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世界遺産マハーバリプラムの建造物群 で遺跡に浸かる

2009年10月30日 11:05

世界遺産 マハーバリプラムの建造物群へ。

チェンナイからわずかにバスで2時間のところにあるマハーバリプラム。

ビザの関係で急がなきゃならないのに、2時間の移動のために1日がかり。




マハーバリプラムで宿泊した宿は ホテル Lakshmi。

地球の歩き方に歩かされてる、今日この頃。このホテルももちろん紹介されてる。

プリーから一緒に移動してるゴウ君とシェアして一人150Rs。


マハーバリプラムの町は、観光地というだけあって、ホテルが並ぶ場所なんかは、

観光客向けの高めのレストランなんかが何軒かあって、ビールもあったりする。

結局、食べたのは近場の割と庶民の人が使うレストランで、35Rs(70円)のミールスなんだけど。

南インドに来てから、米が変わり、日本の米に近くなったせいか、米料理を食べて残念な思いをする

事がとても少なくなった。というか結構美味い。

北インドはパサパサだったけど、南インドはもっちりしてて、食べ応えの有る感じ。



世界遺産は、海岸寺院と五つのラタとか呼ばれる小さな建造物達。

相変わらず遺跡に関しては、あまり興味は持てないままなんだけど、何はともあれ世界遺産。


まずは海岸寺院へ。


入場のために海沿いを歩いてたら、遠くから大声で「ハロー、ハロー、こっち、こっち」と

聞こえてくる。どうも僕に話しかけてるらしく、最初は無視してたけど、しつこいからなんのこっちゃと

思い、親切に道案内をしてくれてるのかと思って、近寄ってみたら、なんてことはなく

ただほら貝を売っているだけだった。この長期の旅でほら貝持ち歩けるか!と華麗に彼をスルーして、

海岸寺院へ。


コナーラクの太陽寺院同様ここも250Rsの入場料が必要で、遠くから見る分には無料でいけるんだけど、

折角来てるんだし、もったいないよなって事で、入場。
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1200~1300年前に建立されたこの石造寺院。海がこんなにも近くにあるもんだから、

海側の面の彫刻は損傷が激しくほとんど欠けて分からないような状態。

それでも、残っている部分はかなりあるし、海岸にある事や大昔に作られた事を考えると、

魅力的な遺跡だなと、遺跡に対しても少し興味が湧いた。

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次に訪れたのは、同じ250Rsのチケットで行けるファイブ・ラタ(五つの石彫り寺院)
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こっちも小規模なんだけど、一つ一つに建造物が特徴的だし、緻密に彫られている部分が、

多くあり、中に入って、実際に触れる事が出来たりし、遺跡の魅力にこれまた取り付かれたような気がした。
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そういえば、今まで見た遺跡って何だったかな?

日本の縄文遺跡とか古いはずなんだけど、どうもパッとしなかった思い出しかない。

西安の兵馬俑は見る甲斐あったな。

と、思い出してもそもそも遺跡なんて大して今まで見てこなかったんだって事が判明。

遺跡って面白いのかも。
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これから訪れるかもしれない世界各地の遺跡達よ、待ってて下さい。

だから入場料だけは、控えめにお願いします。

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モノがあるって素晴らしい(チェンナイ インド)

2009年10月29日 23:01

頭で理解することと体で感じる事ってのは、全然違いますね。

日本人に生まれて本当に良かったと思うは当然の事で、長らくその思いはあったのですが、

このインドに来て、この貧困を目の当たりにして、一方でチェンナイのスペンサープラザという

日本のジャスコに比べたら随分と劣るかもしれないけど、何でも売ってるショッピングセンターを見て、

日本の姿を思い出してみると、あー、物があるって事がなんて幸せなんだろう と心から感じております。
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当たり前にエアコンや洗濯機、冷蔵庫がある暮らし。砂糖の入ってないコーヒーや紅茶が簡単に飲める暮らし。

とりあえずの欲しいものは何でも手に入るし、便利に突き進むそんな暮らし。

そんな毎日を26年間も当たり前のように過ごしていたかと思うと、罰が当たるんじゃないかと思ってきた。

だけど、物が無いってのは、一度物がある暮らしを知ってしまうと不便で仕方が無い。

もう逆戻りなんてそう簡単には出来ません。

日本で簡単に手に入ったものも、インドではそれがどこで買えるのか、果たして存在するのかすらも怪しかったり。

インドに来て洗濯物は常に手洗い。やっぱ汚れはなかなか落ちません。脱水も結構大変です。

洗濯機ってのは、なんて素晴らしい発明なんだろうかと思ってしまう。ましては乾燥機付洗濯機なんて贅沢すぎる。

24時間のコンビニとかいつでもキンキンに冷えたジュースが飲める自動販売機ってのも、贅沢すぎ。





そういうわけで、スペンサープラザには二日連続で通い、12Rs(24円)のソフトクリームを何度も食べ、

カメラの割れたフィルターを買いなおしたり、ポストカードを買ったり、文房具を物色したり、

無駄に日用品や電化製品なんかも見てみたり、ケンタッキーになんかも行ってみたりして、

何でも手に入る事に対するありがたみを噛み締めたわけです。

衣料品から電化製品まで売ってるLANDMARKさんに2時間ほど滞在。
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マドラスだった町チェンナイへ。

2009年10月27日 23:00

ブバネシュワールから20時間くらい列車に揺られてチェンナイに到着。

20時間の移動が、ずいぶんとあっけなく感じたのはそれまでしんどい2等車に乗ったりしてたせいかな。景色は退屈なんだけど。

北を移動している時には、ファンさえ回っていればそれほど暑苦しく無かったんだけど、 南下しているせいで、気温の上昇をずいぶんと感じる。

この暑さならエアコン車、大歓迎。

チェンナイ駅に到着し、出口を出る。


いつもなら、オートリキシャーワーラーのおじさんの方々が、どこ行く?ホテルは?安い安い。 と近寄ってくるんだけど、ここチェンナイは誰も来ない。




あれ?  どうもおかしい?



そんな違和感を感じる。




駅の向かえにある郊外列車の駅までの5分ほどの道のりで、声を掛けてきたのはわずかに一人。




しかも、いらないって言うとあっさり引き下がるし。



なんだここ? インドなの? 違う国じゃないの?



そんな空気を感じつつ、宿を確保。



異様なほど、北インドでの人のしつこさは消え去り、ずいぶんとスーツを着た人々の数が増え、 久々に「ソーリー」という単語を何度も聞き、そして彼らの対応が紳士的で親切。


北のほうでは、話しかけてくるインド人に嫌気が差してきたけど、こっちで話しかけてくる場合は、 ほとんど親切心からで、May I help you? 的な場合が多い。






本当にまるで違う国みたい。確かに町を歩いてるのは、紛れも無くインド人なんだけど。




だけれど、やっぱり居るのは乞食の皆さん。数は多くないんだけど、割と裕福そうなインド人が増えて、 彼らと見比べていると、やっぱりその格差は目に付く。




人口もそれなりに多いし、交通量も多いんだけど、北のほかの町に比べて、なんだかスッキリしている印象を受けるチェンナイ。



とはいえ、もうすぐ11月だってのに、暑さは半端無くて、本当に寝苦しい。





眠気が暑さに勝るくらい眠くならないと、 なかなか眠りにつけなくて、チェンナイでの2泊は3時、4時までうなだれながら眠る日々。


イギリスから来た東インド会社が立てたセント・ジョージ砦の博物館に行き、


そこで、当時のイギリス人政府たちの自画像の絵が飾ってあり、絵の下には、彼らの任期期間が 書いてあったんだけど、みんな3年とか5年、6年とかそれくらい。


確かに、こんな暑いところに居たらさっさと母国に帰りたくなるよなと思わざるを得ない。

インドに来たのか知らないけど、クイーンエリザベス一世 さん
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インドで最初の教会かも?
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ただいま、そんな風に思うくらい暑さに悩まされています。

日本はもう秋ですね。もう一ヶ月もしたら北海道では雪が降り始めてもおかしくない季節です。

ここ最近、長袖が必要なのは、エアコンが効きすぎた場所くらいなもので、日本の秋が恋しくて仕方がありません。

紅葉狩りなんて、しゃれた単語、ヒンディー語では間違いなく存在しないんでしょうね。

四季の素晴らしさを身に染みて感じている今日この頃です。

今度は戦争か?(インド プリー)

2009年10月26日 20:31

プリーを出発したのは、10月17日。 


どうやらインド国内で内乱が起きたのか、

パキスタンとの戦争が始まったのか、

それとも中国との戦争が始まったのか知りませんが、 とにかくどえらい騒ぎでした。


世界中でニュースになってるのでしょうか?


死傷者はどれくらいいたのでしょうか?






その日は、インドの3大祭り ディワーリー。 当日、僕はそんな事を全然知らなかった。



前日から、プリーの街中では昼夜問わず、ただただ音のでかい爆竹があちらこちらで爆発され、 サンタナロッジで優雅に本を読んでいても、爆竹の音が、日本のそれとは比べ物にならないくらいにでかく、 その爆竹の音にびびる一日。


もう本当にうるさくて腹が立ってくる。



そして迎えたディワーリー当日。


朝から相変わらずの爆竹の日々。



インドの爆竹は、何発もバンバンバババンってのじゃなくて、一発強烈なのがドンって鳴って終わり。


こっちとしてはただやかましいだけなんだけど、当のインド人達はそんな事関係なく、発破させまくり。


そして、夕方になり、宿からバス停に向かってリキシャーを走らせる。



家々の前には灯が点され、それとなく日本のお盆のような雰囲気を醸し出してた、それだけなら。



その爆竹はエスカレートし、花火も加わり、車が走る道の真ん中で平気でロケット花火飛ばすわ、 噴出し花火が噴出してるわ、打ち上げ花火がいたるところで飛んでるわと、 町で内乱が起きたかのような大騒ぎ。



リキシャーに乗ってても、右から左からと爆竹の爆音がボンボンと響き、 至るところで、閃光が・・。



その後、乗車率300%のぎゅうぎゅうのバスに揺られ、1時間半後ブバネシュワールの駅へ。




バスを降ろされてから、駅までの一本道はそんなに長くないんだけれど、何人もの人が道の真ん中で、 花火と爆竹に点火させまくっていて、駅まで辿り着くのは本当に一苦労。




まるで、市街戦の街中を弾をよけて、走って移動するようなそんな感じ。




花火の勢いも物凄くて、それに気付かずに近くで爆破されたときなんて、 本当に吹き飛ばされそうなくらい。



花火を楽しむ人たちが、花火の火薬がなくなると、僕にいまだ行け行けと指示してくる。



そこに感じたのは、ただただ恐怖。



いつどこで爆破されるか分からないその恐怖を感じてると、 戦争で市街戦になったり、空襲で空から爆弾から降ってくる恐怖ってのは計り知れないものがあるんだなと、 その秩序のない爆破の連続に、戦争の恐怖の一片を思い知らされる。




実際、この祭はインド三大祭らしいんだけど、そうやって爆竹と花火に点火させまくってることと、 家の前にろうそくで灯を点していること以外は特に何かをやっている様子はなく、


これは果たして本当に祭なのか?


他の場所ではちゃんと儀式らしい事をやってるのか?


これだけじゃ、中学生や高校生のちょっと羽目を外した遊びと変わらないんじゃないか?


と、この祭りに対する違和感に首をかしげながら、ブバネシュワールでチェンナイ行きの列車を待ってた。



インドに来てから、しばしばフェスティバル、フェスティバルと年がら年中、仕事もしないで、 祭りやってるんじゃないかと思ったんだけど、


当分はフェスティバルもなさそうで、 静かなインドめぐりが出来るんじゃないかとほのかに期待。



沈没の危機(インド プリー)

2009年10月23日 12:25

最初に宿泊したLove & Lifeに何か物足りなさを感じたので、2泊した後、日本人宿のサンタナロッジへ。



そこには5,000冊の日本語の本があり、130Rsで一泊2食付となんとも至れりつくせりな素敵な宿。 日本人しか宿泊しておらず、その時はわずかに6人。



そして翌日はわずかに4人だけとなんともローシーズンっぷりを発揮。




一人は、すでに3ヶ月も居るし、他の人たちも3週間とか1ヶ月とか、そんな勢いのお宿さん。



朝食、夕食は付いてくる上に(朝食なんて、部屋まで運んでくれる)昼食も、日本人の一人が毎日作ってくれるので、 生活をするためだけなら、その宿を出る必要が一歩も無いという心地よさ。




残念ながら、(幸いにも?)すでにチケットを取っていた僕は、わずかに2泊という短さでその宿を出なければ行かなかったんだけど、 そこにある大量の本と、居心地の良い共同スペースなんかで時間を潰そうと思えば、何日でも居られるんじゃないかという 空気を感じ、チケットを買っていなかったら、平気で一週間くらい過ごしていたのかもしれないという危険すら感じたのでした。



オーナーのサンタナさんは、日本にいくつかのインドレストラン等々所有しているらしく、今は日本に居るとの事。



それで、3ヶ月居る日本人はお留守番中だとか。

見知らぬおっさんと世界遺産 太陽寺院へ

2009年10月22日 11:20

見知らぬおっさんと世界遺産 太陽寺院へ。


プリー到着 2日目。 Love & Life で知り合ったじゅんこさんに紹介してもらったバブリさん。


彼は、ただいまローシーズン中のプリーにあって、本当はレストランで働いてるらしいんだけど、 今は、オフなので仕事がないんだと。



それで、僕をバイクでコナーラクまで連れてってくれると言いはるではないですか。




彼の趣味は友達作りなんだと。



北インドなら、それで何百ルピーという金額をせしめられそうだけど、ここはプリー。



どうも彼は信頼の置ける人間らしく、従順にも彼を信じ、一緒にコナーラクへ行くことにした。




彼は125ccのホンダのバイクに乗っており、2年前に購入したんだとか。



金額はおよそ50,000Rs。


毎日、毎日バイク磨きに精を出してるとのことで、バイクは本当に綺麗。
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コナーラクは、プリーから35Kmほどのところにあり、1時間くらい。



そこまでの道のりは大変整備されており、交通量も少なく、バイクから見る景色は、 しかの住んでいる湿地地帯っぽい森と畑、そしてそれを抜けると誰も居ない波は荒いけど、 一人占め出来ちゃう美しいビーチ。
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そんな素晴らしいツーリングを楽しんだ後は、世界遺産 太陽寺院(スーリヤ寺院)観光。
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彼が、「入場料 250Rsだけど、20メートル離れてみる分にはタダだよ」とおっしゃるので、、塀の外からその寺院をじっくり一回り。



この寺院は、建物に彫られている彫刻が一つの見物みたいなので、こう離れてみるのも どうしたものかと、これでいいのか?と自問自答したけれど、別にいいやろと気にせずに観光。
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カメラのズームレンズを使ってその彫刻を楽しんだわけです。
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僕が回っている間、バブリはオランダ人のガイドさんと話し込み、観光終わっても話していたから、 その会話に混ぜてもらう。



そのガイドさんは何度もインドに来ていて、そのほか日本とかにもツアーを組んで来る事はあるそうな。



日本については、お褒めの言葉を頂き、嬉しい限り。 本当に日本はいいとこだよ。



今回は22日のツアーで、北インド周辺をざっくり回るんだとか。



オススメは、少数民族との事で、ツアーを組まないといけないらしいんだけど、 ガイドさんに一押しされちゃうと、かなり惹かれちゃうよな。


で、観光の後は、一直線にプリーへ舞い戻り、一緒に昼食。


結局、彼に支払ったのは 2リットル分のガソリン代と昼食代だけ。



こういう親切を受け取ると、誰かにお返ししなきゃなって気持ちがたくさん生まれます。

ぷりーのゆるっぷり。

2009年10月20日 20:19

プリーに着いた。 コルカタからチェンナイ行きのチケットが取れなかったので、仕方なく。


ついでに、半年ぶりの海を見るべくビーチへ。


地球の歩き方を見てみても、この町の見所はヒンドゥー教徒以外進入禁止の寺院くらいなもので、 見所は、本当に何にも無い。


ここから35Kmにあるコナーラクという町に太陽寺院という世界遺産があるみたいだけれど。


ただこの何も無さは、ネパールのポカラを思い出す。 といってもポカラには、きれいな山と湖があったけど。

着いた初日は、何もないし、やること無いなとか思いつつ、結局ポカラには2週間近く居てしまったわけで。



宿に荷物を置いて、さぁビーチへと歩いて数分の海へ。



宿の有るストリート沿いからはすでに波の音が聞こえ、道の合間から波が見え隠れしている。



半年ぶりに海を見たら、どんだけ感動するんだと期待しながら、砂浜へ。



あれ、どうもおかしい。







全然、感動出来ない。





波が荒すぎて、ビーチというよりは冬の海くらいの荒々しさ。




そのビーチでは、いくつもの船が沿岸で漁をしてるわ、取り立ての魚をその場で売ってるわ、 仕舞いには、見え見えなんだけど、船の陰で人間が脱糞してるわで、なんだここ。
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ということで、半年振りに見たはずの世界中に繋がってるはずの大きな海を見て、きっと感動出来ると 淡い期待を抱いていたものの見事に裏切られる。



そうだ、期待しちゃいけないんだってことを忘れてた。



エベレストを見たときだって、もしかしたら見えないかもしれない、でもチベットのこの大地が素晴らしいから、例え見れなくても、満足だ。

という心持ちで挑み、そして運よく見る事が出来たから、一際の感動を味わえたのに、今回は不覚にも期待してしまった。 そんなベンガル湾。
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年がら年中、荒れてるらしく、特に雨季なんて海水浴どころじゃないらしい。


今だって、泳いでるのはわずかな地元のすっぽんぽんの子供達だけ。


砂浜を歩いてると、意味不明におっさんが「2ルピー」とか言ってくるし、 子供達がかわいげに寄ってきたと思いきや、僕の持ってたポテトチップスをくれって言うから、 2枚取ってあげようとつまんだら、袋ごと取りやがったから、奪い返して、何もあげなかった。
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そして、「もっと謙虚になりなさい」と言って、漁村を歩いて、ビーチを去った。
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最初に宿泊した宿はLove&Life という日本人女性がオーナーのはずのところなんだけど、 どうもその本人が居る様子はない。



泊まってるのも3人を除いて、他はみんなインド人。


日本人宿らしいけど、その空気が感じられない。 すでにそこに一週間居るというジュンコさんが、宿の従業員と仲良くなってて、 今日は、その一人が21歳の誕生日でパーティーをやるから参加しない?と誘われ、言ってみた。



どんなパーティーかと思いきや、宿の隣にあるレストランの裏の下水臭く、薄暗い場所で、自分も含めてわずか5人。



テーブルすらなくて、レストランから椅子を持ってきて、人が座れる場所をようやく確保。



そして、プレゼントをあげたり、ケーキを食べるなんてしゃれたことは一切なく、 ただ、もくもくとチョウメンと呼ばれる焼きそばを食べ、ビールを数本飲んで、ものの30分足らずで アルーンと呼ばれる少年の21歳の誕生日パーティは終わってしまった。




盛り上がる事もなく、たいした会話もなく、なんだか居心地の良くないパーティでした。

アルーンはこんなんで良かったんか?

それでもプリーの人は、ずいぶんと人が良い。バラナシなんかと比べると、しつこい客引きやリキシャー乗りも居なくて、 2,3回「ノーセンキュー」って言ったら、すぐに引き下がってくれるし、 みんなが笑顔でハローって声を掛けてくれて、その後お金がらみの話にはならないし。

なんだかプリーはゆるい町です。


南インド、人の空気もちょっと違うようです。それに、タミール文字は丸っこくて可愛らしいし。

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コルカタの逆襲

2009年10月19日 18:18

2度目のコルカタ。タイトルに意味はなし



この旅始まって2度同じ所を訪れるのは4回目。

香港、成都、カトマンズ、そしてコルカタ。

いかに無駄な移動を繰り返してるかがよく分かる。

前回は、風邪をこじらせ、この喧騒に嫌気が差して、逃げるようにしてブッダガヤへと向かったわけだけど、 今回は、体調も回復し、コルカタなんて地図も見なくたってサダルストリートにある安宿には辿り着けるし、 ずいぶんと慣れたもんだった。



といったところで、やることない。


結局、2泊したんだけれど コルカタでは、

昼寝目当てにプラネタリウムに行き、わずか30分という短さに裏切られ、
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物珍しさにマクドナルドに2度行き、 どの客よりも長く居座り、
(写真はマハラジャマックバーガー 125Rs 250円)
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そしてかなり気に入ったおしゃれな本屋さんに2度行き、その本屋の雰囲気や売っている品々に西欧の匂いが漂っていて、早くヨーロッパ行きたいなって気持ちが募る。
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あとはちょこっとの散歩をするだけと、これまた随分と時間を持て余した。
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それでも、前回に比べてこのコルカタの町の喧騒さもそれほど気にならなくなってて、 話しかけてくるインド人のしつこさも、バラナシなんかと比べると優しいもんで、 10月に入って少し涼しくもなってきたのか、居心地の良ささえ感じた。



香港も成都もカトマンズもそうだったけれど、2回目訪れるって言うのは、有る程度勝手知ってるわけで、 地図なんてなくても、どこに何があるかは分かってるし、物凄い安心感があるな。



もちろん観光目的じゃない事が多いから、やることはないんだけれど、 新しい都市を訪れて、宿探しその他諸々の不安が無いってのは、随分と気楽だ。



それに、最初は嫌いだった町も2度目訪れるとそんな嫌な部分が許せるようになってたりして、 不思議だね。


結局、チェンナイ行きのチケットが随分先まで埋まっており、困った挙句、海を見にプリーという町へ行くことにした。

ムガールサライの悲劇

2009年10月17日 18:28

バラナシから最寄のムガールサライ駅からチェンナイ(マドラス)へと向かうはずの 忘れもしないPatna Bangalore EXP 23:30発の列車に僕は乗る予定だった。



インドの列車はずいぶんと便利になっており、チケットはインターネットで予約。 しかも5日も前に予約していた。



ところが、インドのRailwaysはくせもので、翌日、翌々日の列車なんてほとんどいつも満席。



だから、ウェイティングリストなるものに名前を載せてもらってキャンセル待ちをしなくちゃならない。




それで予約した時点で12番目くらいだったから、いくらなんでも5日経てばキャンセル入って、席取れるだろうと、 ずいぶん楽観していたわけだけど、悲劇は起きた。




列車がムガールサライを出発する1時間ほど前に、自分のチケットの席を確認するべくオフィスへ出向き、 「席の確認をお願いします」とやる気の無い駅員にチケットを渡す。



そしてだらだらと確認すること、5分。


「君はウェイティングリストのままで、席がコンファームされてないよ。残念ながら席はない。払ったお金は返されるから。」


そう言われて、「えぇー、それじゃ困る。Extra feeでもなんでも払うからさ、何とか手配してよ」と食い下がる。



ところが、「ないもんは、ないんだ、それじゃ。」



そう言って、インドにとって大切なはずの外国人旅行客様の僕を足蹴にし、彼らは、仕事もせずまた雑談を始めた。




インドの列車システムに憤りを覚えまくる。

みんな、乗れなかったらどうしてんだろ?直前まで分からないって明らかに問題あるだろ。



そんなわけで、チェンナイに行くつもりでほかの事は当然何も考えてなかったから、非常に困った。



もう一泊して、明日の同じチケットを取るか。するとムガールサライで一泊する事になるけど、やることない。それに取れるかもわからない。


バラナシを出た以上は、さっさと次へと向かいたい。



汗をだらだらと流し、60ルピーで買った時刻表を何度も見返した。


チェンナイにいける便は一日に一本しかなく、今日これからある便は、ほとんどがコルカタがデリーに向かう電車。



色々考えたあげく、チェンナイに行く便はコルカタからたくさん出てるという事になり、とりあえずコルカタに向かおう とした。


とはいえ、時刻はすでに12時近く、コルカタ行き列車があるのかなと思いきや、何便もある模様。

ところがそのうちほとんどは、ラージーダーニーエクスプレスとか呼ばれる、エアコンつき寝台車しかない高級車。

それでもよかったんだけど、どれも席はないんだと。今はフェスティバルだそうだ。インドはしょっちゅうフェスティバルだな。働いてる時間よりフェスティバルのほうが長いんじゃないか?


出来れば寝台車に乗りたかったけど、まさかこの時間から取れるはずも無く、途中来た列車に3つほど 「寝台車に空きはない?金なら払うからさ。なんとかしてよ」と懇願するも、 「もう席はないよ。チケット売り場で買いなさい」と冷たくあしらわれる。



さらには1:40発の電車に乗りたいんだ。と道歩く人に話したら、これは時間変更になって4:40発になったよ。


3時間待ちだとか言われたんだけど、そんな事を言われてる刹那その電車がホームに入ってきて、大嘘こかれた。 あんな親切顔して、そんなうそつかなくても・・・



そんな行為を何度も繰り返したあげく、寝台車は諦め2等座席に乗ることに。



二等席は完全自由席で、料金はべらぼうに安く、それでもって大量のインド人が乗り込むから、 居心地の良さははっきり言って、期待できない。



結局、2:35に出発する列車へと乗り込むが、もうすでに席は埋まっており、通路も埋まっており、 荷物を置くスペースすらままならない状況。


仕方なく虫が集まってたトイレの近くに荷物を置き、通路に無理やりと腰を下ろして長い長い17時間の移動が始まった。




2等車は、至る所が荷物と人だらけで、席と席の間で人の足しかないと思いきや、その足の間に女の人が寝てたり、 その女の人しかいないと思いきや、まだ子供が二人くらい寝てたり。 もうカオス。


ただ出発して2時間も経つと、座席を確保出来ていたインド人が列車を降りるみたいで、 そこの座席を指差して「ここに座りな」と僕をクッションのあるシートへと導いてくれた。



その後は、サブバッグを抱えて、常に他のインド人からの視線を感じつつ、眠りについた。


他の列車なら、11時間で着くはずが、なんらかの理由で随分と遅れてる上に、遠回りなルートを取る列車だったため、 コルカタに着いたのは17時間後。


車窓は、ずっとインドの田園風景。17時間ずっとほとんど景色が変わらなかったような。


たまに現れる工場のようなところには、乗客みんなが注目してるし。


中国も基本的にはそうだったけど、山、川、渓谷など見所は多かったような。


味があったというか。


それに比べると、インドの電車の車窓は、なんだか味気ないな。



可愛らしい聖地バラナシ

2009年10月16日 23:11

うっとおしい客引きや乞食がいて、その辺ウシの糞だらけで、歩くのに注意しないと 大変残念な事に成りかねないバラナシだったけど、そんな色んな面倒くささに慣れてしまえば、 バラナシはずいぶんとかわいらしい町だったな。
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とりあえず、バラナシでやることがなくなったから、さっさと次へと歩みを進めたかったんだけど、 買った電車のチケットが、まだ先立ったのでそうも行かず、時間を潰す日々。




出会った日本人と一緒に食事をしてみたり、あとはガンガー沿いをぶらつくだけ。



結局、出発する最後の日に感じたのは、バラナシってのはずいぶんとかわいいところだなって事。




しつこい客引きなんかも、全部パターンは決まってるし、 10ルピーって言って来て、勝手にマッサージしてきて仕舞いには150ルピーとか言い出す親父達も、 まぁ、胸ポケットに無理やり20ルピーを入れて、まぁまぁとなだめれば満足するみたいだし。



それに、毎日毎日18:30頃から始まるプジャーの前や日の出の頃になると、

花の上にろうそくをのけった灯篭流しみたいなのを売ってる少女達がメインガートでうろちょろしだして、

こっちが川見ながらボーっとしてると、しつこく売ろうとしてくるわけだけど、

はじめ30ルピー(60円)とか言ってたのが、気付いたら勝手にどんどん10ルピー、5ルピーと下がって最後には、2ルピーとかになってくる。


それで、2ルピーならいいかな とか思うんだけど、こっちが買うそぶりを見せると 同業者の女の子達がわらわらわらわらと、寄ってきて5人くらいに囲まれる始末。


そんなに花いらねーよ。と思いつつ、女の子達の可愛らしさにもてあそばれ、 彼女達とあーでもない、こーでもないと話しながら、顔見知りの女の子からひとつだけ買うことに。


すると、もう一人の女の子が「私のこと騙したわね。」とか言い出すから、こっちには騙した事なんて身に覚えがないけど、 彼女の心を傷つけるのも居た堪れないので、「じゃあ、この花を君にあげるよ。グッドカルマだ。」と言って、2ルピーで買ったその 花を彼女に上げてみる。


女の子は、「本当にいいのね。お金はいらないのね。タダよね」とずいぶんと念入りに確認した後に その花のろうそくに火をつけて、ガンジス川へと流してくれた。
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その後は、笑顔でそそくさと立ち去ってくれて、また他の客を探し出す。


わずかに4円で、そんな面倒臭くも楽しいひと時を送れたわけで、居心地の良いところだなと少し感じたわけです。


そんなパターン化されてる彼ら彼女らの金に対する執着にさえ慣れてしまえば、バラナシなんてずいぶんと かわいいもんで、こっちのもん。


人が燃えて、ただ灰になっていく場所なんだけれど、火葬場とかあまりにこの町で日常と化してしまい過ぎてて、 なんだかその状況が全然聖なる儀式に感じなくなってきて、もうなんでもいいやってなってくるそんな町。

ボートから見た夜の火葬場
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インド人、だからみんな働かなくなるんじゃないかと思ったりもする。

何も買わないで、日本語喋れるお土産屋で何も買わずにチャイをご馳走になってみたり、まぁまぁの日本食を食べてみたりと そんな風に時間を潰した最終日だった。


夜七時 バラナシを出て、オートリキシャーでムガールサライ駅へ。


そこで、チェンナイに向かうはずなのに大変困ったことに・・・・。



お世話になりました。大変、親切で快適なお宿でございました。
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サールナートで説法を

2009年10月12日 11:09

インドは移動がいちいち面倒臭い。


町は大きくて、歩くには距離があるすぎるから、サイクルリキシャーやオートリキシャー、バスを使わないと移動がままならない。



サールナートは、バラナシから北に15Kmほどのところにあるブッダがはじめて説法をした所で、4大仏跡のひとつだそうだ。




バラナシからの行き方は、宿泊してるガンジス川沿いからは一度バラナシの駅に出て、そこからバスに乗るのが安そうだという事で、 たかだか北に15Kmの場所に向かったわけだけど、まずサイクルリキシャーに駅まで頼んだら原因不明に途中下車させられ、 現在位置を把握していなかったために、そこから人に聞き、またやりなおし。



途中、乗り合いオートリキシャーに乗り、それでも途中渋滞で駅の少し手前で降りる羽目になり、 結局、駅までは徒歩。




駅では、サールナート行きのバスがすぐ見つかり、乗車後30分してようやく出発。



バスの揺れにうたた寝をしてしまい、夢が佳境に差し掛かったところで、起こされ、サールナートには30分後くらいで到着。


サールナートの見所はずいぶんと小さく、ものの1時間もあれば観光が終わっちゃうようなところで、 物乞いからの鋭い眼差しにもくれず、ダメークストゥーパモニュメントサイトを見るべく、 久々に入場料 100Rsを払っちゃったりなんかして、その敷地内へ。



入場料を取るだけあって、なかは整備されており、そこには6世紀に造られたという巨大なストゥーパ(仏塔)がそびえていた。
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他にも遺跡があり、観光客もあまり居なかったので、何となくその古代の雰囲気に浸る事が出来た。



ストゥーパは、そもそもは仏舎利(遺骨)を埋葬したものが起源らしい。

ブッダの死後、その骨だかが信者によって分けられて、 各地に散らばったとかって何かで読んだ気がするんだけど、そもそもブッダの意志では、 自分の遺体を崇拝するような事はあってはならないと、死ぬ間際に言い残してるらしく、 ブッダの死直後から、弟子達は言いつけを破ってる不届き物らしい。 



って何で読んだっけかな。 結局、それが五重塔やら三重塔やらへと形を変え、日本にも伝わってきてるそうな。


そんなのは後付けだけど、サールナートでは、ブッダの説法のごとく白い装束を着た人たちが、 何やら説法を受けていた。

何を言っているのか分からず、想像もつかなかったけど、 話を聞いてる人々は真剣だった。
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ブッダは、ここに来て何を説法したんだろうか。

彼は、ブッダガヤで何を成道したんだろうか?

ずいぶんな修行、苦行を積んだそうで俗世にまみれて煩悩だらけの僕には知る由もない。

ただ、悟りを開くとそのままその喜びに浸っていられるそうで、どんな境地なんだろう?


ストゥーパのそばには、近くの遺跡から発掘されたんだとかって言う木彫りの仏像を売っている少年達が居て、 本当に遺跡から発掘されたとは、どうにも考えられないけどはじめからの言い値が10Rsと ずいぶんと可愛いもので、最終的には5Rsとかで観光客に売っていた。


バラナシで花を売っている女の子達もそうだけど、子供が売る物は割りと値段が良心的でいいな。




帰りは、しつこく言い寄ってくるオートリキシャーに宿付近まで80Rsで乗せてってもらう。 現地の人が、この乗り合いリキシャーを使った場合たかだか5Rsや10Rs、30Rsが相場なようで、 旅行者に対するこのぼったくりはいちいち腹が立つ。 それに、降りた後もあと10Rsとかチップとか言ってきて素直じゃないし。往生際が悪いよ、本当。

ガンジス川で長渕剛のガンジスを聞いてみた。

2009年10月10日 11:37

ガンジス川(ガンガー)は、ヒンドゥー教徒の人にとってみたら、それはもう聖なる川。


コルカタのカーリー寺院で、ペットボトルの水で手は洗わせてくれたけど、 足を洗おうとしたら、「ノー、ノー、これガンジスの水よ」って怒られたくらいに聖なる川らしい。




そんな聖なる川ガンガー。 バラナシに着いて、ホテルの屋上からの初対面。



ただの河じゃね?。。。。



東からやってきてインドをぶんどったアーリア人どもは、いつからこの河を聖なる川と呼ぶようになったんだろうか?

そしていつからこの川は、こんなにも汚らしい河になってしまったんだろうか?

何ゆえ彼らは、ここまでこの川を崇拝するんだろうか?

本当は、何でこんなに濁ってるんだ?この川は。とか思ってるんじゃなかろうか?
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そんな不謹慎な疑問も持ちつつ、バラナシで何をするでもないんだけれど、恐らくここに居れば多くの人間が愛して止まない このインドで、何かが見つかるがじゃないかという淡い期待を持ちつつ、少しだけ長居をしてるんだけど、今のところその良さが、 あまり分からない。




バラナシに惚れちゃう日本人は、川沿いの狭い路地の喧騒の雰囲気だとかが好きらしいんだけど、 牛の糞はその辺に落ちてるし、その辺から物売りの声が掛かってきてうるさいし、僕はどうも好きになれそうにない。



ヒントを貰おうと思って、長渕剛の「ガンジス」を聞いてみた。



歌詞は確かにガンジス川とその周辺の人間達の様子を見事に表している。 実にこの通りだと思った。





ところが、やっぱり最後の歌詞が身に染みた。





「そして明日東京へ帰る」







とはいえ、バラナシのガンガー沿いにいるインド人がほとんど失業状態で、昼間から何をするでもなく、 ボーっと川沿いで、沐浴してみたり、ただ何時間も座ってみたりと、本当に時間がゆっくり進んでる。




メインガートの付近では、観光客をカモにしようと、怪しいマッサージをしてきたり、 シルクショップへ連れて行こうとしたり、あとはボートのしつこい勧誘があったりと、 この手の人々はもう何十年も同じパターンで、同じ事をやってるみたい。
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バラナシでは、進歩の色が全然見えず、もう本当に100年前だって ここで生活してる人たちは、大して変わらなかったんじゃないかと思われる。
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そして、ただ灰になっていくだけなんだと・・・。
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考えようによっては、この連綿とした人間の営みに何らかの感情が沸くのかもしれないけど、 ただ怠惰なだけなんじゃないかとも思ったりする・・・。



だって彼らの生活と、その辺の牛や犬やヤギの生活がほとんど変わらないものだから。
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1時間って言って、ボート乗ってんだから、30分経っただけで、「もう1時間どう?」とか 聞いてくるんじゃねーよ。と、その前にきっちり60分漕ぎなさいよ。と
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ただ、彼らがそれなりに幸せそうだから、それはそれで良いのかな。
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嘘ついたり、不当に高い値段で物を売って、他人を不幸にさせしなければ。

そして聖なる川ガンジスに不浄な物を駄々流しにして、地球を汚しさえしなければ。

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ただの川なんだからさ。

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これから36時間以上の電車移動。南へ向かいます。

100度の熱を出して、点滴・・・(ブッダガヤ)

2009年10月08日 10:05

ブッダガヤはずっと35度近辺をうろちょろするくらいに容赦ない暑さが続いてた。

風通しの良くない蒸し暑いホテルの部屋で僕は、汗かきまくりで、熱出てるんだか、暑いだけなんだか、

よく分からなかったけれど、とにかくベッドの上で苦しんでいた。



一日の半分以上をベッドの上で過ごして、とにかく水分をとりまくり、そしてまた汗をかきまくった。


この2日間は、食欲もなく1日に1色食べきるのがやっとという状況だった。

日本から持ってきた解熱剤だかを飲むと少しは楽になるんだけど、体はだるくて

恐るべしインドの風邪に完全にこてんぱんにされてしまった。


それでも昼間は、調子が良くなって日本寺やブータン寺や菩提樹などを巡る。

幸いにもこの日は、声を掛けてくる輩が居なかったというか、

声を掛けてきても「具合悪いから、ほっとけ、ボケ」とインド人どもをののしって歩いてたんで、

とりあえずは、一人心穏やかに巡る事が出来た。



日本寺は、日本にあるお寺のように境内の道や、堂内が綺麗に整理されており、その静けさと

相まって本当に落ち着く場所だったんだろうけど、この暑さのせいであまりそんな余裕も見つからなかった。



菩提樹では、誰もいなくなった木の下で、一人、般若心経を3度ほど繰り返し読んでみたけれど、

悟りを開くにはずいぶんと色々な物事を経験したり、考えたりする修行が足りないようで、

仏陀のようにはいかなかったみたい。
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それでも菩提樹の下は、なんだかのんびりしていて、その厳かな雰囲気も相まって、長い時間居たくなる様な空気を作り出していた。

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世界遺産ブッダガヤの菩提樹の観光は、ほどほどに再び大量に水を買い込んで宿に戻ると、再び闘病生活。



あまりに苦しくて、いっとき枕元に観音菩薩が現れて僕に手を差し伸べたような感覚すら覚えたけど、

僕の脳みそが作り出した淡い幻覚のようで、全然はっきりしない。



そこの情報ノートに、他の日本人も体調崩して病院連れてってもらったとかって記述があったので、

僕もそのインド人の優しさに甘えて宿の人にバイクで病院連れてったもらった。



そこでは、体温を測って、血圧測って、長蛇の列を作るインド人達に横入りさせてもらって、医師の診断を受けた後、点滴をする事になった。


もう記憶を遡れないくらい久しぶりに病室で、点滴を受けながら、

体温を測るときに、「今、何度ある?」って聞いたら、その担当の人に「100度」って言われて

「えぇーーー」って状態。






摂氏じゃなくて、華氏100度だから、37.8度って事になるみたい。


汗だくになりながら、5時間ほどの点滴を受け、腰に注射を受けて、治療は終了。


薬も出してもらって、全部で3500Rsもかかった。保険が効くからいいんだけど、これ絶対、外国人価格だろ、としか思えない。


腰の注射が効いたのか、その後はだいぶ体調も回復し、食欲もわいて来て、一件落着。




電車のチケットを取ってしまっていたので、翌早朝、ブッダガヤを旅立ち、バラナシを目指した。





聖地だろうと何だろうと、迷惑な親切(ブッダガヤ)

2009年10月07日 11:12

コルカタから体にダルさを残しつつも、これ以上こんな都会には居たくない。



のんびりしたいと思って、夜行でブッダガヤを目指した。

初めて乗ったインドのエアコン車は、予想通りエアコンが効きすぎてパーカー着て、備え付けの毛布を被っても、寒いくらいだった。インド人にいい塩梅って言葉を教えてあげたい。




ガヤの駅からブッダガヤまでは、リキシャーで行かなくてはならず、

他のリキシャワラーが100だの80だの言って来る中、

「サーティ」って声が。即決して乗ったんだけど、他に客が乗って来ず、違うリキシャーへと移動させられる。

そこで、そのリキシャワラーに「30だよね?」と聞くと、「Yes、サーティ」って言うんだけど、どうも様子がおかしい。

彼は、サーティーを60だと思い込んでるらしく、「サーティー」と言いながら地面に60と書いていた・・・・




勘弁して下さい。








ブッダガヤは、ご存知ゴータマシッダールタが菩提樹の下で悟りを開いた場所。


町を歩いていると、声を掛けてくる若者が。

僕は体調が余り良くなく、はっきり言って彼が邪魔で仕方なかったんだけれど、

彼が勝手に薬局の位置とオススメのレストランの場所を教えてくれた。


そして、そのレストランで食事を取ると、彼も注文を取って、なにやら向かいに座って食べている。

しかも、「いらね」って言ってるのに、しきりにその焼きそばを食べろ食べろとこっちにしつこくすすめてくる。


そして、お会計。



彼は、金が無いとか言い出す。

財布の中を見たら、なぜか中国の元ばっかりで本当にお金がない。

僕は彼に、「金も無いのに、レストランに来るなんて信じられない奴だ。もうお前なんて信じない。」って言ってやった。

で、すぐ近くに学校があるから見に来てくれとの事でお人よしにも見に行った。


学校の中は、黒板と椅子なんだか机なんだか分からない木が並んでいる教室がいくつかあり、

そこの校長だと名乗るタオル一枚を体に巻いた男が登場。


学校に住んでるんだとか・・・。

その日は、祝日で生徒がいないらしく明後日から授業が始まるんだとか・・。




その後予想通りの展開で、色んな外国人がここに来て寄付をしている旨の台帳を見せてくれて、

あなたも生徒のために寄付をしてくれないか?という話になる。

今寄付をしてくれたら、授業が始まる前までにガヤの町に行ってノートやペンなどを買ってこれるんだ。

生徒達には親も無くて、かわいそうなんだよ。よろしく頼むよ。ってな感じで。


そして、僕が「寄付については、考えさせてくれ。その気になったら、明日でも明後日でも来るよ」

そう言って、その場を離れようとしたんだけれど、彼らは大変口惜しそうな感じでしつこく引きとめられた。

「時間をくれ、考える時間をくれよ。」って言って、結局その場から立ち去った。


いつ来るかも分からない旅行者の寄付に頼らないと運営していけないような学校はすでに成立しておらず、

明日までに寄付してくれないと、彼らにはノートが行き渡らないんだとか言ってたけど、

もはやその時点で、その学校は破綻しているんじゃないかと思う。

破綻してないって事は、別の方法で生きながらえてるんでしょう。


彼らは旅行者に寄付を募るでなく、もっと永続的に寄付をしてくれる人を探さない事には、学校なんてやってけない。

正直、彼らがノートやペンを買うかどうかだって怪しいような気がするけど。

別に寄付で学校や病院を運営するのは、素晴らしいとは思うし、主旨が理解出来れば、寄付だって考えてもいいけど、

今の自分にはそんな高尚な事をするほど余裕をないし、そもそもその一時の寄付なんて、

一時しのぎなだけで、何の解決にはならないと思う。

ただ、情に流されてお金を渡しちゃうっていう事はしたくない。




そうして、その学校に対する僕からの寄付を諦めたその彼は、次におじさんのところに連れてくと言って、

僕を菩提樹の向かえにあるお土産屋さんに連れてってくれた。


はじめのうちは日本語で優しい雰囲気で、話してたんだけれど、

「今はお金が無いからいいや。」と言ってお店を出ようとすると


「ちょっと待って、いくらなら買うの?いくら、いくら?」と今までと形相を変えて、

かなりしつこい様子で僕を引きとめようとしてた。


その間に、僕を引き連れまわした彼は居なくなっていて、一人、炎天下の中、宿へと戻った。

そしてその後から僕の苦しい風邪との戦いが始まる。



結局、その親切そうな彼に連れてかれた場所は、お金を使わせるのが目的のところばっかりで、
考えようによっちゃ親切かもしんないけど、なんともおせっかいなインド人でございました。
ブッダガヤにはこんな輩が多いみたい。




インド人は さしすせそ の発音が難しいらしくて、言わせようとするとちょっと面白い。






ボランティアなんてしないけど、マザーハウス

2009年10月05日 10:48

最後に行ったのは、マザーハウスかな。


サダルストリートに居た日本人の多くが、マザーハウスでボランティアをしていたんだけれど、僕には僕なりのポリシーがあって、ボランティアは一切していない。


コルカタを出発する日に、ちょうどマザーハウスで日本人シスターのお話があって、そこでボランティアをしていた友人が誘ってくれたので、 1時間ほど彼女のお話を拝聴することが出来た。


シスターは愛の重要性と、それが形になったコルカタのマザーハウスでのいくつかの例を話されていた。

最終的に、何度も力説していたのが、多少曲解かもしれないけれど、愛には犠牲が伴うっていうこと。


愛は、恋愛の愛だけじゃなくて、マザーの言うのは真実の愛で、家族愛や友人愛や第三者への愛、そして例え好きになれなくても、敵だとしても愛しなさいってところまで対象は広い。形も様々。

この間読んだ三浦綾子の「塩狩峠」を思い出す。

僕はキリスト教信者ではないけど、その通りだなと思うし、いつの頃からかそういうもんだとずっと思ってきた。
犠牲を払えるほど、愛したいって思える事自体むしろ幸せなことだと思う。

でも、インドにいるといやな目に合うこともあって、そんな人間には愛よりも憎しみが湧きやすい。

インド人に対して愛を持って接するなんて事は今のところは難しい。

彼らには感謝や謙虚という言葉があまり見当たらない、今のところ。

優しく接しても、付け込まれてお金を吸い取られたり。人の優しさに付け込んで、利用するような人間は大嫌い。

だから、なかなか心に余裕なんて生まれず、自分に精一杯になるから、その精神を発揮するのはなんて難しいんだろうかと感じる。

それをコルカタでやってのけたマザー・テレサは、本当に素晴らしい人だなと思った。

多分、彼女の心の柱に信じるものがあったから出来たんじゃないかな。

シスターの話を聞いた後で、一緒に行った日本人と食事にいったんだけど、その中の一人が、せっかくそんな話を聞いておきながらも「なんで愛が必要なんですか?」とか言い出した。

折角、シスターの話を一時間も話を聞いて、彼女はわざわざボランティアまでしておきながら、どうして分からないんだろ。

何か勿体無いな。でも彼女を説得するだけの適切な言葉がすぐに見つからなかった。

大学の後期が始まる直前なのか、長いインド旅行がもうすぐ終わって、これから日本に発つという大学生がたくさんいた。
彼らは、短期間のボランティアをコルカタで体験的にやって、日本に戻っていく。



最近、ホームシック気味の僕にとってこれから数十時間以内に日本に戻れる彼らが羨ましくて仕方がない。
中国では辛うじて涼面と呼ばれる、ちょっとぬるい麺が食べれたし、伊勢丹という心強い見方がいたんだけど、インドではそんなもの見当たらないし、冷たい食べ物食べると胃を壊しそうで怖い。

ベッドの上で、暑さにもだえながら目をつぶるとどこからともなくそばつゆの匂いが香ってきてみたり、おにぎりが無性に食べたくなったりと、日本を半年離れた禁断症状が出てるっぽい。



コルカタ便り2

2009年10月04日 11:31



折角だからと赴いたカーリー寺院と呼ばれる、ヒンドゥーの神様カーリーを祀っている寺院。

寺院のそばに行くと、日本人の僕を見つけた一人のインド人が、「入り口はそっちだよ」と教えてくれる。

そして入り口に入ると、僕を待ってたかのように僧侶っぽい格好をして、英語で、「僕はブラフマンだ」とか言って、胸のペンダントを見せてくれた後、「靴を脱いで」と支持され、赤い花輪みたいなのを持たされ、「これは20Rs。あとで払う。」って言われて、その後カーリー寺院の要所要所を頼んでもいないのに、教えてくれた。

それはそれで色々と面白かった。 心の中で、「このおじさんが最後に金銭を要求して来なかったら、良い人なのにな」とか考えつつも一通り、寺を回り、説明を受け、何やら木がある場所へ連れて行かれる。

ここは、願いをかなえるところなのか知らないけど、買った花輪をその木に掛けてお祈りさせられる。

「これは、父親の分。母親の分。兄弟の分。友人、そして自分ね 」と言って。


そして、その直後後ろから何か台帳みたいなものを持ってきて、名前を書かされる。


書きながら、何か妙だぞと思ってたけど、予想通り、最後に寄付金額を書く欄があった。


しかも、書いてるのは全部日本人を含めた外国人で、金額が1000Rsから2500Rsとかなり破格の金額である。

そんなもん、誰が払うかと思った僕は、最初「お金持ってないよ」と言ったら、「最低は100Rs」ね。との回答。

なんで寄付に最低があるんだ。宗教だろ?意味分からんと思いつつ、結局金額の欄には、 10.00Rsと、他の人とほぼ同様に書いてると見せかけて点をつけ、10ルピーと書き、10ルピーを渡して、 花代の20Rsも渡して、カーリー寺院を後にした。10Rsの意味を理解した彼はかなり不服そうだったけど、受け取って、その後すぐにお別れした。



寄付はしても全然構わないけど、彼らのような強制的な形での寄付は絶対にしたくない。

はっきり言って、詐欺か新興宗教みたいなもんだと思う。 あんな強制的な寄付を、寺院の中で堂々とやってる彼らが信じられない。ヒンディー経ってなんなんだ?



もうひとつダクシネーシュワル・カーリー寺院寺院ってところにも行った。

そっちも同じくヒンドゥーのカーリーという神様を祀っていて、町から少し離れてるから、地下鉄とバスを乗り継いでいかないといけないような場所なんだけれど、



たまたまその日、お祭りか何かで地下鉄の運行が14:38からと、大変残念で理解不明なことになってたので、 とりあえず北に向かって歩き、一度バスに乗り、タクシーに乗りようやく着いた。

すると、そこは日本のお祭りのような雰囲気で、参道を出店が軒を連ねており、中に入るために行列が出来ていて、なんとか中に入っても、その寺院の中心の建物を見学するために、またとんでもない行列だった。


なにも今日来なくても良かった・・・とちょっと後悔しながらも、見ないと勿体無いよなと思って、その列に並ぶこと1時間。


ようやくたどり着いたその中心には、あまりに小さなカーリーと思われる像が。

そしてそれが目に入って数秒後には、係員に外に出され、仕方なくちょっと離れてたところから眺めてた。

写真撮ったら、怒られた。
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みんなそこにお祈りしたり、花輪を投げたりと、この一瞬のために炎天下の中、並んでいる。 ずいぶんと愛されてる神様なんだなと思ったけど、それにしても凄い数の人々だった。

ちなみにそこは、ほんの数十年前にラーマクリシュナっていう宗教家が悟りを開くために、そこで長いこと瞑想やら何やらしていた事で有名らしい。Wiki参照。


帰り、そこからフェリーで帰ろうと思いきやそのフェリーのためにも大行列。
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並ぶ気も失せて、バスで帰ったんだけど、バスから降りて途中炎天下の
激しい交通量の中、歩いたせいか、インド流風邪をゲットしてしまったらしく、
宿に戻って、その晩は熱っぽく、明らかに風邪の諸症状が全開で出てしまった。
(間接の痛み、鼻水、熱、頭痛、だるさなどなど)



コルカタだより1

2009年10月03日 16:55

サダルストリートは思ったほど、広くもなければ長くも無く、そして旅行者の街という割、何があるわけでもなく、町の中心から近くて、ホテルがたくさんあるという事を除けば、特に他のコルカタの通りと代わり映えのしないなんてことのない通りだった。

バックパッカーが集う場所としては、歴史はあるんだろうけど。

宿泊した宿は、Hotel Maria。シングル一泊150Rs(300円)と値段相応に汚く、蚊取り線香の匂いが染み付き、天井裏からはねずみがこそこそと移動する音がたまに聞こえるような部屋だった。

コルカタには、結局5泊し、そのほとんどを町歩きに費やした。

結局は、どこを歩いても、インド、インド、インド。

サダルストリートを出ると、タクシーやオートリキシャーのクラクションが鳴り止まず、見覚えのあるような顔のインド人達が行き交い、小さい通り沿いには、小さな商店から肉屋、八百屋などがどこにでも軒を連ねてる。

たまに存在感のある教会を見つけると、そこに目がいってしまう。

そして、時間外に勝手に入って怒られた。 ただ、ネパールなんかと根本的に違ったのは大きな企業のビルがあったり、(タタグループが断然多かった)日本の自動車会社のショールームがあったりして、かなり近代的な感じを受けた。

特に広い通り沿いを歩くビジネスマンやタクシーやバスの流れ方に都会を感じた。

なのに、川の近くの市場みたいなところでは、所狭しと歩くスペースもあるか無いか分からないくらいに、野菜や花、果物、そしてもうすぐ来るお祭りのための飾り売りが店を開き、花びらはそこら中に散らかっていて、真っ赤だし、なぜかそこらへんがびしょびしょになっていて、とにかくもう魑魅魍魎の世界だった。


中心部は、都会の匂いを漂わせてるけど、郊外に出るとそれはもうどこにでもあるインドだった。

たまたま入ったレストランで相席になったインド人に声を掛けられ、コルカタのオススメを聞いたところ、「ビクトリア宮殿は美しいよ、是非行きな。他にはカーリーテンプルとか。あともし、タゴールに興味があればタゴールの家なんかね、僕は行ったことがないけど。
あと、海が見たいならコルカタから150Kmほど下ったところにDIGHAって町があるから、良かったら行ってみなよ。凄く綺麗な海が見れるよ。もし来たら、そこから割りと近くに僕の家があるから連絡して」と言って、連絡先を教えてくれたんだけど、結局、バスを探すのが面倒でDIGHAには行かずじまい。



ビクトリア記念堂は確かに存在感があって、みものだった。
久々にこんな立派な洋風の建造物を見た気がする。
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多分マカオぶりなんだろうな。ダージリンで見たような見ないような・・・早く、先進国行きたいな。って思いが募る。


そういえば、ついでに取ったのがバングラデッシュビザ。

欧米人が取ると、数十ドルかかるらしいけど、日本人なら無料。これは取らなくちゃという事で、2日掛けて取得した。
ところが、有効期限が取得日から30日のためどうにもスケジュールが組みにくい。
インドビザは3ヶ月シングルだし。

 勝手にとってくれって頼まれた集合写真。全員知らない・・・。
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