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ムスリムからの開放

2010年01月30日 09:09

エレバンまで向かう途中のアルメニアの各町を見る限り、この国の荒廃っぷりを懸念してたわけだけど、

いざエレバンに着いて見ると、町の中心部は綺麗なイルミネーションなんかが施され、

歴史的な教会や建物もあって、大きめのスーパーマーケットやレストランなんかも街中にあり、

イメージが全然違った。かなりの都会。


そして、美人の多さが尋常じゃない。



で、そんなアルメニア、エレバンで何したか思い起こしてみる。




・リダの家から徒歩7,8分のシャワー屋さんに、足を引きづりながらシャワーを浴びに。

・靴下購入

・禁酒生活のイランを抜け出して、ストレス発散にワインとウォッカで飲んだくれる。

・牛肉と野菜の赤ワイン煮込みを作ってもらって食らってみる
Picture 1608

・暖房のないリダの家で震えて、ガスコンロの熱で手を温める。

・エレバンの町はそんなに大きくなくて、何度も何度も同じところを歩きめぐる。

・教会でぼーっとする。
Picture 1650

・ナイトクラブ的なとこに行く(ビールとエントランスフィーで800円くらい)
5人くらいの女の子が代わる代わる踊ってました。


・エレバン大学に行って、美女探しに行くも、あまりに美女だらけすぎて、疲れる。
エレバンは、モデルみたいな美しい女性がたくさん歩いてます。首が疲れます。

・惣菜パンをずいぶんと食べる。
一個20円とか30円で頂けます。

・トルコによるアルメニア人虐殺祈念館へ
Picture 1620

・国際学生証を8ドルくらいで作ってみた。
しかも、本物。僕は25歳くらいに若返りました。これから役に立ちそうです。

エレバンでは皆さん割とシャイで、向こうから絡んでくるのは幼い子供達だけ。
そのシャイさは、日本人に匹敵するんじゃないかってくらいに思った。


ヒンドゥー教のインドとイスラム教のイランを経て、たどり着いたキリスト教国アルメニア。

色んな事が自由で、左手使ってご飯食べるのも、牛肉食べるのも、お酒飲むのも、全部自由。

特にイランでの束縛感が強かったせいで、アルメニアに着いて、いつどこで何しようが自由である事に、

新鮮な気持ちを覚えて、開放された気分だった。


イランにいたって特に縛られていたことなんて、お酒くらいだったけれど、それでも国全体が、

束縛感に囲まれていた気がして、なんだかずっと息苦しかった。

息苦しかったんじゃなくて、イラン人の息苦しさを肌で感じていたのかもしれないけど。



そして、イランで出会う人々は口々に現政府や、イランイスラム革命後の社会の愚痴を言っていた。

革命前は、アメリカ寄りの政府で資本主義が進み、欧米の資本がずいぶんと入っていて、

貨幣価値なんかも、今よりもっと高くて、生活し易かったんだと。

車だって、家だって、ソニーのテレビだって、もっと買いやすかったんだと。

イラン人の給料は良くて15万円/月。平均10万円くらいだとか。

世界2位の石油産油国だってのに、ほかの湾岸諸国に比べるとずいぶんと生活が苦しいんじゃないかと思う。

死刑率の多さは、中国はダントツの一位として、サウジアラビアと並んで2位に位置しているらしい。
思想と宗教的行動に関する縛りは相当に厳しいようで。


イラン政府が、どうしようと勝手な話だけど、イラン人の暮らしがこれ以上悪くならなきゃいいと願います。








いつだって、苦しむのは民衆ばかり。











最近、イラン核開発問題でずいぶん社会をに賑わしてるようだけど、そういうのって本当に市民の暮らしとは

全然関係なくて、むしろ核開発する事によって、西欧からの経済制裁食らって、いつも手に入ったものが、

急に手に入らなくなることが大きな問題なんじゃないかな。

日本で似たような事が起こると想像すると、戦争直前のABCD包囲網食らってる日本の状況だったりして、

恐ろしい。










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山越えて、谷超えて、アルメニア

2010年01月29日 09:57

昨晩のイラン人達によるホスピタリティのせいで、睡眠不足を余儀なくされ、

5時には起きて、アルメニアを目指す。



Masud Guest Houseにタクシーを呼んでもらい、アルメニア国境の手前の町まで行くはずのバスがあるであろう

バスターミナルへ。


そして、バスターミナルに到着すると、バス停閉じてる・・・・・。


この寒い中、どうしろと・・・・。




そして、タクシーの運転手が、「せっかくだから国境まで行かんかね?」

ということで、金に物言わせて、タブリーズから国境の町ノルドゥーズまで行ってもらうことに。





早朝の国境までの道のりは、寝不足ゆえに眠りこけてたんだけど、目が覚めると風景は一転して、

草の生えない荒々しい山と川だけの世界。


そして、その川の向こう側はアゼルバイジャンらしい。

左側にちょこっと見えるのはアゼルバイジャン。
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そんな荒々しい中30分も走ると、国境到着。

ノルドゥーズ国境
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早朝の国境は、誰もいなくて、そのまま抜けられそうな雰囲気だったけど、そこは大人しく係員が来るまで、

待ちぼうけ。


出国手続きをして、長い長い橋を渡ると、アルメニアに入国。





さすが旧ソ連。橋を渡りきって、そこに居たのはごっついロシア人顔のお兄様。


イラン人の体格は、日本人に近かったけれど、さすがに彼らの血は僕らと違うらしく、

喧嘩しても、絶対叶いそうにも無い感じ。


そして、さすが美人の国アルメニア。




国境での入国手続きで案内してくれたお姉さま、かなりの美人。



この国、かなり期待出来ます。とはいえ、旧ソ連の一国。どうにもおどろおどろしい雰囲気を感じた。



入国して、イミグレーションの建物を出ると、山と古ぼけた建物しか見えない殺風景な場所で、

この先、どうやって首都のエレバンまで行けというのかとか思ってたら、タクシーの運転手達が群がってくる。


ところが、提示される値段が 60ドルとか70ドルとか100ドルとか、余りに高すぎるので、

仕方なく国境からエレバンに向かう最初の町Meghriに行ってもらう事にした。


15分くらいで、Meghri到着。

運転手が、「Meghri は何にもないから、次まで行っとけ」とは言うんだけど、

そのままタクシーで行ってしまうと、タブリーズからエレバンまで国際バスで行ったほうが、

安かったという致命的な自体になってしまうために、そこからはヒッチハイクで行くことに。




イランでは、短距離移動の時とか、結構ヒッチハイク出来たんだけど、このMeghriって町では

そううまくは行かず、何台も何台も僕らを無視して過ぎ去っていく。




30分くらいして、たまたま商店に止まっていた一台がエレバンの途中まで連れてってくれるという。


僕らは、地図も無くその場所がどこかも分からないまま車に乗り込む。




出発、2分後。車は警察に止められる。











運転手は、何の違反だったのかさっぱり分からないけれど、違反チケットを持ってきて、


無言のまま運転席に戻り、走行開始。ずいぶんと悔しそうな顔を浮かべながら、運転を続ける。






Meghriからの道のりは、絶景の連続。


不機嫌そうな彼に、ちょっと車止めてくれというのは、気まずくて出来なかったわけだけど、


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こんな雪山を越えて、北へと向かう。




つい3週間前まで、南インドでファンの回っている暑い暑いところに居たというのに、あっという間にこの有様。


荷物盗まれて、衣服なんかもそのとき着ていたものしか残っていなくて、正直これ以上、北に行くのは、

かなり不安だったんだけれど、ミサワ君に借りたユニクロのヒートテックだけが、命綱。





地図も持たない僕らを車は北へ、北へと運びゴリス(Goris)という町へ。

今のところアルメニアのどの町も、ずいぶんと殺風景でビルなんてひとつも無く、

今にも吹き飛ばされそうな石の家が並ぶだけ。


いったいこの国は、どんだけ荒廃してるんだろ?と嫌な想像をしてしまう。



そして、Gorisからさらに雪山を越えて、彼が目指した目的地に到着したらしい。

僕らは、そこから別の手段でエレバンに向かわなければならない。




ところが、その場所何も無い荒野にカフェが一軒だけ立つような場所。


ホテルも見当たらない。遠くのほうに町が見える。

しかも、寒すぎて外には長いこと居られない状況。



彼に問う。「ここからどうしろと?」「ホテルとかないの?」


しかし、ロシア語かアルメニア語しか通じない。どうしようもない。


まじ、凍え死ぬよ、こんなとこで放置されたら。




そんな絶望的状況の中、希望の光が差す。






ずっと向こうからバスらしき乗り物がこっちに向かってくる。





運転手は、バスを止めてくれ、さらにはエレバンに行くかどうか聞いてくれてる様子。



そして、「OKだ、これに乗ったらエレバンまで連れてってくれるよ。」






まじ、助かった。



その運転手と軍服したごっついおっさんしか乗っていないバスに乗り込むと、



バスはのろのろとエレバンに向かう。





バスの車内は寒すぎて、用意されていた毛布を被って、なんとか寒さをしのぐ。





そして、4時間ほどするとエレバンの町に到着。





そこからさらにミニバンに乗り換えて、町の中心部へ。







中心部に着いたものの、地図も無く、ただ向かうは、駅のそばにあるというリダの家のみ。




ところが、アルメニア人「Station、Station」と言っても通じず、商店の電話借りて、英語喋れる人が居るホテルに電話して、駅に行きたいと告げるも何故か通じない。




そんなやり取りの中、最終的にタクシーの運転手が僕らの意図を理解した様子で、連れてってもらったのは、

スタジアム・・・・・・・。


何がどうして、こうなったのか分からないけど、運転手に違う違うと訴えると、気を利かせて、


高級ホテルに連れてってくれた。





そこでようやくエレバンの地図を入手し、目的地の駅も発見し、運転手に伝え、そこから割りと近かっエレバン駅まで



たどり着くことが出来た。


駅からは歩いて数分のリダの家。民泊だけど、日本人バックパッカーには有名な場所で、

安いし、リダさん親切だし、いいとこです。




そんな一日。



(イラン)イラン人のお宅にお呼ばれ

2010年01月28日 07:11

ラムサールを夕方出て、ラシュトという町に夜、到着。

イランビザの期限もすでに迫っており、次に目指すはトルコ・・・と行きたかったけれども、

旅は道連れ、世は情け。

ヤズドから歩みを共にしてるミサワ君とアルメニアを目指すことに。


アルメニアを目指すには、とりあえず国境に近い町タブリーズに行かねばならない。



ラシュトでミニバスを寒い中、わけのわからん場所で降ろされ、


イラン人を訪ね歩き、結局タクシーに乗って、バスターミナルへ。




そこで、何社かあるバス会社にタブリーズ行きのチケットがあるか尋ねる。

一社目、「フル」













二社目、「フル」








三社目、「ノーシート。」





焦る。こんな寒くて、得たいの知れない町でどおせぇっちゅうねん。





そして、バスターミナルの端っこにもう一社バス会社発見。


こっちから聞かずとも、叫んでる


「タブリーズ、タブリーズ」



たすかったぁ。



そうして、21時の夜行バスでラシュトを発ち、翌早朝5時くらいにタブリーズ到着。


それにしてもラシュトのイラン人もうっとおしかったな。
町によって相変わらずイラン人の外国人に対する対応は違って、

うざい度 1位はエスファハーン、2位はラシュト 確定。


ラシュトの滞在時間はずいぶん短くて、サンプル数も少ないので、ちょっとかわいそうだけど。


うっとおしいねん。




そして、早朝タブリーズ到着。

タクシーで、安宿近辺まで届けてもらって、何件か探した末に泊まったのは、

こちら 二人で100,000リアルだったかな。
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ずっとマスオゲストハウスだと思った。

マスド GUEST HOUSEだった。



結局、昼から観光して、

一番、イランらしいと言われる商店街なんか見たりして、
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香辛料たくさん売ってたりして、(それにしてもなんで外食となるとケバブばかりなんだろうか?)
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そう考えると、やっぱりイランの楽しむにはイラン人のお宅訪問するしかないよなぁなんて、

話しながら、歩いてた。

紅茶をごちそうしてくれたモスク。
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夜、最後のイランの夜を豪勢にケバブ食べようぜって話してるところで、

とあるイラン人に話しかけられる。


「俺は、PanasonicもSonyも好き。日本製品は凄いよ。」なんて言われて、

「それは、どうもどうもありがとう」なんて話してると、


「家来ない?」って方向へと話が進む。



二人でずっとイラン人宅への訪問を切望していただけに、
「もちろん行きたいです。こんな遅くに構わない?」と聞くと、

「全然。家族も歓迎してくれるよ」とのこと。



そうして、乗り合いタクシーを乗り継いで15分。歩いて10分くらいで彼の家に到着。




家に着いたのは、21時くらい。



家に着くと、彼の両親およびブラザーズがお出迎え。



4人兄弟なんだとか。


そして、このお宅。両親が耳が聞こえないらしくて、子供達との会話が手話。




それでもお母さん、喋れないなりに物凄く気が利いて、気さくな方で、
Picture 1484
こんなポーズをしてくださる。


そして、彼の兄達も帰ってきて、一家集合。



長男は、空手をやってるらしくイランで発行されてるイランの格闘雑誌を見せてくれた。


その大山倍達がフューチャーされまくってる雑誌を見ること、数十分。


彼らのイラン政府に対する愚痴や、I love America という売国人的発言を聞くこと数十分。



その他諸々数十分。




目の前では、お母さんがじゃがいもの皮を向いている。



時刻は22時過ぎ。







僕らのために、わざわざこんな時間にご飯を作ってくれているのかと思って、申し訳なくなった。








ところが、どうやら違うらしい。



23時になり、もはや空腹が限界に達して、誘い断って、ケバブ食いに行ったほうが良かったと公開し始めた頃、

ようやく食卓となる床の上が整理される。




飯登場。



明らかに多すぎる。




と思いきや、家族全員分の食器配給。






頂きます。




すでに23時過ぎてます。








この家族、夜更かし過ぎませんか。それとも僕らのせいで、いつもより豪華だったんでしょうか。

食事風景  これがイラン人の通常なのか知らないけど、とにかく床。
Picture 1485


味はともかく、死ぬほど腹いっぱいになりました。



日本のトヨタで働きたいんだけれど、どうしたらいいんだ?と真剣に聞かれました。





正直、日本人の労働者ですら派遣切りやらなんやらで厳しいというのに、

英語もままならなければ、日本語の喋れない彼に、可能性は薄いんじゃないかと思い、


トヨタの工場は日本じゃなくても、世界中にあるから、そこで働くか、

日本語を必死に勉強するしかないんじゃないかと、言っておきました。





それにしても、かれ、松下幸之助や本田宗一郎、井深大なんかに関する本を持ってたり、

やたらと日本の企業に興味があるらしくて、何とかしてあげたい気持ちは山々ですが、

今の僕は無力です。


24時も過ぎて、翌朝相当早く出発しなければいけなかったんだけど、


彼らの
「泊まってかないか、もう一日イランでるの伸ばさないか」という嘆願に、

惜しまれつつ、その家庭を去った。



そして、彼は僕らをわざわざ Masud Guest Houseまでタクシーで送ってくれた。





そんな日本企業大好きなはずの家庭のテレビは、Samsung。




正直、Samsungが、世界中で売れまくってるというのをひしひしと感じる。


イランでは、中国製というのは嫌われてるんだけど、


韓国製となると、日本製と同質で安いというイメージがあるらしくて、


誰しもが、Samsungを褒め称えてる。



もちろん、Sonyとかほめてくれるんだけど、やっぱり高いという印象が付きまとうらしい。






















カスピ海!!

2010年01月27日 06:51

テヘランを早朝出発し、ラームサル(湿地に関する条約で有名なラムサール条約が調印されたとこ)に向かう。

なんで、ラームサルに向かったかというと、

・カスピ海が見たかったから。

・ラムサール条約の調印がされた場所だから。
(北海道出身で、釧路湿原もその条約に関わる場所なので)

以上。

動機としては、不純っぽいけど、カスピ海を生で見たことのある日本人なんて、ほんのわずかだし、
世界一デカイ湖だか世界一小さい海だか知らないけど、とにかく世界一のものを見ておくってのは、
建設的な事なんじゃないかと思うわけで。


テヘランからラムサールまでの道程は、イランではかなり標高の高い地域を走るらしく、
多分5600mくらいある山のそばを通ったはずなんだけど、こないな雪景色がバスの車窓から見られたりして、
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地図では近いはずなんだけど、5時間ほどかけて到着。


そこで出会った日本で出稼ぎに行ってたことのあるというイラン人とその奥様と昼食を頂く。

イランでも、日本語喋れる人が結構居て、そのほとんどの人が数年前に日本で出稼ぎしてた人達。

ところが、イラン人が日本で麻薬関連の危ない事ばっかり手出して、目立っちゃったもんだから、

イラン人の入国規制が厳しくなり、すっかり出稼ぎの方々も少なくなったらしい。

その見返りに日本人がイランに入国するのも厳しくなって、ビザ代75ドル。

日本人は、イランで何も悪いことしないのに。。。





まぁ、その彼からあまり日本に対する良い印象というのを見受けられず、会話も余り弾まず、
結構高い昼食代になったりして、(とはいっても、400円くらい)微妙な感じで彼らとはお別れ。





そして、15000リアルかけて、タクシー乗って、カスピ海へ。



これが、カスピ海。
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どうみても海。




ただの海。




冬の海。




名前のカスピって響きからして、なんだかもっと美しくて、キラキラしたイメージを勝手にしたんだけれども、


この景色は、冬の石狩湾と大差ないな。

石狩湾からみえるずっと先にはロシア。

カスピ海から見えるずっと先にもロシア。








それでも、こんなカスピ海に来たことに無理やり感動し、水タバコを吸って、チャイ飲んで、

寒い寒いラムサールを出発して、タブリーズを目指した。




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(イラン)日本大使館にお世話になりまして

2010年01月26日 20:19

ブログ内の僕は、まだ年が明けてないってのに、もう2010年は1月を終えるつもりでしょうか?

2010年は、どういうつもりで1月をこんなにあっさり終わっちゃうつもりなんでしょうか。


そんな身も蓋もない事は、さておきヤズドから再びバスで向かったのは、

イランの首都テヘラン。

イランのバスは、安くて快適。そして早い。

200キロとか300キロの移動を5,6ドルでこなしてしまう。

なんでこんなに安いかって、ガソリンが安いから。

1リットル 7円とか。桁間違ってないです。

日本人が汗流して、ストレス溜めて、長い長いミーティングこなして、電卓叩いて頑張ってんのに、

地面から勝手に資源が取れるか取れないかで、この格差ってのは、やっぱり不平等。



どう考えても世の中は、不平等に造られてるとしか思えないけど、

海外を勝手に、自由に旅できる身からしてみたら、その不平等さに感謝しないとならないですね。

世の中は、これまでもこれからもずっと不平等なんです、きっと。






テヘランは、曇っていて寒くて物悲しい雰囲気の首都でした。

晴れていると、きっと雰囲気はずっと違ったんだろうけど、とにかくそういう印象を受けました。
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エスファハーンでは、荷物を失っただけでなく、実はもうひとつ災難に悩まされてました。





どこでもらったか知らないけど、水虫らしき症状が足に発生しており、

中国以来ずっとそれは僕の足でうずうずしてた。


インドとかネパールとか、なんとか凌いできたんだけれど、イランに来ると急に寒くなって、

薄くなってた左足の患部の皮膚が切れ始めて、皮膚同士が繋がるのをやめて、

親指の付け根部分と中指と薬指は、皮膚が剥がれて、患部を直視出来ないくらいに、

可愛そうな事になってて、歩くのが困難な中、

それでもエスファハーンとヤズドでは観光をし続けたんだけれど、

いよいよ我慢に耐えなくなってきたし、情報ノートで大使館の医療センターでとりあえず無料で

診療して頂けるという情報を得て、テヘラン到着の翌朝から地下鉄に乗って、日本大使館へと向かった。

テヘランの地下鉄、ずいぶんと綺麗です。そしてずいぶんと安いです。
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日本大使館は、物騒な塀とゲートに囲まれていて、チャイムを押して

「メディカルセンター行きたいとです」と言うと、

イラン人の係員が出てきて、中に通してくれた。

鉄格子で囲まれた部屋で待つ事、10分。


人の良さそうな日本人の医師が来て、僕を医務室まで案内してくれる。



先生に、とりあえず患部を見せると、消毒液とガーゼにて応急処置をしてくれる。

そして、
「この状態は、一番ひどくなった状態だね。これは厳しい、本当厳しいわ」
と痛い一言。

「少なくとも、一ヶ月はかかるわ。当分はなるべく歩かないようにするしかないね。」
とさらに追い討ちを掛けられる。

旅人にとって、歩かないようにするってのは、無理に近いわけでこの先どうしたら・・・・。



ところが、先生。役に立ちそうな医療道具を発見。。


「これ、やけどした時に本当は使うんだけど、代理の皮膚みたいなやつ。とりあえず患部が乾いて、皮膚が少しでも再生するまでは、これを張って、ガーゼをその上に張っておけば、大丈夫だから。期限切れてるから全部あげる。」

そうして、先生は起死回生の道具を僕にくれた。

さらには、ガーゼや傷薬、水虫用の塗り薬一式を分け与えてくれ

最後に先生は、
「お金のない旅行者は、トルコまでバスで行くの?」とどうにも屈辱的な質問をしてくれる。




とにもかくにも、先生が最後に発見してくれたその火傷用のソフラチュールなる期限切れの

硫酸フラジオマイシン貼付剤は、

その後のイスタンブールまでの僕の旅を大いに助けてくれた。



そういうことで、お世話になりました。

その夜、イラン名物のザムザムコーラを飲み、
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馬鹿でかいシュークリームを食べて、
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結局翌朝出発することにしてヤズドから一緒のミサワ君とカスピ海を見に、ラムサールへと向かった。












(イラン)ヤズドで甘いもの対決。

2010年01月25日 10:28

イランって国は、とにかく外食に関して物足りなさを感じまくり。

基本、ケバブ。

それに、当然のことながら飲酒が出来ません。




そんな彼らが見出したのは、スイーツなんでしょうか。





ヤズドでとても美味しいシュークリームにありつけました。



シュークリームに限らず、ケーキ類も絶品でした。

店に寄るんだけれど、とにかくここで見つけたケーキに使っている生クリームはかなり贅沢な感じです。





ヤズドでの最終日。バス乗車時刻まで時間があったので、スイーツを買いあさってみた。

なんと、こんだけ買って2ドルもしません。一個10円以下。それにしてはクォリティ高い。
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バスの時間までの5時間ほどをHotel Silk Roadでみさわ君とぐだぐだとケーキを食べながらすごす。

すでにこの日、このケーキたちを買う前にソフトクリームなんかを摂取しており、

糖分の摂取量は異常を来たしている。



たしかにうまいんだけれど、こいつらを食べきるのはちょっと苦痛。


二人で一つずつを、ばっさばっさとやっつける。


糖分の取りすぎのせいか、頭痛さえしてくる。

シュークリームは、まだいいんだけど、あのロールケーキがかなり曲者。
IMG_0229.jpg


というわけで、5時間の戦いを経て、このケーキを完食し終え、イランの首都テヘランへと向かった。

(イラン)もはやドラクエ

2010年01月24日 10:11

ヤズドに来た理由は、実はゾロアスター教ではなくて、旧市街。


狭い路地が入り組み、土で塗り固められた家が並ぶ場所。


しかも、ここに夜来ると実に幻想的だとの事。




とにもかくにも行って見た。


ここの凄さは、写真ではあまりにも伝わらないです。

とにかく、ここを歩いてみない事には理解し難い雰囲気なんです。

IMG_0223.jpg

誰もいない薄暗い路地をただずんずん進んでいくと、いろんな所に分岐があったり、家の扉があって、
本当にロールプレイングゲームをしているような感覚を覚えちゃう。
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不意に横から人が現れたりすると、あまりにも誰もいない場所だけに、強盗か何かと思って結構恐怖。
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とにかく、こんな路地いったいで1,2時間くらい歩きさまよって、軽く冒険気分を味わった。

その空間は、あまりに現実的じゃなさ過ぎて、異様な感じだった。

こればっかりは、日本では絶対味わえないよな体験だなぁ。

こんなところを、歩いてたら確かにドラゴンクエストの構想とか思い浮かんじゃうかもしれないよなって場所。




月が出ていたら、もっともっと幻想的だったんだろうけど、この日どうやら月は地球の反対側にでもいたらしく、

お目見えせず。人に薦められて来た甲斐あったぜ。




旧市街入り口にある、マスジェデ・ジャーメ
両側の2本に伸びているのは、メナーレというらしく、イランで一番高いんだそう。
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(イラン)ゾロアスター教の聖地へ。

2010年01月23日 07:52

エスファハーンでは、荷物を逸した状態の哀れな僕に、親切な日本人および韓国人の旅行者は、

いろいろな物を分け与えてくれました。


シャンプーだったり、石鹸だったり、


あれ、そんなもんかな。





とはいえ、彼らの親切さってのは身に染みました。



気が紛れて、荷物ない状況でもずいぶんと楽しむことが出来たし、

何しろ荷物なくても、どうにでもなるってことが確認出来ました。


iPodが残ってよかった。音楽無かったら、旅続けられないかもしんない。






エスファハーンで、ヤズドってとこの旧市街が、すこぶる良いと聞いたので、

中国製の列車に乗って、エスファハーンから4,5時間かけてヤズドへ向かう。





中国製の列車だったので、雰囲気が蘭州からラサに向かった青蔵鉄道に似ていて、


景色なんかも、砂漠が延々と続くような車窓で、ラサから見たあの壮大な景色を彷彿とさせた。




チベットが懐かしいな。







ヤズドでは、シルクロードホテルという有名な安宿に宿泊。


セントラルヒーティングで、快適な宿でした。
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そこで食べたのが、このラクダの肉シチューなんだけど、味がどう考えても牛肉。
スタッフに聞くと、ラクダだと言い張るんだけれども、ラクダってこんなにも牛肉なんですか?
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翌日、エスファハーンで出会った大学生のミサワ君とゾロアスター教関連地めぐり。


ゾロアスター今日寺院のうち最も重要とされる神殿。
の屋根にあるゾロアスターのシンボル。
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神殿内部にある聖なる火。1500年以上絶やされた事がないって話なんだけど、
20年前のイラン・イスラム革命で一度消えたとか消えないとか・・・
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その後、バスとヒッチハイクで向かったのは沈黙の塔と呼ばれるゾロアスター教徒の墓場。
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沈黙の塔から眺められるもう一つの沈黙の塔。
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アーブ・アンバールと呼ばれる貯水池。その他諸々、廃墟が塔の周辺にはあった。
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1930年代までは、ここで鳥葬が行われてたらしいけど、禁止されてゾロアスター教徒も今は土葬らしい。

そういうことで、もはや使われなくなったこの墓場は、暇そうなイラン人のライダー達が、

この山々を登ったり下ったりと聖地を、遊び場として使っていた。


ここの塔からの眺めが素晴らしく、ヤズドの町や周辺を一望できた。




一望すると、町の周りはとにかく砂漠、砂漠で、別にヤズドの町がここになくても、

20,30キロ違う場所にあっても問題ないんじゃないかっていうくらいに、荒野に囲まれており、

はじめにここに住むって決めた人はどんな心境だったんだろう。






ってことで、ゾロアスター聖地めぐりは終了。

ヤズドは、ゾロアスター教の中心地らしいんだけど、その割にはゾロアスター教徒はずいぶんと少ないらしく、

形骸化してしまった感が否めない。











(旅ルート)デリーからUAE、イランへ

2010年01月22日 12:46



パキスタンのビザが取れない事と、情勢が芳しくない理由から飛行機使用。

Air Arabiaで、どっちも片道100ドル程度。かなりお買い得感あります。
直線のため、パキスタンの上通過してますけど、それはないかな。


より大きな地図で 2009.11.28-30 Delhi-Sharja-Shiraz を表示


とりあえず世界の半分見終わった

2010年01月21日 10:14

地球の歩き方によると世界の半分は、一日半あればなんとか回れるそうです。


そうなると、僕がこの8ヶ月掛けて来て見てきたのはなんだったのでしょうか。




そんな屁理屈は置いといて、翌日も同室の4人でイスラム芸術の集大成といわれる

マスジェデ・エマームへと向かった。



26年もの歳月を要して17世紀に作られたイスラム芸術と寺院建築を極めた建造物 マスジェデ・エマーム。



前日は、大統領の演説のせいで入場出来なかったので、本日入場とあいなりました。




エスファハーンが世界の半分というのは、正直言いすぎ感たっぷりですが、

このマスジェデ・エマームの美しさは感動的でした。

入場して、すぐに迫力あるこの佇まい。
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実物は、もっともっと綺麗なんだけど、とにかく美しい青のタイルで構成された芸術的な天井。
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外から光が射し込み、光のラインがはっきりと見えた。
中国からずっと旅してて、カメラを持ってこなかったダイスケさんが、この時ばかりは「カメラが欲しい」と嘆いてた。
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素直に 「なんて美しいんだろう」 と建造物を見て思ったのはいつ以来かな。
期待してなかった分、感動出来たのかもしれない。
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荷物を無くして、エスファハーンのイラン人に腹が立って、
それでも、こうしてこんなにも美しい建物を見れて、エスファハーンに来れて良かったのかな。






その後は、バザールで取り急ぎ必要なものということで、タオル、歯ブラシ、歯磨き粉、シャンプーを購入。

これでようやく一泊二日程度には耐えられる装備には、なったかな。


エスファハーンのイラン人は、シーラーズと違って随分と幼稚な感じ。
日本人見ると、珍しがってからかってきたり、その絡み方が幼い。

なんで、同じ国でこんなに人が違うんだろってくらいに違った。




夜に再び、スィー・オ・セ橋へ。




ライトアップされた橋は、昼間とは全然違う一面を見せてくれた。
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という事で、苦い思い出のエスファハーンだったけど、美しさだけは約束できます。



翌日は、警察に行って、書類を取りに行き、そのまま電車でヤズドへと向かった。






バックパックを盗まれて、それでも観光。

2010年01月20日 01:12

バックパックを盗まれて、サブザックだけの超軽装のままHotel Amir Cabirに行くと、


成都以来の再会があった。それも二人。1人は、6月に会って以来だから6ヶ月ぶりかな。

もう1人は、成都で8月に会って、コルカタで10月に会って、二度目の再会。

同室に、エミレーツ航空の韓国人のスッチーもいた。当然英語ぺらぺら。


みんな西に向かってる上に、安宿なんて限られてるから、こうして出会う事もあるのでしょう。



何もかも失った状況で、日本人に出会えたのは幸運だったのかな。



その日、イランの大統領がエマーム広場で演説をするとかで、とりあえず一緒にその場所へ向かった。


荷物に国際キャッシュカードが一枚入っていたんだけど、大して使ってないし、

そもそもイランではATMでVISAじゃ、お金下ろせないんで、すぐに使われないだろと楽観しして、いきなり観光。


心の中では、カバンに入っていたものを思い返すたびに凹んでは立ち直りの繰り返し。



エマーム広場では、すでに大勢のイラン人達が広場を埋め尽くしていて、

厳重な荷物チェックを受けて、演説の会場へと向かう。





さすが、イスラム。ってことで会場は、広い広場にもかかわらず男女がくっきり分けられていて、

こっちから女達の歓声がたまに聞こえるばかり。


そして、こっちの男エリアでは、アジア人が珍しいのか、一緒に1人いた日本人が少々奇抜な格好をしていたせいか、

頭の悪そうなイラン人の若者達に囲まれる。



そして、やいのやいのと質問攻め、写真攻め、いじられ攻めに会い、シーラーズで好きになりかけたイラン人が、

いきなりうっとおしくなる。


もはやインド人と同じクオリティですよ。彼ら。所詮はアーリア人なんですか?



もうガキどもが、絶えず覚えたての英語で「英語しゃべれるのか?」とか「どこから来たんだ?」とか、

ずっと話しかけてきて、とにかくうっとおしいので、ほぼ無視してとりあえず演説を眺める。

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ところが待てど暮らせど、大統領の演説が始まる様子もなく、知らない大臣っぽい方々が、

ちょこっと話すと、また消えて誰もいない空白の時間が続く。
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若干、寒いし、大統領見たとこでどうなるもんでもないしと、僕らで話し合った結果、途中退場。


そして、広場のそばに警察の外国人課があったのでバックパックの盗難報告に赴く。


英語のしゃべれる親切なおまわりさんがいて、とりあえずポリスレポートをくれって話したんだけど、




どういうわけか、発行出来ないとか言い出す。

「発行出来ないってどういうことですか?外国人課でしょ?どこの国でも普通にしてくれるよ。」

と突き詰める。

すると「3日後に来てくれ。書類作って、それをテヘランに持って行き、テヘランでならポリスレポートを受け取れる」


ということになり、エスファハーン3日滞在が確定。







その後は、4人でエスファハーンのシンボルらしいスィー・オ・セ橋に行きチャイハネ。


チャイハネってのは、紅茶を飲む喫茶店みたいなとこ。


寒いんだけれど、とりあえずその1602年に作られたとか言う見事な橋のたもとでお茶を頂いた。


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荷物を無くして、凹んでるときにこうして旅人と一緒に観光出来たってのは、

気が紛れて良かったんな。

それでも、夜寝ようとすると、一瞬の出来事に対する後悔とか失った物を色々思い出したりして、

やっぱり落ち込む。




バックパックを失うというのは、どうやら面倒くさいです。






これから、色々荷物を取り戻さなきゃ。










世界の半分で僕の全てを失う

2010年01月19日 09:56

エスファハーンへと向かうファーストクラスのバスの中では、フルーツ(りんご、みかん)、お菓子数種類、ジュース、紅茶なんかが振舞われた。

ファーストクラスとセカンドクラスの値段の差は、わずかに3ドルくらい。


シートもかなりのリクライニングが可能で、本当に快適な移動だった。




そして、早朝5時 不意打ちのようにエスファハーンのバスターミナルへと到着する。










バスを降りて、豪華なおもてなしのおかげで尿意をもよおしており、トイレへ。



シーラーズで接したイラン人達が皆暖かくて、この人たちは信用出来ると思い込んでいた。


それで、トイレの外に僕の20キロ以上はあるバックパックをトイレの外の壁際に置き、トイレの中へ。


ほかのイラン人達で混んでいて、とりあえず荷物が心配だったので、すぐ外へ。



















すると、ほんの数十秒前にそこに置いてあったはずの

バックパックがなくなっている。














明らかにない。明白にそこに存在してない。








そこにいたイラン人達に英語で聞くも、全然分からない様子で、ジェスチャーで説明したけど、
知らない様子。












バックパック、盗まれたーーーーーー






周囲を見渡す。




盗まれて、まだ時間が立ってない。





バスターミナルの建物の中を歩き回る。
探してる間中、バックパックに入ってた物を思い返す。
あまりにも色々とあり過ぎて、考えるのが嫌になってくる。





見つからない。





再び、トイレに戻る。




やっぱりない。




その後、30分ほどバス停周辺を探し回ったけど、やっぱり見つからず、

バスターミナル内の警察に行って見たけど、英語通じず。





とにかく、そうして8ヶ月一緒に旅してきた僕のバックパックはエスファハーンで行方不明になった。





シーラーズでイラン人の人のよさに油断してしまったせいで、バックパックには

PCやカメラなんかも入れてしまい、とにかく多くの物を失ったらしい。

いつもより余計に大切なものが入っていた気がする。











残されたのは、サブザック、ガイドブックのコピー、ノート、電子辞書、iPod,小説、コンパクトデジカメ、

折り畳み傘、寝袋、ジジ人形、ボールペン数本、そして今来ている衣服。

もはや一泊二日が精一杯の装備。

パスポートやカード、お金なんかは、幸いバックパックには入れてなかった。







全部失ったけど、とにかく旅は続けられるんだ。

また買えばどうにでもなる。


そう思い込んで、とりあえずイスファハーンの安宿 ホテル アミールキャビールへと路線バスで向かった。







16世紀にイスファハーンは都に制定されて、多くの建造物が建設され、

交易都市とて繁栄していて、「イスファハーンは世界の半分」と称されていたらしい。



どう考えても言い過ぎだとしか思えないんだけど、とにかく世界の半分はイスファハーンだったって事で、

僕は、その世界の半分で全部を失った。









 























(イラン)シーラーズとペルセポリスとイラン人と

2010年01月18日 08:50

シーラーズでは、結局2泊ほどして世界遺産のペルセポリスなんかに行った。


2,000年以上前の遺跡。


廃墟になった時期が長くとも、レリーフや彫刻なんかが一部しっかり残されていて、

今まで見てきた国々とは文化の違いがはっきり分かった。




荒涼とした土地に残されてる遺跡から当時の状況を想像してみると、


圧巻されるような都市だったんだろうな。


写真がないんです。



モスクにも行った。


柱が綺麗に並び、青いタイルが施されたそのモスクには、誰もいなく、

夜月とのコントラストと相まって、ものすごく幻想的な雰囲気を醸し出していた。

これがイスラム教の美しさなのかなってのを感じられた。

とにかく、凄く綺麗だったんだけど写真がないんです。



バザールにも行った。

バザールを外れて、小さな路地を歩いていると、125CCくらいのバイクに二人乗りをしたお兄様方が通り過ぎる。

誰もいないし、ちょっと怖いなとか思ってたら、今度はバイクがこっちに向かってくる音が。


そして、僕の目の前で停車。ちょっとびびる。





かと思いきや、二人乗りしてるバイクのさらに後ろに乗りな。どこ行きたいんだ?との事で、

大通りまで連れてってくれた。疑ってごめんよ。








シーラーズから次は、エスファハーンへと向かうことにした。




夜22時のバスだったので、チェックアウトを済ませてからは


シーラーズの町で時間を潰すわけだけど、かなりの暇のもてあましっぷり。



最終的には、小さなショッピングセンターの中のベンチで地図を見ながら時間つぶし。




空港で働いてるというイラン人に話しかけられる。


そして、Made in Chinaの携帯はすぐ壊れるからどーのこーのという話や、

日本で何してた?って話、彼の仕事の話(1,500ドル/月らしい)だとかを、話した後、

「近くの砦を紹介しちゃるで」ということになり、恐ろしく寒いシーラーズの町を

二人で散歩しつつ、すぐ近くの砦に向かう。


さらにその途中で、日本で働いてた事のあるという日本語の流暢なイラン人にも声をかけられ、


「何か困ったことがあったら、言ってくれよ」なんて心温かる言葉をいただく。




砦は閉まっていて、その彼がこれから彼女と待ち合わせがあるというので、

成り行きでその待ち合わせ場所まで一緒に行くことに。


「もし時間があったら、家に来て夕食をいかが?」って話にもなったんだけど、すでに手元にはバスのチケットがあって、事情を察していただく。


待ち合わせにその彼女が来たところで、彼とはお別れ。



イスラム教だから、結婚するまで二人で出歩くなんで事許されてないのかと思いきや、

そんなことなく、普通にデートしちゃうらしい。当たり前なんだけど。



彼と別れた後、荷物をピックアップして、シーラーズのバス停へとタクシーで行き、


次の町エスファハーンへとファーストクラスの超デラックスバスで向かった。






イラン初、イスラム圏初の町シーラーズで出会った人々は、みんな愛想が良く、親切で、

心を許せるような人たちが多かった。




この町を見て、すでにイラン人ってのは信頼できるいい人達なんだという認識を持ってしまったわけだけど、

その油断が、10数時間後に悲劇へと繋がる。










とりあえずイランええとこ。

2010年01月15日 23:33

シャルジャ空港からイラン行きのチケットをチェックインしようとすると、

往復のチケットがないことで、ちょっともめるも強引にトルコに陸路で行くことを押し通し、

上司まで呼び出されたけど、何とか完了し、再び1時間ちょっとの飛行機の旅。


そして、イランのシーラーズに到着。





75ドルでビザをもらい、日本人のせいか全指の指紋を取られるという仕打ちにあい、

イラン入国完了。




タクシーでシーラーズの町に中心に向かう。



タクシーから見た景色は、なんとなく寒々しい雰囲気。とりあえず寒い。



タクシーの運転手にリアルで払うべく、ホテルで両替。


40ドルで285,000リアル。



今考えると、ぼられた臭い。レート悪い。






宿探しを済まして、街歩き。




初めて訪れたイスラムの国。


偶像崇拝が禁止されてたと思ったけど、街のいろんなところに

イラン・イスラム革命の指導者 ホメイニーの写真が飾られている。



シーラーズの町中は都会とまではいかないけれど、電化製品や衣服、猟銃なんかが売っている店が

軒を連ねて、割と活気のある雰囲気。





ところが、昼過ぎになると、その店達がことごとくシャッターを閉めて、


外食がままならない状況。



皆様、何されてるんですか?シエスタですか?僕は、ただただ空腹です。




再び、夜になると街は賑わいだして、昼間には閑散としていた通りにもイラン人があふれ始める。



電化製品店なんか覗くと、普通に日本のカメラや家電が並んでたり、携帯電話の種類も豊富だったり、


ゲームショップなんかもあったりして、完全にイランのイメージが覆される。




特に今までインドを見てきたせいか、こういう当たり前に色々売ってる状況が新鮮に感じるらしい。




そして、イラン人がとても親切でフレンドリー。




シーラーズにて、この旅初めて観光案内所なる場所に行ったわけだけど、


無料の地図をくれて、親切に観光地の場所の案内をしてくれた。

そんな当たり前の事に、大きな感謝が出来る。


当たり前の事なんだけど、インドとのギャップが大きいせいか、

些細なことに気づく事が出来るっていうのは、出来そうで難しいこと。


道を聞いたら、ずいぶんと親切に教えてくれるし、愛想は良いし、

この寒々しい街でも、人の心は温かいようです。



この町にしては、高級らしいケバブをいただきました。5ドル。
美味ですが、米のボリュームが尋常じゃありません。若干味にも飽きてきます。
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ドバイショックの3日後のドバイ

2010年01月15日 02:47

バスで、ドバイ到着。



土曜日なので、なんとなく街は閑散。


もらったガイドブックのコピーを手に、ドバイを歩く。



都会やないっすか。



立派なビルディングが立ちならんどります。



そして、街中をアラブ人や観光客、なによりインド人が歩きまくっとります。



ゴールデンスークと言われる商店街は、ほとんどの店が金関連のアクセサリーを販売していて、


通りが煌いとります。


観光客で賑わっております。



ところが、観光するとこなくなってカルフールへ。



めちゃくちゃ賑わっとります。


ドバイショックってなんすか?






ドバイといえば、ブルジュ・アル・アラブとかパールアイランドとかって、あの規模のでかいやつだよな。



いったいどこにあいつらが立ってるのかわからず、カルフールにあった書籍売り場で立ち読み。



カルフールを出て、再び出稼ぎ労働者のインド人が並んでいるバス停へ。






ドバイのバスのシステムは、ずいぶんと先進的。



あらかじめ、チケットを券売機で行き先指定して購入。

そしたら、2階席のバスにはほぼ座れる。




ところが大きな問題が。


先進的なシステムなんだけど、券売機の台数が少ないし、チケット購入のための操作が若干複雑なために、


出稼ぎ労働者のインド人達が、一人一人それを買うのに戸惑ったりして、


とりあえずどの券売機も長蛇の列。


UAEに来て並んでばかり。






ニュードバイと言われる地域へ、バスで40分ほどかけて向かう。





その地域は、建てたばかりの高層ビルが立ち並びまくり。




インドから来た僕にとって、このギャップはもう計り知れない。



土曜日のせいか、誰も歩いていないその地域をブルジュアルドバイ目掛けて歩き始める。




その辺は、メディアタウンだとかインテリジェンスタウンだとか綺麗に整理整頓されてて、


よく知らん大学や各マスメディアが並んでた。


金の匂いがする。資本主義の匂い。






ブルジュアルドバイに向かう途中、パールアイランドのそばを通るわけだけど、


どうやらそこを一般ピープルが歩いてはいるのは厳しいらしく、遠めに除く。



あれは、上から見ないと意味ないと思うんだけど、どうやって上から見るんでしょうか?




さらに歩くと、ビーチを見つける。







そこには、欧米人やアラブ人が高級車の4WDで乗り付けて、バーベキューしたり、泳いだりと満喫中。




なんだか凄く悔しかった。



こっちは、一人汗かきながら歩いてるわけですよ。


水着なんて持ってきてないし、とりあえずそんな準備何にも出来てないわけですよ。




この格差はなんなんすか?



ドバイショックってなんなんすか?彼らに動揺なんて全然ないじゃないっすか?






そして、再び歩きまくること1時間以上。



ブルジュアルドバイへ。




中に入れないじゃないっすか。


外から見るだけってひどい仕打ちじゃないっすか。






一泊、何十万円するんですか?





どうやったら入れるんすっか?






そんな屈辱的な気分を味わいながら、帰路へと向かった。





ドバイから再びシャルジャへ戻るバスは、出稼ぎ労働者のインド人の行列。


チケットを買うための行列
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そして、それに混ざる自分。






国が変わっても相変わらず横は入りをするインド人に怒りつつ、チケットを買い、


しまいには、自分もバスを乗るための行列を無視して、バスに乗り込んじゃったりして、


なんだか自己嫌悪に陥りつつ、シャルジャへと向かい、再び空港で野宿をして、



翌朝イランへと向かうAir Arabiaに載って飛び立った。


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UAEでもとった食事は、相変わらずのマサラドーサ。
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Wash Plz Me
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そんなわけでドバイショックの3日後にドバイ入りしたわけだけど、土曜日だったせいか、

リーマンショックのような気配もなく、淡々といつもの一日が過ぎていこうとしてる感じだった。



出稼ぎ労働者の受け入れっぷりが、尋常じゃなかった。


富が、散々インド人に持ってかれても、それでも受け入れられるこの余裕さってのは、やっぱり石油の力なんでしょうか。






















































アラビア半島へ。

2010年01月14日 01:34

色々と取り戻しました。

これから全力でブログを現在に追いつかせます。




ドバイショックってやらが起きたのを11月27日にデリーで見たYahooニュースで知った。

出発間近だったので、詳しく分からなかったけど、Air ArabiaでドバイショックまもないUAEへと飛行機は向かった。


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ドバイの隣の首長国シャルジャに着いたのは、夜の23時。

イミグレーションでいきなり長蛇の列をお見舞いされる。

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この長蛇を形成する99%はどうやらインド人らしい。



せっかく、インドから脱出したというのに

「もーついてくんなよ」

しかも窓口のアラブ人はどうやらやる気がないらしく、進むスペースが遅い。

そして、イミグレで30日の滞在許可をターバンかぶったアラブ人からいただく。





こうして、1時間強ならんだあげく空港から外に出ると、お出迎えの面々が待ち受ける。


それもこれも、全部インド人やらパキスタン人やらバングラデッシュ人やら、さっぱり見分けがつかないんだけど、

とりあえずアラブ人は見当たらない。


ここが本当にアラブ首長国連邦なのか、頭を悩ませる。



23時過ぎなので、バスもなく、タクシーあるけど、いくらかかるのかしらんし、

とりあえず久しぶりにビーフのマクドナルドを食べてみる。

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牛肉ってのは、出所がしれない胡散臭い肉でもとりあえず久々に食べるとうまいらしい。


結局、その晩は町に出ることもせず空港で一夜を明かす。

空港のベンチで、快適な睡眠を得るのはちょっと難しいような気がしたので、

空港の駐車場の近くの芝生の上に、適当に寝てやった。






翌朝 空港の入り口へと向かうとどうやら街に向かうらしいバスがあったので、

早朝誰も居ないバス 一人きりでシャルジャの街中へ。




街がきれい過ぎた。  インドと比べてだけれども。




街の中心でバスを下ろされて、とりあえず宿探し。







ホテルが見つからない・・・・。





道行くインド人なんだかパキスタン人なんだか知らんけど、ホテルを聞いてみる。




親切にもたいそう立派なホテルの場所を教えてくれて、それに向かって歩いてると、


ちょっと安そうなホテルが見つかる。





中に入って、そこで寝ていたインド人をたたき起こす。


英語が通じない・・・



一泊180ディラハム。 約4500円。

インドルピー換算 2250ルピー。



ゴアで泊まった300ルピーの宿が、一番高かったってのに、それに7倍もしやがる。




とりあえずここが、インドじゃないって事を思い知る。


ホテルの捜索のため、街をさまよう。




ぜんぜん、見つからない。



あきらめる。




土曜日で休みだったショッピングセンターの駐車場の、絶対誰もこなそうな場所にバックパックをおくことにする。





シャルジャから、ドバイを目指す。



シャルジャの街を歩いてるのは、ほとんどがインド人顔の人たちばかり。



なんでかというと、彼らはインドからの出稼ぎ労働者。


ドバイで働いてるんだけど、住居費が安くてドバイから近いシャルジャに住んでるらしい。


アラブ人率10%以下な気がするこのシャルジャから、ドバイへと向かったわけだけど、

バスターミナルの長蛇っぷりが、これまた半端ない。

そして、その列にアラブ人らしき人は見当たらない。

街を走る車は高級が、ずいぶんと多い。












イスタンブールで2週間

2010年01月09日 17:41

インド以降の更新は、12日くらいから始めようと思います。

せっかく見に来ていただいたのに更新してない事が忍びないです。


そんなわけで、イスタンブールに辿り着いて、4日ほどカッパドキアに観光に行ったことを除いたら、

トータルで2週間ほど経ちました。


沈没ではなく、長期滞在型観光中です。




クリスマスも年末もイスタンブールです。


アジアとヨーロッパが出会う街です。素敵なところです。


この日本人宿でも多くの出会いもあって、再会もありました。


そして、正月休みが明けるのと合わせたかのように、多くの別れがありました。


あー、楽しかった。







Have a wonderful new Year!!

2010年01月02日 04:23


ブログの更新が途絶えて、関係各位の皆様には若干のご心配をおかけしてるかもしれませんが、

とりあえず足が腐りつつも元気にやっとります。


クリスマスも年末年始も、トルコのイスタンブールで過ごしました。


最高に楽しい日々でございます。


インド以降のブログ更新もじっくりやってまいりますので、乞うご期待。





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