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(ヨルダン)写真満載でお送りする最後の聖戦ペトラ遺跡

2010年03月13日 11:59

ヨルダンでちらっと出会った日本人に、ペトラ遺跡ただで入れるかもしれませんよって言われたんですよ。


入り口から左側に馬小屋あって、そこからしれっと行けば行けるかもしれないって。


でも、あっさり見つかって、やむなく33ディナール(ほぼ33ユーロ)という大金払って入ったわけです。

入場して20,30分も歩くとあっという間にこれ。。
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しょっぱなからこれ。インディージョーンズ最後の聖戦で、聖杯が隠されてた場所がこれ。
インディのお父さんヘンリー・ジョーンズが死に掛けて聖杯の水飲んで生き返った場所もここ。
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いきなりたどり着くと、この後どうしていいか途方にくれる。


で、勝手にガイドなしじゃ上っちゃあきませんってとこ登る。


もう遺跡とかどーでもいい

でたどり着いたのが、こんなとこ。かなりのアドベンチャーだった。がけのぼり。
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ペトラがいこつ岩
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きれーな景色。下界では大勢の観光客が押し寄せる中一人この景色を堪能。
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で、迷い迷ってたどり着いた即席お土産屋の親父。ポストカード買っちゃった。
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ペトラ猫。
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ペトラみやげ。
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ペトラ壁。
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ペトラ猫2
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で、ペトラにいた浮浪者の子供
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ペトラらくだ。ぺとらくだ。
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がけを降りて、適当に見てやっぱり遺跡はいいやってなって、
そこに居たらくだノリの親父に
「おーい、そっちいったら迷子になるからやめとけやー」って言われたけど、
「なんとかなるし、なんとかなるべ」って言って行ってみたら、案の定迷子になって、
林の中でさまよった。
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で、そこで見つけた小さな滝。もはや人の気配なし。ペトラ遺跡で完全迷子。
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癪だけど、元の道を戻り、再び歩く。ペトラロバ。ペトロバ。
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ぺとらみやげ。
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1時間再び歩き続けてたどり着いたView Point。
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View Pointにいた犬。ペトラいぬ。
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ペトラにきたことあるジジなんて、世界で二匹くらいじゃない?ペトラジジ。
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ペトラ遺跡、相変わらず好天に恵まれて空が滅茶苦茶青かった。
青って、どこまで青くなれるんだろってくらいに青かった。
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ペトラにひっそり咲く花 ぺとらばな。
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ぺとらねこ3
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ペトラってそういえば遺跡だった。 ペトラ遺跡。
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ペトラ遺跡のあるワディムーサでとまった Valentine Inn。
ここの食事4JD(約500円)とかでかなり高いんだけど、ビュッフェ形式で、
中東の退屈なバリエーションの食事に飽きた僕にとってはかなり嬉しいご馳走。
って写真ないし。

翌朝、エジプトに向かって旅立った


ヨルダン滞在、わずかに5日。しかもほとんどイスラエルへの入国日、出国日、エジプトへの入国日とかだし。わずかに2泊。


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アンマンの夕陽

2010年02月28日 23:51

更新遅れました。


現実との距離  2月28日- 2月1日 =27日

早く追いつかんと、記事が雑になってくる。ただでさえ雑なのに。


ダマスカス観光を一日で終え、翌朝早速ヨルダンのアンマンへ出発。


イスタンブールとアレッポで出会って、再びダマスカスで再会したたつしさんとえいじさんと

ダマスカスのバスターミナルからタクシーを捕まえて、アンマンへ。




国境超えがタクシーで簡単に出来てしまうというのが、日本人感覚からすると異様。

ヨルダンビザは無料。中東に関しては、事前にビザを取るなんて事をたとえ知らなくても、

日本のパスポートと小額のドルさえ持ってれば、無敵





タクシーのおっちゃんは、シリア側の国境のTAXFREEの店で一人二箱しか買えないタバコを

僕達にまで買わせた。

ヨルダンで転売を図るつもりらしい。


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車は4時間ほどで、アンマンに到着。


国境超え慣れしてきた今日この頃。

使われてる言語も宗教も同じ国。国境を越えたという気分の高まりがどうにも低いんだけど、

シリア人に比べるとヨルダン人は英語が達者だけれど、ビジネス根性が強くて、親切心が少し少ないので、

旅行者にとってヨルダン人の魅力は、シリア人に比べると随分と薄い。



そんなアンマン。



宿泊した宿は、Mansur Hotel 別名 コーダホテル。

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2004年幸田さんはこのホテルの近くにあるクリフホテルに滞在し、そこからイラクに旅立ち、

アルカイダに拘束され、そして殺された。

コーダホテルのコーダは香田さん(イラク人質事件の被害者)から取ったそうです。


アンマンからバグダッドへは、ただの一本道。


バグダッドへ辿り着くまでの道のりでテロに合ったり、市内で拘束される確率は、

2004年当時尋常じゃなかったようです。


悪いのはイラク人じゃなくて、テロ組織。

なんだかバグダッドがすごく治安が悪いイメージを日本に居ると植えつけられるわけだけど、

そういうことじゃなくて、アルカイダが潜んでるから危険なだけ。

イラク人は良識のあるいい人たちだし、イラク国内、バグダッドも見所十分なところなんだって。



機会さえあれば、ぜひ行きたい。


今のところイラクやイラク人のために命を賭けるつもりはないから、行かないけどね。



そんなことでマンスールホテルに辿り着くと、クラックドシュバリエで会った日本人の面々と再会。


この中東南下は、再会尽くし。


日本人、世界中どこにでもいるね。

世界のどこまでも日本人は飛んでってるね。



そして、みんなで宿からすぐそばで夕陽が見えるというので、アンマン城へ。

時間外でクローズしてたんだけど、入り口からなし崩し的にこそこそ入って、

日没まで居座る。




なんかそこから見えた景色がアンマンのすべてのような気がした。
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アンマンのすべてを見たよう気がしたので、翌日僕はみんなとイスラエルに行く事にした。













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