円くらい)もする。最近、どんどんと値上げしてる模様。

日本人達は、寒くて設備がないのにこの価格はないべさとシュプレヒコール

家に着くと、早速パンと紅茶を振舞ってくれる。


そして、寒いと評判のシャンデリラのあるお部屋へと荷物を降ろす。





トビリシの町には、欧米の有名なブランドショップ店やカジノ、レストランがいたるところにあり、

旧市街と言われる場所の雰囲気は、ヨーロッパの香りがする洗練された町並みだった。


もちろん一歩外れると、旧ソ連的な寒々しい建物と小汚い道路なんかがあり、

恐らく都市を飾ってるのは一部だけなんだろうけど、それでもずいぶんと都会だったし、

町行く人々も若者はずいぶんとおしゃれ。

そんな街トビリシには、結局2泊。




初日について早々、成都で出会い、エスファハーンで再会し、再び再会したダイスケさん(元コック)と

その他一緒にトビリシまで来た面々とお風呂に行くことに。



町の中心からそれほど遠くないところにお風呂(ハマム)はあって、

地下鉄に乗って向かう。



ハマムは公営銭湯みたいな感じで、概観はモスクなんだけれど、

なかは全くの庶民的な銭湯。


ごっついグルジア人達とともに、中へとはいる。


彼らは、タオルとか持ってはいる習慣を持たないらしく、

全員素っ裸で、唯一サンダルだけ履くという異様な格好で、シャワーを浴びたり、サウナに入ったりしてる。







そして、恐ろしく久しぶりにシャワーじゃなくて、浴槽に入った。


ところが、そこは立って入るタイプの浴槽で、ちょっと違和感。


さらには、ちょっとぬるい。





んー、まぁ物足りない感もあったけど、久々だったんで良しとします。



風呂の後に飲んだビールが最高!!





トビリシを出る最後の晩は、大富豪で負けたらウォッカ一気飲み対決してたんだけど、

その晩、出発予定のダイスケさん、連敗して、最後ヘロヘロになって旅立っていきました。


また、どこかで会えるといいな。














(アルメニア)ロンギヌスの槍とノアの箱舟とカジノ

2010年02月01日 09:24

エレバンでの寒さと水虫との戦いの日々の中、

ロンギヌスの槍が眠っているという教会があると聞き、行くことに。


ロンギヌスの槍といえば、イエスの死を確認するために刺した槍だそうで、

こんなものが現実に存在してること自体、疑わしい。

というか、もはやイメージは新約聖書よりもエヴァンゲリオンの方が強くて、

あの二つに割れたフォークみたいな形が完全に脳みそにこびりついてる。


ついでにノアの箱舟の欠片もあるらしい。


ノアの箱舟ってのは、旧約聖書に出てきて、5000年くらい前に大洪水から人間と動物乗せて、非難した船で、

今のトルコの東にあるアララト山にたどり着いたんだとか。





とにもかくにも行ってみた。


そこはなにげに世界遺産でもあるエチミジアン大聖堂。


エレバンからミニバスで40分ほど。

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その日は、日曜日でエチミジアン大聖堂では、ミサが執り行われていた。

今までに見たことないほどに荘厳で仰々し満点のミサ。

聖なる雰囲気が、教会内を包んでいた。光差してます。
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そんなミサは、なかなか終わらず、ロンギヌスの槍もノアの箱舟も教会の内部にあるために、

ミサが終わらないと入れないとの事。


美人のお姉さまに話掛けられて、鼻の下伸ばしたり、昼食食べたりして待つこと2時間。

3時過ぎにようやくミサも終わり、エチミジアン大聖堂内の博物館が開場。



チケットを買い、中へ。





意外と狭い。





そして、キリスト教に関するものが色々と展示してあるものの、解説が一切なく、

何が何なんだかさっぱりわからない。






博物館内部で、っぽいのを発見。


でも、これがロンギヌスの槍だとは、どうしても信じたくない。

でも、博物館のお姉さん曰くこれが真実らしい。
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まず、展示されてるのは槍のさきっぽだけ。


エヴァンゲリオン的フォークみたいな形からはかけ離れて、ひし形してる。


この形で、人刺しちゃうんですか。これで体刺されたら、かなりえぐい状態になりかねないのですが。





そして、次にノアの箱舟を探す。




狭い館内を探しまわるも、全然見つからない。



そして、再び態度の悪いお姉さんに聞いてみる。



すると、入り口はいってすぐのとこにあったのが、それなんだと。



それが、これ。ノアの箱舟のかけらです。
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聖なる物なので、十字架なんか張り付けられてる。

もはや想像力の問題でしかないらしい。





その帰り、一緒にエチミジアン見に行った日本人3人で、帰り道にあるカジノへ。





ディーラーさんとの対決を望んだわけだけれども、ジーンズ姿の僕は入場を拒否され、

ゲームで遊んでなさいとのこと。




仕方ないので、ルーレットで散々遊び、ビールを散々飲み、本当に小額の勝利を収める。


一緒にいた、ミサワ君は負けが込んで、ウォッカ飲みすぎて、気づいたら行方不明。



カジノ内を探し回っても、いなくて、どうやらトイレに開かずの扉があり、



ノックをしても、出てこず。




激しくノックをすると、亡霊のようになって、ミサワ君登場。



どうやら酔いつぶれたそうでした。



怖い怖いロシア火みたいなアルメニア人に連れて、ドナドナになっちゃうかと思って、

心配しましたで。






そんな一日。





















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