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イスラエル脱出して、最後の聖戦へ

2010年03月12日 06:16

イスラエルには、8日間滞在。

問題は山積みで、これからどうなるか目を離せないことになるのは間違いないこの国に

一週間いて、それでもまだまだ物足りないくらいこの国には見所がたくさんあった。



ユダヤ人とパレスチナ人が共存してる旧市街をただ歩くだけでも十分面白かったし、

知識をもっと増やして、この各宗教にまつわる聖地を訪れれば、さらに興味深くこの国を回れるんだろうし、

テルアビブとエルサレムとのギャップも激しくて、ユダヤ人の作るテルアビブという都市には惹かれてしまった。

あまり代わり映えのしない中東の町々の中で、テルアビブの異色さは抜きん出てる。



正直、パレスチナ人の中には日本人を馬鹿にしたような態度を取ってくる人も多いし、それに比べるとユダヤ人のほうが随分と倫理的に大人な感じがした。

だから、人柄から判断するとあまりパレスチナ人って好きになれないかもしれない。すぐ怒るし。


物の値段を2,3回聞きなおしただけで、めっちゃ怒ったりする。

ユダヤ人はユダヤ人で、「この国は、最高の国だ。ただ隣国に恵まれてないだけだ」とイスラエルの成り立ちから考えるとおかしな事言ってたりして、

正直、ユダヤ人もパレスチナ人も好きにはなれなかった。


イブラヒムに関しては、この旅1,2位を争う良い人だったわけだけど。

とはいえ、このイスラエルって国は色んな魅力の詰まった面白い国だなと実感したわけです。


ってなわけで、イスラエルを再び同じルートで出国。

出国審査に関しては、随分と雑なんだけど、この国ではビザ代取らない代わりに、

多額の出国税が取られる。161.5シュケル(約4,000円)だったかな。

再びキングフセイン橋
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タクシーの乗り継ぎ、乗り継ぎでアンマンへと戻る。


アンマンへと戻り、久々に中東色いっぱいの白々しい街中でカレーを食べ、


そしてイランからイスタンブールまで一緒で一人薬の副作用に苦しみまくる三沢君と再びイスラエルで合流を果たし、


セルビスでぺトラ遺跡のあるワディムーサへと向かった。

アンマンからワディムーサまでの道のりでひとやすみ。ずっと砂漠。
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平和を作る人と桜と猫

2010年03月11日 20:51

イスラエルに居た8泊9日のうち7泊は、オリーブ山のてっぺんにあるイブラヒムピースハウスに泊まった。

ここは、一応宿ではなくドネーションセンターという事で寄付で成り立っている。


一泊2食or1食(日による)付き、水シャワー、街の中心からは離れているものの


イスラエルの物価の高さから考えると、食事付きってのは大きくて居ついてしまった。



そして、何より惹かれるのがここのオーナー パレスチナ人のイブラヒム。


バスで、オリーブ山のてっぺんに行き、イブラヒムの家はどこだ?と聞くと

誰もが知ってて教えてくれる。そのくせ、場所は随分分かりにくいところに。

看板も何も無い。
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宿にたどり着き、イブラヒムと会うとなんとも人のいい親父というかおじいちゃんという感じ。


そして、会って早々に

「いいから食べなさい。食べなさい。紅茶は飲むか?スープはこれ。パンはこれ」

と僕らに食事を与えてくれる。

結局、ベッドを案内される前に一時間も食べ続け、ついでにイブラヒムについての話を聞かされる。

「世界中、アメリカやインドや、ヨーロッパ、オーストラリアなんかに行った。でもパスポートは無くて、すべて招待されて行っている。アメリカには44州に行ったんだ。イスラエルに住んでいてパスポートがないからサウジアラビアやその他アラブ諸国には行けない。私にはたくさんの家族がいて、それは私の財産だ。」
みたいな事を話していた。

事実、この家の壁には彼が行った場所で、インタビューや面会をした記事の新聞が張ってあったり、

州知事からもらった鍵?なんかが置いてあったりする。


彼は毎晩、毎晩、僕らのためにたくさんの食事を作ってくれる。

味が薄くて イブラヒムソースなんて呼んでたりしたんだけど、塩コショウをかけるとかなりいける。

基本的には、パンとスープとおかず一品(にんじん、じゃがいも系がほとんど、一回だけ肉)。


そして、僕らを見るや否や「EAT!!EAT!!

と食事をすすめてくれる。食事中も紅茶を出してくれたりと、大変気前がいい。

朝、パンがない時は僕にお金を渡して、「そこでパンを買ってきて」と頼まれたりもする。

いっつも小額の寄付で申し訳ないので、パンは自腹で買った。つっても250円くらいで

大量のパンが買えるわけだけど。



イブラヒムピースハウスには、欧米人、日本人、韓国人も含めて色んな人が泊まりに来る。


新しく来る人は、大体寄付をしていくわけだけどお金がなくてずーっとそこに居る人も2,3人いるみたい。

彼らはニュージーランド人だったり、アメリカ人だったりで、もうビザも切れて、帰るお金も無くて、

どうしようもなくてここに居ついているらしい。



イブラヒムは言ってた。

「この家は、祖父の代からやっていて、それ以来ずーっと営み続けてきた。毎晩、食事だけは絶対に出す。もし、食事を出せなくなる事があれば、家を閉める。だから出来る限りは、やっていきたい。それでも、こうして長期で無銭で滞在されると運営が厳しくなると事もある。去年は実に厳しかった。だから、私自身働いているし、このような大変な事を息子には継がせたくない」と。

彼は、この家の運営と共に、さまざまな人に出会う事で平和活動も行なっている。

こちら彼のホームページ↓
http://jerusalempeacemakers2008.jerusalempeacemakers.org/ibrahim/index.html


そんな彼の心意気に感動した。


安宿目的で行っただけだったけど、この家のためなら一泊100ドルでも払っていいと思った。

100ドル払ってもいいと思って、20ドルしか払わなかったわけだけど、いつかまたエルサレムに来る事が

あれば、イブラヒムを訪問して、出来る限りの事をしたいなと思う。



イブラヒムピースハウスの家を出発する日、彼に

「I like you」と言うと、

「I like you too.See you in Japan!」

と言ってくれた。涙が出そうになった。とにかく本当にいい親父。

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これを見て、もしエルサレムに行く方があれば、ぜひ彼の家を訪問して欲しいです。
そして、イブラヒムに会って下さい。

行き方
旧市街のダマスカス門そばにあるバス停から人に聞いてオリーブ山行きのバスに乗る。
確か75番のバス。頻発。それかタクシー。
オリーブ山のてっぺんに着いたら、とにかく「イブラヒムピースハウス?」って聞きまくれば、皆知ってる。  それだけ。

でもって、エルサレムの旧市街を囲む城壁は上を歩く事が出来て、のんびり歩いてたら

桜を見つけた。

桜って、見ると本当に嬉しくなるし、
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ほっとする。
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多分、日本人だからなんだろうけど。
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にらみあう猫。ユダヤ人とパレスチナ人みたい。
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(イスラエル)テルアビブが気持ちよすぎる

2010年03月10日 08:47

イエスが育った街 ナザレに行くつもりがユダヤ教がお休みの日のせいで、

行く事できず。


結局その日は、ともくん、かなちゃんとテルアビブへ。


テルアビブは、イスラエルの首都みたいなとこ。ってかほぼ首都。
いろんな国の大使館関連、全部ここにある。首相官邸はエルサレムだけど。

テルアビブにはampmもある。
なにげにしょうゆとか、日本の食材も少し売ってる。そしてテルアビブ中どこにでもある。
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ロスチャイルド通り。ロスチャイルドといえば、ユダヤ系超金持ちの家系。
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そしてたどり着いたビーチ。なんか絵になってる。
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やっぱり絵になってる。
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そして、地中海を眺め、ビールを飲みながらぐだーー
結局、テルアビブ何も見ずにそのまま4時間ぐらい ぐだーー
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イスラエルいいとこ。
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このおっさん、毎日この格好で走ってるっぽい。
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一日目は、本当に海でぐだーってして、それだけで帰った。
それでも最高に気持ちよかった。今、自分が一番求めてる事がそれだったらしい。
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テルアビブは、何気に世界遺産。
テルアビブの現代建築群みたいなタイトル。
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テルアビブが名残惜しくて、一緒にイスラエル来たみんながイスラエルを出国しちゃって、
一人になって、そしてまた来た。地図も持たずに。

街並みは、ヨーロッパとか北米みたいな雰囲気で車のマナーもいいし、道は綺麗だし、静かだし、
済み安そうなところ。
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現代建築的なやつ。
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現代建築的なやつ2
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現代建築的なやつ3
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現代的なやつ。
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ってなわけで、写真のみでお送りしたわけだけど、テルアビブは随分と住みやすく

気持ちのよさそうな街だった。


何しろこんな都会に地中海が隣接してるってのは、最高の立地でしょ。

カナダのバンクーバー並にすみやすそう。



ただ、このテルアビブと同様に地中海に隣接してるのは、パレスチナ自治区にあたるガザ地区。

そしていま、パレスチナのイスラム原理主義的な人たちが浮遊爆弾なるものを構想中で、

ガザ地区から爆弾をふわふわと流すとそれが北へと流れて、この平和なビーチで爆破するという

テロを考えてるんだとか。

んー、住めませんね。

ともかく、こんなに気持ちの良い首都機能を持った街をお持ちなんですから、

エルサレムに関しては壁以外、もう少しパレスチナに譲歩しては?とか思ったりもする。



でも、エルサレムについては多分あんな感じで外から何も足さずに引かずに、

勝手にやってったら変ないざこざも起きないはずなのに、エルサレムが調子乗って

挑発的な法律作ったり、首相が神殿の丘入っちゃったりと、いらんことやるから、

あーなる。そして自爆テロも起きる。

もー、ぐずぐず。

壁好きなユダヤ人

2010年03月09日 21:25

その日は、ずいぶんと壁ばかり見る一日。


ベツレヘムに行った日何だけど、ベツレヘムというのはパレスチナ自治区にあって

パレスチナ人の居住区。

そして今、イスラエルはパレスチナ人があまりにもSuicide Bombを行なうものだから、

壁を作っちゃえって名目の元建設している壁がある。


分離壁。





その壁の距離は2008年8月時点で409キロにものぼり、合計で723キロにもなるという。



パレスチナ自治区に侵食して立てられるこの壁は、パレスチナから水資源を奪う意味もあったりして、

パレスチナ自治区を干からびさせる意味もあるらしい。


国連決議でも非難され、国際司法裁判所でも撤去勧告され、それでも壁は作られ続ける。

バンクシーという芸術家が、イスラエル軍に銃を向けられながらも書き続けた絵が、
ベツレヘム近くのパレスチナ側の壁には残されていた。
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五本指に、仏教、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教、ヒンドゥー教が描かれる。
位置のせいか仏教だけが残されてる。仏教って平和な宗教だよね。
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Fuck Israel
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壁。
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ツーリスト愛されてます。
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これもバンクシーの絵。左側のレンガが書かれてる部分には、本当は綺麗なビーチの絵があったらしい。
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パレスチナ自治区からイスラエルのエルサレム側へと入るためのゲート入り口。
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この壁を見終わった後、僕らは旧市街の嘆きの壁へと向かった。
多くのユダヤ人が壁に向かって祈りをささげる。
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そして、感じた事はとにかくこの人たちは壁が大好きなんだな。と。
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でも、もうひとつ思った事は、同じような状況に日本国が置かれたとして海ではなく陸に他国と
接していたとして、日本人の性格からして
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分離壁みたいな壁作りかねないよなって思った。だって、爆弾持って自爆する気でやってくるんだもん。
ってそれ日本人やん。
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僕が生きている間に、この壁が取り払われる事はないんじゃないかって思う。

市民活動でどんなに頑張ろうと、第三国がこの壁に対してどんなに非難しようと、

この壁は存在し続けると思う。

平和って作るもんじゃなくて、気づいたら勝手にあるもんだとおもう。


それにしても、バンクシーのやってることかっこいいな。

自分勝手にやりたいことやって、それが世界中にファン作って、メッセージもちゃんと伝わって・・・





(イスラエル)グッバイ、ジーザスクライスト。その2

2010年03月08日 11:23


エルサレム旧市街には、イエスキリストがユダに裏切られ、捕まって

死刑判決を受けて、十字架を背負わされて、歩いた道。

そして、磔にされたゴルゴダの丘まで一式揃ってる。

イベント順にステーションNO.1からイエスが辿った道のりを追うことが出来る。

その道をVia Dorolosaと呼ばれている。


毎週金曜日には、その道をみんなで歩くイベントなんかも催されていて

キリスト教徒にとって、この地の意味の大きさはマリアナ海峡よりも深くて、

エベレストより高い。


エルサレムに着いた翌日とりあえず歩いたわけだ。




聖書なんてまじめに読んだことなかったけど、こうして歩いてみると色々と知る事が出来た。


キリストが十字架を担いでゴルゴダの丘にたどり着くまでに3度転んだ事や、

母マリアと見詰め合った事、そして顔についた泥を布でぬぐわれたこと。


それを知ってどうなる?って話にはなるけど、



とにもかくにもその場所の写真撮ってきた。

イエス・キリスト最初に転ぶ
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イエス・キリスト、マリアを見つめる
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ま、そんな過程が10個くらい続いて、ゴルゴダの丘(聖墳墓教会)到着

イエス・キリスト、十字架に立てられる
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イエス・キリスト、息を引き取る
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死んだキリストが香油で清められた亜麻布で包まれた石
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そして、イエス・キリストの墓。復活の場所
マグダラのマリアが、死後キリストの墓に行ったらキリストはすでに居なかったそうな。
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キリストは、復活していくつかの奇跡を起こして昇天される。

エルサレムにはしっかりと昇天した場所も残ってる。

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ついでに足跡も残ってる。
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Via Dorolosaでは雨の中、子供に道を聞くと、うそをつかれるわ、

No5を探してるのに、いきなりすっとばしてゴールの聖墳墓教会まで連れてかれるわで

キリストが本来歩いた3倍くらいの距離を歩かされたり、この聖地に住むガキはたちが悪い。

2000年前からこうなんでしょうか。


こうして行って、思う事は全ては想像力と知識の問題だなと。

何も知らずにここを歩く事の無意味さは計り知れない。

知った上で、それを感じながら歩かないと意味が無い。


多くの遺跡や美術館にもあてはまるんだけどね。







(イスラエル)グッバイ、ジーザスクライスト。その1

2010年03月07日 08:31

キリスト教の聖地エルサレム、そしてこのパレスチナ。

キリスト教ではないけど、高校の時、月曜の一限は宗教の時間でいっつも爆睡

そして、宗教のテストでは祈りをひたすら覚えた。


天にまします我らの父よ、願わくはみなのとおとまれんことよ、みくにの天に来たらんことよ

われらが天におこなわるるごとく、地にも行なわれん事よ、われらが・・・・・・



あんなに覚えたのに、これ以上思い出せない。忘れっぽさが嫌になる。




そして雨の中訪れたのは、ベツレヘム。 パレスチナ自治区にあってキリストの生まれた地。

相変わらずパレスチナ人とユダヤ人との銃撃戦なんかも時折行なわれちゃう場所。

生誕教会。
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たまたま教会の内部に入ると、ミサというか合唱が行なわれていて、それはもう厳かな雰囲気。
本当に今にも救世主が生まれたんじゃないかというくらいに。
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ここには、観光客も牧師も誰も来なくて、一緒に来た人たちも少しの間だけ来なくて、
静寂な空間に僕一人だったんだけど、入った瞬間に心が洗われたような気がした。少しだけ涙が出た。
この広い生誕教会で一番好きな場所。そしてまた行きたい場所。ずっと居たい場所




イエスキリストは、生まれた後マリアに抱かれてベツレヘムを追われてエジプトに行こうとしたそうな。その時、マリアから落ちた母乳が岩を白くしたそうな。その教会 Milk Grotto

このシスター。僕が見ている間微動だにせずずっと前を見つめていた。
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ベイビージーザスクライスト。
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そして、イエスキリストはナザレで育ったわけで、僕もそこに行こうとしたんだけど、ちょうど行きたかった土曜日はユダヤ教にとってお休みの日。その休みっぷりたるやムスリムのそれを超越して、長距離バスなんかも全部休み。タクシーをチャーターしないといけなかったりして、断念。

まぁ、そんなこんなでイエスキリストは教えを説いて、弟子をたくさん作って、そして処刑される前夜に
レオナルド・ダ・ヴィンチのそれで随分と有名な最後の晩餐なんかを迎えるわけです。

とにかくその最後の晩餐が行なわれたのが↓の場所。

最初行ったら、誰もいなくてただの何も無い場所として、スルーした。
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も一度行ったら、すっごく綺麗な音色が聞こえてきて、綺麗なお嬢さん方が綺麗な歌声で歌ってた。
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そして最後の晩餐の翌日、キリストは十字架を背負わされてゴルゴダの丘へと向かう。



つづく。






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