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グルジアのニート。

2010年02月03日 11:31

トビリシで泊まってたネリダシの家。

家を切り盛りするネリさんもダリさんもけっこうなお歳。



そして、彼らには息子達が。20代なんだか、30代なんだかわからんけど、


とにかく彼らずっと家にいる。


昼前に起きて、3時くらいまで起きてる。

家でずっとパソコンやってる。

仕事ないらしい。



ニートだ。





グルジアにもニートいた。 真性のニート。




職探ししてるんかな。



実質失業率20%。



日本よりよっぽど悲惨。


でもこの家、子供二人ともニートとかって、かなり悲惨。

「お兄ちゃんを見習いなさい」とかって話も出来ないやん。







それにしても、ニートってのは、端から見るとずいぶんとみっともない。





しゃきっと生きなきゃ。



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(グルジア)戦争と酒と風呂と

2010年02月02日 18:49

エレバンから早朝のミニバスに乗り、次に向かうはグルジア。


グルジアって国の存在を知ったのは、昨年だった。


去年、会社を辞めて夏にカナディアンロッキーにチャリンコ乗って超えてきた。

そして、その後バンクーバーでだらだらと過ごしていたときに

テレビからそのニュースが飛び込んだ。


ロシアがグルジアの南オセチアに侵攻したというニュースだった。

グルジアは英語でGeogiaと表記するので、ジョージアと発音し、その時は、さっぱりどこにあるんだか分からなかったし、もちろん英語だったので、全然聞き取れなかったわけだけど、とにかく戦車や兵士の映像が流されて、その場所で戦争が起きているって事実だけは、分かった。


そして、まさかそれから一年半後に、そのグルジアに来ることになるなんて想像もつかなかった。



戦場になった南オセチアに行くのは困難だし、鼻から行く気もなかったけど、

とりあえず去年、戦争をやってた国に来たわけだ。

ビザなしで入れる上に、360日も入れるというこの上ない入国のしやすさ。

それでも、やはり緊張した。




そんなグルジアの首都 トビリシ。



戦争云々とは関係なく、治安が悪いらしい。

数年前までは、普通に強盗に追いかけられた日本人の話も聞いた。


駅前にあるネリダリの家へ、タクシーを使って向かう。



ネリダリの家は、エレバンのリダの家同様に民泊宿で、ネリさんとダリさんのお家。

15ラリ(1000円くらい)もする。最近、どんどんと値上げしてる模様。

日本人達は、寒くて設備がないのにこの価格はないべさとシュプレヒコール

家に着くと、早速パンと紅茶を振舞ってくれる。


そして、寒いと評判のシャンデリラのあるお部屋へと荷物を降ろす。





トビリシの町には、欧米の有名なブランドショップ店やカジノ、レストランがいたるところにあり、

旧市街と言われる場所の雰囲気は、ヨーロッパの香りがする洗練された町並みだった。


もちろん一歩外れると、旧ソ連的な寒々しい建物と小汚い道路なんかがあり、

恐らく都市を飾ってるのは一部だけなんだろうけど、それでもずいぶんと都会だったし、

町行く人々も若者はずいぶんとおしゃれ。

そんな街トビリシには、結局2泊。




初日について早々、成都で出会い、エスファハーンで再会し、再び再会したダイスケさん(元コック)と

その他一緒にトビリシまで来た面々とお風呂に行くことに。



町の中心からそれほど遠くないところにお風呂(ハマム)はあって、

地下鉄に乗って向かう。



ハマムは公営銭湯みたいな感じで、概観はモスクなんだけれど、

なかは全くの庶民的な銭湯。


ごっついグルジア人達とともに、中へとはいる。


彼らは、タオルとか持ってはいる習慣を持たないらしく、

全員素っ裸で、唯一サンダルだけ履くという異様な格好で、シャワーを浴びたり、サウナに入ったりしてる。







そして、恐ろしく久しぶりにシャワーじゃなくて、浴槽に入った。


ところが、そこは立って入るタイプの浴槽で、ちょっと違和感。


さらには、ちょっとぬるい。





んー、まぁ物足りない感もあったけど、久々だったんで良しとします。



風呂の後に飲んだビールが最高!!





トビリシを出る最後の晩は、大富豪で負けたらウォッカ一気飲み対決してたんだけど、

その晩、出発予定のダイスケさん、連敗して、最後ヘロヘロになって旅立っていきました。


また、どこかで会えるといいな。














(アルメニア)ロンギヌスの槍とノアの箱舟とカジノ

2010年02月01日 09:24

エレバンでの寒さと水虫との戦いの日々の中、

ロンギヌスの槍が眠っているという教会があると聞き、行くことに。


ロンギヌスの槍といえば、イエスの死を確認するために刺した槍だそうで、

こんなものが現実に存在してること自体、疑わしい。

というか、もはやイメージは新約聖書よりもエヴァンゲリオンの方が強くて、

あの二つに割れたフォークみたいな形が完全に脳みそにこびりついてる。


ついでにノアの箱舟の欠片もあるらしい。


ノアの箱舟ってのは、旧約聖書に出てきて、5000年くらい前に大洪水から人間と動物乗せて、非難した船で、

今のトルコの東にあるアララト山にたどり着いたんだとか。





とにもかくにも行ってみた。


そこはなにげに世界遺産でもあるエチミジアン大聖堂。


エレバンからミニバスで40分ほど。

画像 102



その日は、日曜日でエチミジアン大聖堂では、ミサが執り行われていた。

今までに見たことないほどに荘厳で仰々し満点のミサ。

聖なる雰囲気が、教会内を包んでいた。光差してます。
Picture 1563


そんなミサは、なかなか終わらず、ロンギヌスの槍もノアの箱舟も教会の内部にあるために、

ミサが終わらないと入れないとの事。


美人のお姉さまに話掛けられて、鼻の下伸ばしたり、昼食食べたりして待つこと2時間。

3時過ぎにようやくミサも終わり、エチミジアン大聖堂内の博物館が開場。



チケットを買い、中へ。





意外と狭い。





そして、キリスト教に関するものが色々と展示してあるものの、解説が一切なく、

何が何なんだかさっぱりわからない。






博物館内部で、っぽいのを発見。


でも、これがロンギヌスの槍だとは、どうしても信じたくない。

でも、博物館のお姉さん曰くこれが真実らしい。
画像 133

まず、展示されてるのは槍のさきっぽだけ。


エヴァンゲリオン的フォークみたいな形からはかけ離れて、ひし形してる。


この形で、人刺しちゃうんですか。これで体刺されたら、かなりえぐい状態になりかねないのですが。





そして、次にノアの箱舟を探す。




狭い館内を探しまわるも、全然見つからない。



そして、再び態度の悪いお姉さんに聞いてみる。



すると、入り口はいってすぐのとこにあったのが、それなんだと。



それが、これ。ノアの箱舟のかけらです。
画像 135

聖なる物なので、十字架なんか張り付けられてる。

もはや想像力の問題でしかないらしい。





その帰り、一緒にエチミジアン見に行った日本人3人で、帰り道にあるカジノへ。





ディーラーさんとの対決を望んだわけだけれども、ジーンズ姿の僕は入場を拒否され、

ゲームで遊んでなさいとのこと。




仕方ないので、ルーレットで散々遊び、ビールを散々飲み、本当に小額の勝利を収める。


一緒にいた、ミサワ君は負けが込んで、ウォッカ飲みすぎて、気づいたら行方不明。



カジノ内を探し回っても、いなくて、どうやらトイレに開かずの扉があり、



ノックをしても、出てこず。




激しくノックをすると、亡霊のようになって、ミサワ君登場。



どうやら酔いつぶれたそうでした。



怖い怖いロシア火みたいなアルメニア人に連れて、ドナドナになっちゃうかと思って、

心配しましたで。






そんな一日。


















ムスリムからの開放

2010年01月30日 09:09

エレバンまで向かう途中のアルメニアの各町を見る限り、この国の荒廃っぷりを懸念してたわけだけど、

いざエレバンに着いて見ると、町の中心部は綺麗なイルミネーションなんかが施され、

歴史的な教会や建物もあって、大きめのスーパーマーケットやレストランなんかも街中にあり、

イメージが全然違った。かなりの都会。


そして、美人の多さが尋常じゃない。



で、そんなアルメニア、エレバンで何したか思い起こしてみる。




・リダの家から徒歩7,8分のシャワー屋さんに、足を引きづりながらシャワーを浴びに。

・靴下購入

・禁酒生活のイランを抜け出して、ストレス発散にワインとウォッカで飲んだくれる。

・牛肉と野菜の赤ワイン煮込みを作ってもらって食らってみる
Picture 1608

・暖房のないリダの家で震えて、ガスコンロの熱で手を温める。

・エレバンの町はそんなに大きくなくて、何度も何度も同じところを歩きめぐる。

・教会でぼーっとする。
Picture 1650

・ナイトクラブ的なとこに行く(ビールとエントランスフィーで800円くらい)
5人くらいの女の子が代わる代わる踊ってました。


・エレバン大学に行って、美女探しに行くも、あまりに美女だらけすぎて、疲れる。
エレバンは、モデルみたいな美しい女性がたくさん歩いてます。首が疲れます。

・惣菜パンをずいぶんと食べる。
一個20円とか30円で頂けます。

・トルコによるアルメニア人虐殺祈念館へ
Picture 1620

・国際学生証を8ドルくらいで作ってみた。
しかも、本物。僕は25歳くらいに若返りました。これから役に立ちそうです。

エレバンでは皆さん割とシャイで、向こうから絡んでくるのは幼い子供達だけ。
そのシャイさは、日本人に匹敵するんじゃないかってくらいに思った。


ヒンドゥー教のインドとイスラム教のイランを経て、たどり着いたキリスト教国アルメニア。

色んな事が自由で、左手使ってご飯食べるのも、牛肉食べるのも、お酒飲むのも、全部自由。

特にイランでの束縛感が強かったせいで、アルメニアに着いて、いつどこで何しようが自由である事に、

新鮮な気持ちを覚えて、開放された気分だった。


イランにいたって特に縛られていたことなんて、お酒くらいだったけれど、それでも国全体が、

束縛感に囲まれていた気がして、なんだかずっと息苦しかった。

息苦しかったんじゃなくて、イラン人の息苦しさを肌で感じていたのかもしれないけど。



そして、イランで出会う人々は口々に現政府や、イランイスラム革命後の社会の愚痴を言っていた。

革命前は、アメリカ寄りの政府で資本主義が進み、欧米の資本がずいぶんと入っていて、

貨幣価値なんかも、今よりもっと高くて、生活し易かったんだと。

車だって、家だって、ソニーのテレビだって、もっと買いやすかったんだと。

イラン人の給料は良くて15万円/月。平均10万円くらいだとか。

世界2位の石油産油国だってのに、ほかの湾岸諸国に比べるとずいぶんと生活が苦しいんじゃないかと思う。

死刑率の多さは、中国はダントツの一位として、サウジアラビアと並んで2位に位置しているらしい。
思想と宗教的行動に関する縛りは相当に厳しいようで。


イラン政府が、どうしようと勝手な話だけど、イラン人の暮らしがこれ以上悪くならなきゃいいと願います。








いつだって、苦しむのは民衆ばかり。











最近、イラン核開発問題でずいぶん社会をに賑わしてるようだけど、そういうのって本当に市民の暮らしとは

全然関係なくて、むしろ核開発する事によって、西欧からの経済制裁食らって、いつも手に入ったものが、

急に手に入らなくなることが大きな問題なんじゃないかな。

日本で似たような事が起こると想像すると、戦争直前のABCD包囲網食らってる日本の状況だったりして、

恐ろしい。










山越えて、谷超えて、アルメニア

2010年01月29日 09:57

昨晩のイラン人達によるホスピタリティのせいで、睡眠不足を余儀なくされ、

5時には起きて、アルメニアを目指す。



Masud Guest Houseにタクシーを呼んでもらい、アルメニア国境の手前の町まで行くはずのバスがあるであろう

バスターミナルへ。


そして、バスターミナルに到着すると、バス停閉じてる・・・・・。


この寒い中、どうしろと・・・・。




そして、タクシーの運転手が、「せっかくだから国境まで行かんかね?」

ということで、金に物言わせて、タブリーズから国境の町ノルドゥーズまで行ってもらうことに。





早朝の国境までの道のりは、寝不足ゆえに眠りこけてたんだけど、目が覚めると風景は一転して、

草の生えない荒々しい山と川だけの世界。


そして、その川の向こう側はアゼルバイジャンらしい。

左側にちょこっと見えるのはアゼルバイジャン。
IMG_0276.jpg


そんな荒々しい中30分も走ると、国境到着。

ノルドゥーズ国境
IMG_0281.jpg


早朝の国境は、誰もいなくて、そのまま抜けられそうな雰囲気だったけど、そこは大人しく係員が来るまで、

待ちぼうけ。


出国手続きをして、長い長い橋を渡ると、アルメニアに入国。





さすが旧ソ連。橋を渡りきって、そこに居たのはごっついロシア人顔のお兄様。


イラン人の体格は、日本人に近かったけれど、さすがに彼らの血は僕らと違うらしく、

喧嘩しても、絶対叶いそうにも無い感じ。


そして、さすが美人の国アルメニア。




国境での入国手続きで案内してくれたお姉さま、かなりの美人。



この国、かなり期待出来ます。とはいえ、旧ソ連の一国。どうにもおどろおどろしい雰囲気を感じた。



入国して、イミグレーションの建物を出ると、山と古ぼけた建物しか見えない殺風景な場所で、

この先、どうやって首都のエレバンまで行けというのかとか思ってたら、タクシーの運転手達が群がってくる。


ところが、提示される値段が 60ドルとか70ドルとか100ドルとか、余りに高すぎるので、

仕方なく国境からエレバンに向かう最初の町Meghriに行ってもらう事にした。


15分くらいで、Meghri到着。

運転手が、「Meghri は何にもないから、次まで行っとけ」とは言うんだけど、

そのままタクシーで行ってしまうと、タブリーズからエレバンまで国際バスで行ったほうが、

安かったという致命的な自体になってしまうために、そこからはヒッチハイクで行くことに。




イランでは、短距離移動の時とか、結構ヒッチハイク出来たんだけど、このMeghriって町では

そううまくは行かず、何台も何台も僕らを無視して過ぎ去っていく。




30分くらいして、たまたま商店に止まっていた一台がエレバンの途中まで連れてってくれるという。


僕らは、地図も無くその場所がどこかも分からないまま車に乗り込む。




出発、2分後。車は警察に止められる。











運転手は、何の違反だったのかさっぱり分からないけれど、違反チケットを持ってきて、


無言のまま運転席に戻り、走行開始。ずいぶんと悔しそうな顔を浮かべながら、運転を続ける。






Meghriからの道のりは、絶景の連続。


不機嫌そうな彼に、ちょっと車止めてくれというのは、気まずくて出来なかったわけだけど、


DSCF2036.jpg

DSCF2034.jpg


DSCF2043.jpg

こんな雪山を越えて、北へと向かう。




つい3週間前まで、南インドでファンの回っている暑い暑いところに居たというのに、あっという間にこの有様。


荷物盗まれて、衣服なんかもそのとき着ていたものしか残っていなくて、正直これ以上、北に行くのは、

かなり不安だったんだけれど、ミサワ君に借りたユニクロのヒートテックだけが、命綱。





地図も持たない僕らを車は北へ、北へと運びゴリス(Goris)という町へ。

今のところアルメニアのどの町も、ずいぶんと殺風景でビルなんてひとつも無く、

今にも吹き飛ばされそうな石の家が並ぶだけ。


いったいこの国は、どんだけ荒廃してるんだろ?と嫌な想像をしてしまう。



そして、Gorisからさらに雪山を越えて、彼が目指した目的地に到着したらしい。

僕らは、そこから別の手段でエレバンに向かわなければならない。




ところが、その場所何も無い荒野にカフェが一軒だけ立つような場所。


ホテルも見当たらない。遠くのほうに町が見える。

しかも、寒すぎて外には長いこと居られない状況。



彼に問う。「ここからどうしろと?」「ホテルとかないの?」


しかし、ロシア語かアルメニア語しか通じない。どうしようもない。


まじ、凍え死ぬよ、こんなとこで放置されたら。




そんな絶望的状況の中、希望の光が差す。






ずっと向こうからバスらしき乗り物がこっちに向かってくる。





運転手は、バスを止めてくれ、さらにはエレバンに行くかどうか聞いてくれてる様子。



そして、「OKだ、これに乗ったらエレバンまで連れてってくれるよ。」






まじ、助かった。



その運転手と軍服したごっついおっさんしか乗っていないバスに乗り込むと、



バスはのろのろとエレバンに向かう。





バスの車内は寒すぎて、用意されていた毛布を被って、なんとか寒さをしのぐ。





そして、4時間ほどするとエレバンの町に到着。





そこからさらにミニバンに乗り換えて、町の中心部へ。







中心部に着いたものの、地図も無く、ただ向かうは、駅のそばにあるというリダの家のみ。




ところが、アルメニア人「Station、Station」と言っても通じず、商店の電話借りて、英語喋れる人が居るホテルに電話して、駅に行きたいと告げるも何故か通じない。




そんなやり取りの中、最終的にタクシーの運転手が僕らの意図を理解した様子で、連れてってもらったのは、

スタジアム・・・・・・・。


何がどうして、こうなったのか分からないけど、運転手に違う違うと訴えると、気を利かせて、


高級ホテルに連れてってくれた。





そこでようやくエレバンの地図を入手し、目的地の駅も発見し、運転手に伝え、そこから割りと近かっエレバン駅まで



たどり着くことが出来た。


駅からは歩いて数分のリダの家。民泊だけど、日本人バックパッカーには有名な場所で、

安いし、リダさん親切だし、いいとこです。




そんな一日。






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